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映画「世の中にたえて桜のなかりせば」

女優 岩本蓮加

 正直彼女の演技には驚かされた。これが一番の印象だった。普段アイドルをして歌やパフォーマンスをしている彼女からあんな表情が出来るのかという驚きと演技に魅了された。これに関しては推し補正を一切抜きにして断言したい。そしてこの作品は間違いなく彼女にとってターニングポイントになるであろう。2022年は『女優 岩本蓮加元年』と命名しても過言ではないと個人的には思う。

茨木のり子『さくら』

 映画のタイトルである『世の中にたえて桜のなかりせば』は在原業平の「古今和歌集」の中で詠んだものの一部であるが、茨木のり子の『さくら』もこの作品に大きく関係する詩である。現代に生きる自分たちは『』が咲くと花見をしたり、写真を撮ったりするだろう。でも「生涯に何回ぐらい桜を見るだろう」と考えたことはあるだろうか?正直自分は考えたこともなかった。1年に桜が咲くシーズンは1回しかない。ただそれを自分たちは季節として感じているはずだ。この映画を観た際には自分はあと何回『』を見ることが出来るのだろうか?と考えてみるのもいいのかもしれない。そしてこれからの桜シーズンには映画『世の中にたえて桜のなかりせば』と茨木のり子の『さくら』を思い出しながら過ごすことになるだろう。

感想

 この物語は『終活』を中心に進んでいく。人はいつ死ぬのかわからない。だからこそ「遺書」として書いたり、「思い出」として残したり『自分が生きた証を残す』というのが『終活』の1つなのかもしれない。物語の中で主人公の咲と咲の担任であった南雲の関係性も不思議であった。でも咲から出てくる人柄だからこそこの関係性が成立していたのだとも思う。そして敬三が昔見た『桜の木』を咲が探す所から物語は大きく動く。そして敬三の妻(吉行和子さん)が登場したところから涙が出た。人にも桜の木にも寿命があるがそれでも人を感動させることが出来ることが証明されたと思う。

最後に

 この映画が公開されている映画館が少なすぎる。これがとても残念である。正直もっとたくさんの人に観てもらいたい。
 話は戻り映画の話をする。映画の予告編の最初の語り「ことしも生きてさくらを見ています」も茨木のり子の『さくら』の一文である。自分が住む北海道の桜の見頃はゴールデンウィーク頃、だからこそ桜が咲く頃にもう1回この映画を観た流れで桜を見るのも良いと思う。『桜は下を向いて咲く、私たちが上を向くため』の関係も素晴らしいことだと思う。2022年は『女優 岩本蓮加』から目が離せない。そしてこの映画が遺作となってしまった宝田明さんのご冥福をお祈りすると共にこの作品に出会わせてくれたことに感謝いたします。

あとがき(追記日:2022年4月12日)

 ここからは2回目を見た時の感想を書こうと思う。まずこれから観る人はオープニング映像をしっかりと観て記憶の片隅に入れた状態で最後まで観てもらいたい。きっとこの意味は映画を観た人にしかわからないと思う。
 そしてクライマックスで敬三の妻(吉行和子さん)の名前が唯一1回だけ出てくる場面があるので是非ここにも注目もして観てもらいたい。また、「名前」の観点からもう1つ、主人公の咲が敬三のことを「柴田さん」から「敬三さん」呼びに変わるところである。そこでの咲の心境の変化についても注目して観るのも面白いと思う。
 あとがきの最後として北海道での上映が桜の開花前に終わってしまうことがとても残念でならない。改めてこの映画は多くの人に観てもらいたいという想いは強くなった。そしてこの作品の感想を言葉で伝えたくても上手く書けないことに申し訳なく思う。いつか地上波などで多くの人に観てもらえる機会があることを願って2回観た感想の最後とさせていただきます。


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