変幻自在の凡太朗

2019.10.4(金)
あいちトリエンナーレ 円頓寺会場 メゾンなごの808特別解説ツアー 
毒自の解説ツアーがあらわす現代の身体性

集合時間20分前に集まっていたのは私を含め3人。会場前常駐の展示スタッフによると「問い合わせはけっこうあった」そうで、ツイッター外の情報を求めて尋ねる人もいたようだ。
入り口あたりで待機し、5分前には枠10名がうまり、以降の希望者は状況を見て入場不可が判断されることになった。
予定時刻を少しまわったところでTシャツと半ズボンとキャップ帽の毒山が登場。いつもの凡太朗スタイルで「みなさん、一度は作品を見られてるんですよね?」と外階段を上がりながら参加者をふりかえる姿はサービス精神あふれる下町商店街のお兄ちゃんで十分に通用する。
そんな毒山に先導されて、一行はビルの二階へ移動し、ツアーは始まった。
(敬称省略しています)

* 作品『君之代』(2017)

会場に映される作品『君之代』と向かい合うように立ち、毒山が語る。
「台湾には日本語がしゃべれるおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいると聞いて会いにいった」
原点は<知りたいから見に行く、会いたいから会いにいく>というシンプルな思いなのだとまずわかる。東日本の震災以降、原発を肯とする日本のあり方、教育のあり方に疑問を感じている毒山の姿勢はアーティストとなってからもまったくぶれていないのだろう。抱いた疑問をさぐって、進んでいくと次に掘る場所ができる。続けていくと作品になっている、そんな印象である。
台湾に滞在した1ヶ月のうち「最初の1週間は誰にも会えずに台北を離れた」そうだ。日本語、歌うたえる、おじいちゃん、などメッセージを台北に残し、歌える人に出会うために台南へ移動。そこから歯車はまわりだした。
ビンロウ(台湾のタバコ:赤い実で知られる)を扱う町のタバコ屋さんから「あの人なら知ってるかも」と情報をもらい、近くのカラオケボックスでも日本語で歌える人がいるかもしれないぞ、と探してくれた。
「タバコ屋のおじいちゃんから広がって、あの人も歌えるとまたつながって、会えるようになって」いったというから、台南移動は大成功だったといえる。
映像を見ながら、おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出を毒山が加えていくと自ずとガイド参加者も笑顔になっていた。
「このおじいちゃん、明日はちゃんとした格好してくるから、朝8時に来れるかと言われて、それでいったん帰って。次の日の朝、お店を開ける前にもう一度会いにいった」
交流、信頼、約束。人と人の間に築けるものがしっかり刻まれた作品である。直視していると涙があふれそうで、私はなんども視線をずらした。
 台湾のおじいちゃん、おばあちゃんは思った以上に饒舌に思える。難しい教育勅語をしっかりと覚えていたり、歌声を聴けば『国歌』だとわかる明確な節回しがせつない。日本から来たのか、じゃあ、俺の歌も聴いていけ。そんな気さくなやりとりも想像できるが、おじいちゃん、おばあちゃんたちの人生の始まりの時間に日本国がずっしりと関わっていたことが、じんわりと胸の中にしみてきて、なんど見ても揺り動かされるのである。
「自分で見ても、なんど見ても泣いてしまう。撮っているときも泣いたらダメだと思って我慢したけど、自分もなんど泣いたかわからない」
と毒山は言った。
「日本の兵隊さん」の動きを体現してくれるおばあちゃんは楽しげだ。そのコミカルな動きに隣りにいるおじいちゃんの表情もゆるんでいる。インタビューを受けることも、日本語の歌を歌うことも嫌そうに見えない台湾のおじいちゃん、おばあちゃんたちの本心はどこにあるのか。自分たちが受けた日本の教育はよかった、と日本を悪く言わないことに「え? ほんとにいいの?」と毒山は戸惑ったという。なぜ、そう言ってくれるのか、理由は「わからない」ともつけ加えた。おじいちゃん、おばあちゃんたちが『同期の桜』を美しい発音で歌えること。厳しい指導を受けた日本人の先生の名前を今も覚えていること。かつての台湾の少年少女から日本への憤怒は感じられない。それは感じないようにしてくれているのかもしれない。それも「わからない」。なにかを一つに決めてしまう愚かさを、毒山は無意識にでも避けているように感じる。
 目の前の土地や人に共感し、真摯に誠実に向き合うことは、正解を出すためにおこなわれていることではなく、むしろ<向き合い続けること>そのものに光があたっていく。なので、毒山の解説からも、台湾のおじいちゃん、おばあちゃんが歌い出すまでの時間がいかに濃密だったかわかるものとなる。
「最初はぜんぜん覚えてないっていうんだけど、聞いているうちに思い出してきて、おばあちゃんも知らなかった歌をおじいちゃんが歌い出して、おばあちゃんがすごいびっくりしているという」
エンドロールに続く朗々とした歌声が印象に残るおじいちゃんは
「このおじいちゃんは氷屋さんの常連で、店の中で歌おうって言ってくれた」歌う喜びもそこにはちゃんと映っていた。
 取材を続ける中で、台湾のおじいちゃん、おばあちゃんと孫世代が直に話せる言語を持たない事実にも驚いたという。孫世代は中国語と英語、おじいちゃんおばあちゃんは台湾語と日本語。世代をまたぐ共通言語がないのだ。
「だから、孫と話せる気分になってくれたのかもしれない。でも、それもどうかはわからないけど」
映像の冒頭に戻ると、華やかな台湾のカラオケシーンが映った。「ダンサーもセットでついている」台湾のカラオケ場面を見ると、往年の神代辰巳映画を思い出してしまう。ノスタルジックな音楽も雰囲気があって、伊佐山ひろ子が踊っているように見えてくる。哀愁が漂うのはいうまでもない。

