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#146 夜空の帳(とばり)から言語について考える

日本語は奥深いなあと思う。先日何気なくApple musicで曲を流していたら、森山直太朗の「夜空の帳にあの星屑が 流れて落ちて消える日その刹那に あの日の夢や願いが叶いますように」という歌詞に衝撃を受けた。夜空の帳、とばりである。容易にイメージできない言葉、ディープインパクトである。深い衝撃をすぐに横文字に直してしまう自分に、今現在、辟易している。

「夜の帳がおりる」という意味は、夜になって暗くなるさまを、垂れ絹が下りたことにたとえたもの(コトバンクより)だそうだ。垂れ絹という言葉自体にすでに美しさを感じてしまう自分がいる。しかしながら、そこに美しさを感じるかは人それぞれであり、美しいと思う人もいれば、さらっと通り過ぎる人もいるであろう。私の言語感覚研磨の源泉は、九十年代のJポップに遡る。

例えばB’z。「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」というタイトルはなんて芳醇なのだろうと思う。愛が何かも知らない少年は少年なりに、「自分も傷つかなければ、愛に到達することはできない。しかし、傷つかなければ愛は成立しないのか。peaceな愛は、もしかしたら愛とは呼ばないのかもしれない。」などと禅問答をすることで、それなりの解釈を得た。

またまた昔の話で申し訳ないが、尾崎豊の「I love you」の歌詞もそう。サビの「きしむベットの上で 優しさもちより きつく体抱きしめ合えば」である。きしむという言葉が入るだけで情景が増す。聞き手に余白を与える歌詞こそが良質な歌詞なのだと思う。そして、愛しているより、I love youの方がしっくりくるのは、愛という概念に宗教的な背景があるからだと思う。

以前、大学時代のゼミの教授に、「あなたは、恋していると愛しているの明確な言語的線引きができますか?」という言葉をかけられたことを思い出した。実態のないものに思いを巡らすことが、言語感覚を磨く第一歩なのである。ちなみに私は「恋ばかりしていて結実したことがないので、分かりません。」と至極残念な返答を返したことを覚えている。

教師は言葉を操る職業だ。児童の一日の生活の中で、一番言葉を浴びせることができる時間も長い。だから、言語に関してのアンテナを張り巡らせ、それこそ芳醇な言葉を多用していくことが大事なのだと思う。私もワンチャンあるかもとか、安易な言葉に頼らず、「人生の方向性を決定づける千載一遇の機会が巡ってくる」などと使っていきたいと思う。あ、ウザいか。

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