【魔拳、狂ひて】構え太刀 七

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 三兄弟が渋谷で起こした惨劇から、今日で十日が経過していた。
 時刻は丑三つ時。薄暗い闇夜に、鳥や虫の鳴き声が騒がしく木霊していた。
       
「ああああああ退屈だな畜生ォ! 何で退魔師が誰も来ねェんだよ!!」
「待てども待てども現れん! 退魔師は腰抜けしかおらんのか!!」
「……騒がしいぞお前達。少し静かにしたらどうだ」
 子供のように癇癪を起こす剣次郎と剣三郎を、剣一郎が落ち着いた声でたしなめた。

 彼らは今、とある山奥にある空き地に潜伏していた。
 この十日間、彼らはこの空き地で鍛練や刀の手入れをして過ごしていた。
 いつでも立ち合いが出来るように準備を行いながら、強い退魔師が訪れるのを待っていた。
 しかし、退魔師がここを訪れることは一度もなかった。

 代わりに、低級妖怪が何度かやって来た。
 渋谷でとある妖怪が大事件を起こしたと耳にし、その首謀者達を仕留めることで、自分の名声を上げようと画策したのである。
 だが、低級妖怪ではこの三兄弟に太刀打ち出来るはずもなく、あっさりと斬殺されてしまった。
 それにより、彼らの不満は徐々に増し、今や爆発寸前の状態となっていた。

「でもよォ兄貴、もう十日だぜ十日! その間、一匹くらい退魔師がやって来てもおかしくねェだろ!?」
「うむ……確かにその通りだ。だが待てども待てども、来るのは雑魚妖怪共ばかり。少々考えが甘かったか……?」
「ぬう。虫けらどもを殺戮する程度では、退魔師は動かんというのか? 人間共による同士討ちだと、やつらは想っているのか……?」
 三人が頭を抱える。
 未だに標的が来ないという現状に、それぞれが辟易していた。

「……いや。我々があの日、あの街で行った殺戮は、普通の人間には出来るものではない。それに、あの場から引き上げる際、我々は妖術を使った。我々が妖術で姿をくらます瞬間を、多くの人間共が目にしている。そのことは間違いなく、退魔師達の耳にも入っているはずだ。今頃、やつらは必死になって我々を探しているに違いない」
 弟達に、そして自分自身に言い聞かせるように、剣一郎が語る。
 絶対的な確証は無かったが、そう言い聞かせることしか出来なかった。

「そ、そうだよな! そうだそうだ、今頃退魔師共、俺らのこと探して這いずり回ってるに違いねェや!」
 剣一郎の言葉に、剣次郎が空元気を引き起こす。
 ほんのわずかだが、表情に明るさが戻った。
「だが一郎兄者よ、このままこうやって待ち続けるのか? 俺はもう待つのが苦痛でたまらんのだが……」
 剣三郎が眉を寄せながら意見する。
 声の調子や表情から、我慢が限界に達しているという様子が感じ取れた。

「なに、いずれ退魔師はやって来る。その時までの辛抱だ。それまで──ん?」
 剣一郎の言葉が、不意に止まった。
 そのままゆっくりと、周囲を見渡す。
「……あ? どうしたんだ兄貴?」
「……様子がおかしい」
 剣一郎の目が鋭くなる。
 先程まで、喧しい程であった鳥や虫の声が、いつの間にか途絶えていた。
 辺りは今や、静寂が支配していた。
 その静寂に溶け込むように、ゆっくりと浸食してくる気配があった。
 気配は徐々に膨らんでいき、静寂に包まれていた空き地を呑み込んでいく。
 気配の正体は、殺気であった。

「何だ、この殺気……? ……ん? 兄貴?」
「一郎兄者、どうしたのだ?」
 弟たちが、兄に声を掛ける。
 剣一郎は、周囲を探るのをやめていた。
 代わりに、正面に顔を向け、その視線を一点に注いでいた。
 次男と三男が、長男の視線をゆっくりと辿っていく。

