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ハンカチ

今から三年前、結婚から三年経ったある日のことである。結婚してから、新しいハンカチを一枚も買っていないことに気付いた。

交友関係とハンカチについての相関関係について、ご存知か。人に会うための三種の神器…ではなく、四種の神器。くたびれていない服、鞄、靴、そしてハンカチだ。四種の神器の中でも一番安価に手に入るハンカチ。その更新を、三年間も怠ったのだ。

結婚してから数ヶ月後、私は出産し、生活の要素に『子育て』が加わった。子どもと暮らす生活が幸せかどうかはさておき、私にとっての子育ては『消耗』の日々であった。時間の使い方、着る服や靴、行く場所、全てが子どもによって制限された。

『消耗』は言い換えると愛情を与える行為である。異論はあると思う。しかし私にとって、これは事実なのだ。消耗は、尽くす行為。良いとか、悪いとか関係なく、自分の時間を消耗するのだ。

結婚してからの日々は、夫に尽くし、子どもに尽くし、自分の身体や時間を消耗するばかりであった。そこに来て、『ハンカチの更新を怠る』事件である。これは私に、かなりの衝撃を与えた。

ハンカチは、一枚500円程度で手に入る。しかし、その500円を自分に使おうという思考さえ、私は日々の生活の中で失ってしまったのだ。人付き合いも、結婚前よりも確実に減っていたため、ハンカチを使う頻度も落ちていた(子連れで出かけるときは、基本的にタオルを使っていた)。

今にして思う、人生、消費(する)と消耗(消費される)のバランスが大事なのだ。人によって、そのバランスが±0であったり、+3くらいがちょうどよかったりする。私の場合、結婚を経て、消費の機会が減り、消耗するばかりの人生になっていた。

生きることに疲れたとき、人恋しさを覚えることはないだろうか。これは、人生という時間を消耗する傍ら、自分の消費したい欲が人恋しさに変換されるのだと思う。つまり、消耗ばかりの日々の中、人の時間を消費したいという欲が高まるのだ。

消費したい欲を、どう解決するのか。上記の通り、人に会い、人の時間を消費する、物を買い、モノとカネを消費する。人生のバランスを取りたければ、消費の形をなんらかに変換して、保たなければならないのだ。

もし、自分の人生が『消耗』ばかりだと思うのなら、自分が『消費』する側にもならなければならない。

時を今に戻す。タンスの引き出しを開ける。『ハンカチが増えたな、少し捨てよう』と思う自分がいる。少しは『消費』する側の人生を、楽しめているのだろうか。


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