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韓国ドラマ『涙の女王』考察と感想


 デパート界の女王と、スーパー界の王子の世紀の結婚から約三年。愛し合って結婚したはずの夫婦がすれ違い、離婚の危機に直面しながら愛を取り戻していく姿を描く韓国ドラマ『涙の女王』。ラブコメディとして紹介される本作だが、笑えて泣けて泣けて泣けて泣けて心が張り裂けそうになるので、もしかするとジャンルが違うのかもしれない。細かすぎる伏線は、最新話が見終わるたびに何か見逃したかも…と自分を疑いたくなり、切なすぎる展開は、感情移入が止まらず寝ても覚めても作品のことばかり考えてしまう笑。

また、全てをセリフで表現しきらずに間接的に描き、幾つもの分岐が想像できるような展開をしていくので、つい考察したくなるのだと思う。ここでは、勘違いもあるかもしれないが、個人の感想と主観的な考察として書き留めていきたいと思う。

物語のメッセージとは

この作品が伝えたいメッセージとは、なんだろうか。劇中のエピローグに登場するオスカーワイルドの『幸福の王子』からヒントを得て、考えてみた。オスカーワイルドの作品の一つに『理想の夫』という物語があるのだが、相手の望む理想の夫と妻になろうとして本音で語り合えなくなっていく夫婦に訪れる転機を描いている。

"夫婦の愛情は互いが鼻に突き出してから湧いてくる”“愛情のない結婚は悲劇。だが、愛情のない結婚よりさらに悪い結婚がある。それは愛情はあるがただ一方にある場合”だ。そんなセリフの数々が心に残る。

こういった内容は、まさに前半のヘインとヒョヌの関係性を思い浮かべてしまうのではないだろうか。オスカーワイルドの名言と言われている“結婚はまさしく相互の誤解にもどづくもの”の通り、出会った当初は服に穴が空き、コピー機を蹴り、チューチューバーを食べたことのないヘインを良い意味で誤解しながら始まった恋が、次第に誤解の魔法が解け、相手から求められているように感じる理想像を果たそうとするうちに、マイナスの誤解が増え溝が深まったのかもしれない。

大切なのは、対話と相手への尊敬。これが作品のメッセージの一つではないだろうか。劇中には、様々な夫婦や家族が登場する。財閥のヘイン家とヨンドゥリ村のヒョヌ家、厳しい姉と怯える弟、名前以外の全てを隠し近づいたダヘと彼女を愛するスチョル。立場が違っても、対話と尊敬こそが、愛を支える根底にあるのかもしれない。

例えば、このヘインとヒョヌのように。

少し脱線するが、ep8終わりでは、両家の力関係が逆転した瞬間を絶妙なカメラワークで演出する場面がある。まるでシーソーに乗った両家のように、力が強い方に傾く(=今回はヒョヌ家)のだ。折り返し地点に到達し形勢逆転した、という意味だけではなく、相手を深く理解し合うことで上か下かではなくフラットになることに意味があると深読みしてしまう。

ポスターに隠された伏線

オシャレなポスターだな、と眺めていたら、そこにもしっかり伏線が張りめぐされていて飛び跳ねた。そこには、時間軸と展開がしっかり隠されていた。ヘインの家とヒョヌの家を対比するかのように、食卓の写真がポスターとなっていたのだが、前半まで見た後にもう一度見て欲しい。このポスター、全員目が合ってないのだが、目線を追うと……

会長(マンデ):同居人のモ・スリに夢中
モ・スリ:誰にも興味がなく自分自身に集中
ヘイン父:会長の顔色に夢中
ヘイン母:妹が暴れないかに夢中
スチョル:愛妻ダヘに夢中
スチョル嫁(ダヘ):スチョルには目もくれず、仲間のウンソンに注目
ヒョヌ:端っこに追いやられ、クイーンズ家に居場所がない様子
ウンソン:まるで家族の一員のように同じテーブルに堂々とつく

という構図が出来上がってしまっているのだ。クイーンズ家に馴染めないヒョヌのポスターかなと思いきや、ep8手前の構図をここであらわしていたのではと思うと、演出が細かすぎて震えてしまう。

さらに、この1枚だけでは終わらないのがすごいところ。衣装に注目しながら見ていくと、実は時間軸が隠されているように思う。夫婦に割り込むかのようなウンソンのポスターから始まり→食卓ではウンソンの影響力が大きいことが見て取れる→家族写真には入っていないモ・スリとウンソンが額縁を前に一家の主人かのように腕を組むという流れになっているように感じるのだ。

さらに、ウンソンが割り込むように映るポスターの文言に注目すると、“一世一代の恋”という文字がウンソンの方に書かれている。つまり…ウンソンの初恋もまたヘインなのでは、とここでも深読みしてしまう。もしそうだとすると、なんて不器用な男なのだと心が苦しくなってしまう。

