2.5次元という「ダブルスター制度」コンテンツについて

とりあえずまずwikipediaを貼るという横着をします。

スター・システム (小説・アニメ・漫画)

スター・システム (俳優)

おわかりいただけただろうか。

いやそんな雑なnoteあるかい!という感じなので以下つらつらっと書きます。

まず2次元作品においてのスターの話。

ものすごくひさしぶりに2次元おたくの世界に復帰してみて驚くのは、ビッグタイトルほぼ全てがキャラクターコンテンツであることでした。ソシャゲのようなプラットフォーム自体がキャラクター依存するタイトルはもちろんのこと、マンガやアニメのような物語を追うことが主軸のコンテンツであっても、ストーリーよりキャラクター先行のものが主流になっているように思います。それらにおいて須らくストーリーが軽視されているかというとそうではないのですが、多くはキャラクターの魅力を伝えるためのストーリーであることが多いでしょう。それはジャンル(バトル系、日常系、など)に限らずでした。

で、それらのキャラクターコンテンツの中には必ず「スター」が配されています。まあ、言い換えれば「看板キャラ」と申しましょうか。ものすごく分かりやすいところでいえば、刀剣乱舞における三日月宗近です。おそ松さんにおいては、少し特殊ですが「6つ子」がそれにあたるでしょう。

「スター」は、「主人公」とイコールではなく、また「一番人気」とイコールでもありません。「スター」が「主人公」の役割を背負っていることは少なくないでしょうし、「スター」が「一番人気」になることも多いかもしれませんが、本来それらは別々に設定されるもの(人気はあとからついてくるもの)です。

さて。そしてここが重要なところなのですが。

オリジナルとは違う別のメディアにコンテンツを展開する、いわゆるメディアミックス展開をする場合、そこには「キャラクターの配役」が発生します。TVシリーズなどで原作のストーリーをそのまま別メディアに移植する場合はおおむね配役据え置きですが、映画や舞台作品など、オリジナルストーリーを展開するならば、必ず発生することです。

そしてそのとき「スター」を配さずに企画することは、ほぼありえません。「スター」はやはり「スター」の位置に配されます。キャラクターコンテンツにおいては、「スター」の存在が作品をその作品たらしめる場合が多いからです。

一方で、俳優のスターシステムの話(学術的な話とはまた別軸で聞いてほしい)。

宝塚のスター制度が有名なように、ひとり(便宜上)のスターを中心に興行を組み立てることはよくあることです。演劇だと古くは歌舞伎から、ジャニーズはもちろん、私がよく見に行く中だと新感線もスター制を明言しています。というか、当たり前すぎてもはやスターの存在をスターとして意識することもないのでは。特にいまの商業演劇では、作品性だけで採算ラインに乗せることはかなり難しく、ほぼ「スター」に頼りきっているといえるはず。逆に四季がスター制度をしいていないことが有名だったりするほどで。そしてその「スター」には、スター俳優といえる役者だけでなく、アイドル、芸人、いろんな人がスターとして配されるわけです。1,000人の観客の前で堂々とセンターをはれる度胸、一目見て誰なのかわかる知名度、そして多くは集客を期待されて。

異論はたくさんあると思いますが(笑)ここでは仮に、スター俳優に求められるのは「度胸」「知名度」「集客」の3つであると定義します。

さて、少し話が戻りますが。

2.5次元を「アニメやゲームなど2次元作品を原作とした舞台(ミュージカル)作品」と定義するのであるならば、2.5次元作品はそれそのものが原作/オリジナルになることは、定義によればあり得ません(例外的な作品があることは承知です)。つまり2.5次元はメディアミックス展開の一種ということになります。

そして前述のとおり、そこには「スター」キャラクターが配されます。2.5次元、つまり舞台作品においても、物語上の主人公ではなくとも、2番手3番手、またはトメあたりに配置されるはずでしょう。

ここでこの「スター(キャラ)」に期待される役割は、「知名度」と「集客」。

そして舞台作品である限りは、演じるキャストがいるわけです。「スター」を演じるキャストです。

わたしはここで、スターを演じるキャストに求められるのは「度胸」のみだと思うのです。なぜなら、「知名度」と「集客」はすでに「スター(キャラ)」によって担保されているから。

俳優がスターである必要は、極論、ない。なぜなら、そもそもキャラクター自体が「スター」だから。

その代わり、絶対的な「度胸」だけは求められる。だって普段はスターなんかじゃない駆け出しの俳優だったとしても、演じるのは「スター」なわけだから。

必要ないというのは極論で、実際は、キャラと俳優による「知名度」「集客」「度胸」パラメータをいかにコントロールするかの作業になってくる。

分かりやすいのでつい刀剣乱舞の話しちゃうけど、「三日月宗近×鈴木拡樹」は、このパラメータを極限まで高めたところにあるキャスティングだと思う。キャラクターとキャストが、どちらが出過ぎることもなく、それぞれの足りないところを補完しあいながら、可能性を広げていく組み合わせ。だから映画化までこぎつけたと言っても過言ではないのでは。あれはもはや刀剣乱舞という作品の映画化というよりは、三日月宗近というスター主演の映画であったから。

かわりに、テニミュに代表されるような、完全にキャラクター先行、知名度ゼロのド新人を度胸で選ぶという選考の仕方もあります。でもこれには、キャラクターと作品自体に強いスター性が必要。テニミュでキャストの成長や代替わりを楽しめるのは、そもそもキャラクターと作品自体に強いスター性があるからだ。

そして、この2.5的な座組みにはひとつ絶対的な失敗があるのです。

それは、このパラメータが「キャスト>キャラクター」になってしまうこと。

「知名度」も「集客」も、キャラクターよりキャストのほうが上回ってしまうこと。これはいけない。これはまずい。だってスターであるキャラクターが食われてしまう。改めて言うけど、キャラクターコンテンツにおいては、「スター」の存在が作品をその作品たらしめる場合が多いから、「スター」が「スター」じゃなくなってしまったら、場が崩壊してしまうのです。

変な話、これがあるから、若手俳優はある程度実績を積んだらビッグタイトルにしか出れなくなっていくと思うんだよね。そして知名度のあるタレント(アイドル、芸人、など)をキャスティングできる2.5作品の役柄も限られてくる。パタリロとか(笑)。ああいう奇跡の組み合わせみたいの以外は正直、タレント的な知名度って邪魔になることのほうが多いのではないかと思います。

いや、もう何が言いたいかわかってると思いますけれど(笑)。

私は出自がジャニヲタだし、ジャニーズのことすげえ好きなんだけど、根本的に向いてないっていうか、コンテンツ同士がケンカしちゃう気がするんだよな~~~~~!!!!!!!!どう思う?滝P!!!!!!!!

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