 ──その視線の先には、一つの人影が佇んでいた。

「ありゃァ……まさか兄貴!」
「……どうやら、お待ちかねの客人のようだ」
 剣一郎が呟く。
 すると、その人影がゆっくりと歩み寄って来た。
 一歩歩み寄るごとに、その人影の主の姿が明らかになっていく。

 数歩歩いたところで、人影が立ち止る。
 人影の正体は、小柄な体格の青年であった。
 黒いジャケットを羽織っており、袖口から、黒い手袋に覆われた手が突き出ている。
 ジャケットの上には、悪人面の頭が乗っていた。
 眉間に刻まれた皺の跡と、目付きの悪さが特徴的であった。
 その目が、三兄弟をまっすぐに睨み付けていた。

 剣一郎が一歩前に出る。
 そして、青年を睨み返しながら問い掛けた。
「退魔師か」
「そうだ」
「名乗れ。何者だ」
「青木衛」
 青年は、手短にそう名乗った。

「……ん? アオキマモル……? んん……?」
 剣次郎が何かを考え込み始める。
 衛の名に、剣次郎は聞き覚えがあった。
「どうした剣次郎。何か知っているのか」
「いや……なんか最近、そんな名前をどっかで聞いたような……えーっと誰だったかなァ……ん~~~……」
 剣次郎は表情をころころと変えながら、やかましく唸り声を上げる。
 何とか記憶の糸をたぐり寄せようとしていた。

「ハッ! 貴様が誰だか知らんが──」
 唸り続ける剣次郎を余所目に、剣三郎が不満げな表情を浮かべる。
「散々待たされた挙句、ようやくやって来た退魔師が、このような斬り応えの無さそうな小僧とはな。こやつ、本当に強いのか?」
 苛立ちを隠そうともせず、剣三郎が凄む。

 だが衛は、委縮することなく答えた。
「試してみろ。少なくとも、てめえよりは強いぞ」
「何!?」
 その言葉に、剣三郎が一層苛立ちを見せる。
 ぎりぎりと歯軋りをしていると、衛に向かって、剣一郎がまた一歩前に出た。
「む、兄者?」
「面白い。では早速試させてもらおう」
 そう言い放ち、己の太刀を構えた。

「オイオイオイオイ! また初っ端からマジでいく気かよ兄貴! 草間ン時みたいに一瞬で終わっちまうだろうが!」
「構わん。これで死ぬようなら、所詮はその程度の退魔師だったというだけのことだ」
 慌てて制止しようとする剣次郎だったが、剣一郎は構わず妖気を練り込み始めた。
 草間との立ち合いの時のように──否、その時以上の全力をもって放つつもりであった。

 それに対し、衛は微動だにせず、その場に佇んでいた。
 妖気を刀に宿し、空太刀を放つ用意が完了しても、衛は一歩も動かなかった。
 そして──
「シッ──!」
 ──口から呼気が漏らしながら、剣一郎が太刀を袈裟に振る。
 次の瞬間、刀剣から妖気をまとった衝撃波が発せられた。
 斬撃は空間を断ち切りながら、凄まじい速度で衛に向かって突き進んで行く。
 その時の三兄弟の脳裏には、一瞬で斜めに斬り裂かれる衛の姿が浮かんでいた。

 だがその時。
「な──」
 剣一郎が唖然とした表情を浮かべる。
 彼が放った衝撃波は、衛に直撃した瞬間、溶けるように掻き消えていた。
 当然の如く、衛の体には傷一つ付いていなかった。

 その光景を目にし、弟二人が目を丸くする。
「……ってあれ? 何だよ兄貴、失敗たァ珍しいな」
「もしや、次郎兄者の言葉を聞いて、考え直して手加減でもしようとしたのか?」
「──いや、違う。俺は今、全力で放った」
 剣一郎はそう言うと、再び空太刀を放つべく、妖気を込める。
「──フンッ!!」
 そして練り終えた瞬間、即座に空太刀を放った。
 だが、またもや斬撃は掻き消されていた。

 ──一体何が起こったというのか。その答えは、衛の体内に流れている特殊な『気』にあった。
 武術や中医学などにも気の概念は存在するが、ここでいう気とは、生物が体内に宿している特殊な生命エネルギーの事を指す。
 このエネルギーを用いることによって、動物や妖怪は、魔術、呪術、妖術、超能力といった超常的な力を使う事が出来るのである。
 神羅万象、この世に存在する全ての生命には、この気が流れている。
 当然それは、衛の体内にも流れていた。