(これは考えすぎかもしれないが…ウンソンが関わるヘルキアの会社のロゴ、ヘインのMP3のイニシャルにちょっと似ている…。もしや全てをヘインに捧げる準備をしてきたのか、と深読みに深読みを重ねてしまうし、もし本当だったらめちゃくちゃ切ない。)


この他にもポスターがあるのだが、対になっているように見える2枚がある。左のポスターは、涙の女王だから涙の形なのかな…くらいに思っていたが、本編を見てこんなに切ない場面だとは想像もしていなかった。

公式サイトに公開されるポスターには、タイトルが付いているのだが、左側の涙の形のものは”葛藤”。右側のポスターは”奇跡”、そしてポスターの中には”今この瞬間、奇跡のようにまた始まる恋物語”の一文が添えられている。右側のポスターは前半まだ出てきてないと思うのだが、悲しみが悲しみで終わらぬよう奇跡の結末をつい願ってしまう。

溢れる特別出演(カメオ)と作品を超えた演出

このキャスト・スタッフだからこそ実現したと思うのだが、劇中では作品を超えた再共演やカメオが炸裂している笑。特に、『サム、マイウェイ』では主人公エラ(キム・ジウォン)が恋人に浮気されて激怒するシーンがあるのだが、その恋人役がクァク・ドンヨンだ。作品を超えて怒られるという演出が、切ないけれど面白い。

さらに、『涙の女王』が『シスターズ』や『ヴィンチェンツォ』の監督だからか、この方も登場する。財閥家の末息子 元海外派兵(=太陽の末裔)、 宇宙船で飛来(=スペース・スウィーパーズ) 、オオカミ少年(=私のオオカミ少年) という諸説のあるヴィンチェンツォという名の弁護士として紹介されるのだが、過去作品としっかりセットなのが面白い。


さらに、同脚本家の『愛の不時着』にも出演していたキム・ヨンミンさんは一体どんな要素で紹介されるのか…と思っていたら、まさかの映画『チャンシルさんには福が多いね』の役柄が絡んでくる。「幽霊でも見たのか?」といったセリフまで完璧で、気になる方は本作をご覧ください。

この他にも、『サム、マイウェイ』のエラの愛嬌シーンがオマージュされたり、『私の解放日誌』を思い出さずにはいられなくなったり、『愛の不時着』のリジョンヒョク氏を重ねずにはいられなくなったりと、作品を超えた要素が盛り沢山な本作。

一つ一つは書ききれないが、作品を点ではなく線で捉え、局関係なく飛び越え結びつけ、本編で展開させるという取り組みが面白いのだと思う。

まだ登場してないが、是非『私の解放日誌』の解放クラブメンバーの同窓会も観てみたい。

これは余談だが、同脚本家には女王シリーズと呼ばれる作品があり、『僕の妻はスーパーウーマン(原題:内助の女王)、『逆転の女王』に続き、今回の『涙の女王』がある。すべての作品にクイーンズグループが登場するようになっているのも面白いが、この先もしかしたら時代を反映させてシリーズ化していくのかも…と考えてしまう。(ちなみに、ヒョヌが探すたぬきのヒョンスクは『僕の妻はスーパーウーマン』のナ・ヨンヒさんの役柄名と同じだ笑。

謎めく春夏秋冬

話は変わり、劇中の季節に着目してみたい。ヘインは重い病気を抱えているのだが、記憶が途切れるとなぜか冬にタイムスリップしてしまう。最初は、冬に何かあったのかも、と想像していたが、もしかすると季節と感情を重ねて表現しているのかもしれない。

春:ヘインの孤独な雪を溶かすヒョヌの季節(=安心・安堵)
夏:燃え上がるような恋をした二人の季節(=楽しい)
秋:ここがあまりないため、これから考察してみたい
冬:誰も隣に居てくれず一人だけの季節(=孤独・不安)

記憶が断絶されるとヘインの周りが暗くなるのだが、ヒョヌが来ると光が灯る。まるで雪を溶かすような太陽の存在であり、心安らげる唯一無二の場所という感情を表しているのかも、と想像する。

対になるような展開

本編は前半(ep8まで)と、後半からガラリと空気が変わるのだが、まるで対になるように見える視点も変わってくる。例えば、前半では泣きながら洗い物をし、家族からいびられる現代版シンデレラのようにヒョヌが描写されていたが、MP3のストーリーから今度はヘインがシンデレラに見え始める。

最近観ていた韓国ドラマでも取り入れられていたが、前半と後半で眺める角度や視点をずらすことで、全く同じ事象が全く別に見える経験をしたことを思い出す。16話だからこそできる演出でもあると思うが、その視点が変わることが見どころポイントの一つになるのかもしれない。

きっと、最初の恋で最後の愛のヘインとヒョヌ。忘れてしまった愛の形を取り戻す過程から今週も目が離せない。

そしてもう折り返し地点を迎え、終わった頃にはすっかりロスになっていそうだが、引き続き展開を追いかけていきたいと思う。
お付き合いいただき、ありがとうございました。