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社会に出る

新人時代をふりかえる

この6月で、現職に転職してきてから10周年をむかえた。
この機会に、転職以前のことをふりかえってみる。

入社

いまから12年前、私はとある外資系半導体企業に新卒として採用された。
特段、半導体がやりたかったわけではない。
大学院の先輩から誘われ、話を聞いてみてそれなりに面白そうだったこと。
博士への進学も考えていたが行き詰まりを感じていたこと。
それに会社の規模が大きく、安定していること。
そんな諸々が重なって、そのときはそういう選択をした。
入社式だったか研修の懇親会だったか定かではないが、研修担当の方が「みなさんはこの会社をステップとして羽ばたいてほしい」と発言したことに大層驚いた。
これが外資系か。

配属

一通りの研修を終え、茨城県にある研究所での本格的な仕事が始まる。
(この研修ではロジカルシンキングやダイバーシティ、タイムマネジメントなど様々な、どこへ行っても役に立つことを学んだし、正しいと信じることができる考え方を身につけることができた。)
英語で書かれた分厚い仕様書、英語の社内メール、
最新のビデオコーデック、検証業務という概念…
とにかく未知のものが大挙して押し寄せてきた。
だんだんと仕事を覚え、頼まれ仕事はこなせるようになってくると楽しさすら感じるようになった。

幻の本社移籍

2年目になってしばらくしたころ、茨城の研究所から東京本社へ研究所機能を移す、という話が持ち上がった。
大学時代から愛着のあった茨城。
そもそも茨城にあったからこそ、この会社を選んだというところもあった。
一抹の寂しさを感じながらも、東京で暮らしてみるのも悪くないという気持ちもあった。
話は具体的に進み、機材を本社のどこへ運ぶか、などかなり具体的な打ち合わせを重ねていった。(このとき、ラボの機材などを管理する係だったので会議に参加していた)

さあいよいよ移転時期が近くなり、既に東京へ引っ越した人もいる秋口にそのニュースは飛び込んできた。

2008年秋。そう、リーマンショックだ。

リーマンショックのあおりをうけ、なんと本社への移転は立ち消えになってしまった。
既に住んでいるマンションの管理者へ退去の意向を伝えていた私は、あわてて取り消しの手続きに奔走したものだ。

Closed

2009年2月3日。
いまだに日付も覚えている。
本社移転が立ち消えになり、なんとなく宙ぶらりんな気持ちのまま過ごしていた日々。
本社から偉い人がくる。

外資系では、部門のクローズと早期退職、というのはよくある話だ。
社歴の長い人たちはおそらくそれだと勘付いていた。
しかし慣例として3年目までの新卒は早期退職の対象外とされていた。
10年前の日本では、3年に満たない職歴が転職において不利に働いていたのでそこを考慮していたのだろう。

いざ、研究所で一番大きい部屋にあつまる。
話が始まる。
「○○(研究所の通称) Closed」

非常に簡潔で非情なアナウンスがなされた。
このときは「やっぱりかー、みんなと離れるの寂しいな。自分は2年目だから本社かー」などと呑気に構えていた。

続いて発表される早期退職プログラム。
「2009年4月入社以降は対象外」
ふむふむ。

ふむ

ん?

いまは2009年2月

つまり、自分と早期退職プログラムの対象である…!!

これは大変だ。

チーム一丸となって転職活動

主要メンバーはUSの本社へ行くらしい、という噂が流れる中、多くのメンバーは転職活動を開始していた。
オフィスの入り口に求人票がおかれ、「ここのエージェントはよかった」「ここは上から目線」など情報交換がなされる。
全員が転職活動をする、という今後も経験することがないであろう稀な状況は、なんだか少し楽しかった。

本記事の主旨からすると余談だが、当時ラボの物品管理をしていた私は廃棄物品、本社へ送る物品の選別作業をしていた。
ひとつひとつ、移管・廃棄理由に「Lab closed」と書くのはなかなか心に響いた。

リーマンショックの爪痕

就職活動を始めると、さらなる試練が立ちはだかった。
多くの企業が採用をストップしているのだ。
先に転職していった先輩方を見て「転職するなら大手メメーカー」という先入観があった自分はその前提が崩れていることに狼狽し、絶望した。
また、経験が2年しかないことも足かせとなっていた。
(1年目の後輩はエージェントから「なんでこんな早く転職するんだ」と罵倒されるなど、私より辛い目にあっていたらしい)

初めて真剣に考えた就職先

冒頭で述べたように、就職の動機はどちらかというと受け身なものだった。
給料はよいし、それなりに楽しい。不満はない。そんな感じだった。
それが、急に転職市場へ放り出される。
「なんとなくよさそう」な大企業は採用を止めている。
そんな状況だから、初めて「自分がなにをやりたいか」と向き合った。
給料が高くても琴線に触れない会社、その逆。
スキルが通用しそうな会社、そうでない会社。

不慣れな東京という土地で、自分がやりたいことは何で、自分にあっている会社はどこなのか探し続けた。
最終的には、その探す手助けになってくれたナビゲーションアプリをつくる会社に決め、いまもそこにいる。

道を開くのは自分

突然の早期退職で悟ったことは、会社は自分を守ってくれないということ。
超氷河期の就職活動でわかったことは、どうしようもない逆境があるということ。また、会社の名前が次の就職先を紡いでくれる、なんていう甘い幻想もこのときに捨てた。
そして結局のところ、自分がこれまで積み上げたものと信念だけが次へ進む道を開いてくれるということにも気づいた。
前職で培った、プロダクト品質へのこだわりや検証の経験、基礎的なCSの知識は転職活動において武器となってくれた。

安定の軸

大企業に就職すれば将来安泰ー。そんなことを信じている人は、いまや一握りかもしれない。終身雇用の限界が超大企業のトップから発せられるご時世だ。
となると安定はどこにあるのか?
これはもう、自分自身だ。
自分自身を磨き、環境に左右されるのではなく自分自身の力で仕事を手にしていく。
好むと好まざるとに関わらず、そういう時代に突入している。

磨きつづける

とどのつまり、自分を磨きつづけることだ。
私自身、いまの会社に入社した頃と今ではまったく違う業務をやっている。
いまはいわゆるマネジメント業がメインだが、勉強量は年々増えている。
そしてそれが苦しいかというとそうではない。
キツいけど辛くない。キツいけど楽しい。
そう、自分自身を安定の軸にするためには努力という土台が前提として横たわるが、
やるべきこととやりたいことを揃えていき、楽しんで成長できるように自分をハックしていく姿勢こそが継続して成長するためには必要なのかもしれない。

もし新社会人の方、これから新社会人になる方の目にこのエントリーが触れ、なにかの参考になれば幸いである。

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