*作品『Synchronized Cherry Blossom』(2019)
    作品『ずっと夢見てる』(2016)

ういろうの桜が話題になった二階奥の作品へガイドは進む。
「映像ばかりだと、ちょっと飽きるなあ、彫刻もいいなあと思って」
桜が満開の彫刻作品に用意されたのは染井吉野の樹。「思ったよりも大きくて」、808ビルの道路側の壁を開け、クレーンで吊って搬入したという。桜の樹は枝を小さく丸めて束ねた状態で室内に入れ、広げると空間にぴったりの見事な枝ぶりとなった。ういろうで製作する桜は今年の正月の間もない頃からまずはごく少量を「試験的につくり」、アーティスト活動を始める以前の毒山の職域であった微生物の知識がとても役立ったそうだ。
「しっかりと乾燥させればカビも生えないとわかっていた」
しかし、一枝に十個の花弁、計三万個の桜の花をつくるのは容易ではなく、「朝から練って、乾燥させている間に針金を曲げて、その針金にメッシュを通して」の作業が二ヶ月続けられた。この期間はさながら「ういろう工場」。多くのスタッフの手も借りてできあがった桜は、樹に穴をあけ、グルーガンでとめたものだが、展示会期が進むうちに花は少しずつ床に落ちていく。そのさまはまるで桜の散り際に見えて趣がある。
 ういろうの桜の文脈には、写真家で青柳総本家の四代目社長となった後藤敬一郎が彫刻家の野水信に依頼してつくった羊羹彫刻が絡んでいて、偶然に思えた接点を追ううちに制作の必然性が明確になってくる過程がとても興味深い。
ういろうが名古屋を代表するお土産として定着する背景には東海道新幹線の開通と後藤敬一郎の経営手腕は欠かせないものだが、桜の下に置かれた作品『ずっと夢見てる』(2016)は経済成長に翻弄されるサラリーマン/企業戦士と戦時下の兵士の姿が重なり、作品が響き合いながら投げかけてくるものも容赦ない強さをまとってくる。ツアー参加者からも言及されたように、『ずっと夢見てる』には従軍画家/小早川秋聲の作品が毒山の「頭にあった」という。兵士にかけられた国旗の日の丸(『國之楯』)。酔って眠っているサラリーマンにかけられるグローバル企業のロゴ入りの布。耳に入ってくるのは学校教育の中で唱和させられた記憶もある「三訓」。台湾のおじいちゃん、おばあちゃんが聞かせてくれた教育勅語が重なる。シンクロしていく記憶、歴史、人々の感情。見上げる桜はもう以前とは比べものにならないくらい、等身大の歴史に浸っている。桜の意味合いを毒山は「過去と未来を照らし合わせる」ことで深めた。当初は会場の入り口に置いていた『ずっと夢見てる』を、桜の樹の下の「しっくりきた」配置に変えたのは、トリエンナーレ開幕直前ぎりぎりだったという。
 解説の最後に、2015年の自身の交通事故の経験から得た「身体の痛み」に話が及んだ。
「入院したときに身体の痛みはどんなものか、(酔って)地べたに寝転がっている人たちの痛みにつながってる気がした」
 作品を見て「身体性」を強烈に持つ現代のアーティストが毒山凡太朗なんだな、と思っていたが、自分の身体を通すから嘘がない、という無言の信頼を観る側に与え、現代のテーマをあぶり出す強靭さにもつながっているのだろう。
                               (了)

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