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功利主義者とダイバーシティ

同質性の殻

ダイバーシティ、インクルージョンといったキーワードを聞く機会は少なくない。
しかし、それらのキーワードを咀嚼し実践できている組織、個人はどれくらいあるのだろうか。
ここ最近、採用で「カルチャーマッチ」「リファラル」を重視する傾向が一方としてある。
もちろん、リファラル採用でカルチャーマッチしている人を採用することがダイバーシティの欠如になるわけではない。カルチャーマッチ自体は重要な採用観点だ。

しかし、「カルチャーマッチ」を判断するときに「多様性」をカルチャーミスマッチと捉え、暗黙的に同質性を求めてしまうことがあるのではないだろうか。

バイアスの罠

この写真は、2019年4月30日に新潟県の福島潟で撮影したものだ。
私は新潟県出身だが、今は東京でソフトウェアエンジニアを生業としている。
職場ではもちろんみんなスマホを持っているし、ITリテラシーは高い。UXだのなんだのという話をよくしているし、いわゆるGAFAの動向にも敏感だ。

しかし、私の実家にはいまだにインターネットがひかれていない。
仮想通貨はおろかクレジットカードが使えない店がほとんどだ。
iPhoneに対しても「iModeのほうが使いやすかった」という同級生たちがいる。(親世代ではなく、30代の発言だ)
東京でエンジニアをやっているとにわかには信じられないが、たしかにそういう意見、現実がある。
そう、ソフトウェアエンジニアというだけで我々はバイアスがかかっているのだ。

功利主義者こそ、ダイバーシティを

短期間で成果を出そうとすると、どうしても同質性の高い人を集めがちだ。
出そうとする成果の向き先が、その同質性の延長線上にあるならばいいだろう。
だが、例えば30代男性、ソフトウェアエンジニア、東京在住、といった属性の人たちだけで仮説を立てたプロダクトには不可避的に偏りが混入する。そしてその属性に該当する人は、いったいどれくらいのボリュームなのだろうか。
また、同質性が高いということは、変化に対して脆弱性を持ってしまっているかもしれない。

長期的になにかを成し遂げようとするならば、自分の想像の範囲を超えて成果を上げていきたいのならば、ダイバーシティを持った組織作りをしていくことが望ましいと、私は思う。

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