 しかし──衛に内在する気は、他の生物とは異なる力を秘めていた。
 それは、『超常的な力を分解・消滅させ、完全に無効化する』というものであった。
 衛は、自身に秘められたこの気の事を『抗体』と呼んでいた。

 ──それを知らない剣一郎は、三度目の空太刀を放った。
 だがそれも、衛の抗体によって跡形もなく消滅する。
「何だ……? この男、一体何をした?」
 剣一郎が驚愕の表情を浮かべる。
 必殺の一撃が通用しない事が、彼には信じられなかった。
「何度やっても無駄だ。俺には妖術は通用しない」
 仏頂面を崩さず、衛が言い放った。

 その時、衛の言葉を聞いた剣二郎の目が、大きく見開かれた。
「ん……? 妖術が、効かない……? ……って、あああああああッ!?」
 突如、剣二郎が大声を上げる。
 眉を寄せた表情から一変して、明るい表情になっていた。
「思い出した! 思い出したぜ、こいつ『魔拳』だ! 『魔拳』だぜ兄貴ッ!!」
 嬉々としながら、剣一郎に報告する。
「魔拳……! なるほど、そういう事か……!」

「……んん? 兄者達よ。何だ、その『マケン』というのは」
 それを聞き、長男は直ぐに理解する。
 しかし、三男はぼんやりと不思議そうな顔をした。
 未だに事情が飲み込めていないようであった。

 それに対し、次男が怒鳴り付ける。
「このバカ! 最近やたら強ェって噂になってる退魔師だっつーの! テメェも一回くらい聞いたことあんだろうが!」
「うむ。冷静に考えると、噂と一致しているな」
「おう。『チビで目付きが鋭くて悪人面』、『両手にはめた黒い手袋』。それと──」
「『妖術の類が通用しない、奇妙な体』……だったな」
「ん~~~~……? ……あっ!」
 剣一郎と剣次郎が述べた特徴を聞き、剣三郎はようやく合点がいったという顔をする。
 衛の特徴と魔拳の特徴が、綺麗に一致していた。

「俺も思い出したぞ! そうかそうか、貴様が噂の魔拳とやらか!」
「そんな痛々しい名前は知らねえ。そこらの妖怪共が、勝手にそうやってダサい名前付けて呼んでるだけだ」
 満面の笑みで語り掛ける剣三郎に、衛は不愛想な様子で返す。
 それに対し、剣一郎がニヤリと笑った。

「では、遅れたがこちらも名乗らせてもらおう。我々は──」
「言わなくていい。構え太刀三兄弟だろ」
 名乗る前に、衛が当ててみせる。
 剣一郎が、僅かに驚いた顔をする。
 自分達の正体を知っていたことに感心したようであった。

「知っているのか」
「まあな」
 衛は、仏頂面のまま語り始めた。
「渋谷の事件の生存者から話を聴きに行ってる時に、三人の剣術家が殺された事件を思い出してな。何か繋がりがあると思って、遺体の傷と生存者の証言を元に、妖怪に関する古い文献を調べてみた。そうしたら案の定、お前らの事が書いてあった。まあ、おかげでここに辿り着くまでに大分時間がかかったけどな」

「へっ、全くだぜ! あまりにも遅いもんだから待ちくたびれちまった!」
 剣次郎はそう答えると、皮肉めいた笑みを浮かべた。
 先程まで激しい苛立ちを見せていた剣次郎であったが、腕の立つ退魔師が来たことで、すっかり上機嫌になっていた。

 剣三郎も、衛の正体を知るまでの喧嘩腰な態度とは違い、普段の尊大な態度を見せていた。
「がはははは! 最初はただの小僧が来たと思って、若干腹が立ったがな! だが、噂に聞く魔拳が来たとあれば、話は別よ!」
「うむ、これまでの非礼は詫びよう。よくぞここまで来てくれた」
 剣一郎はニヤリと笑った。
 今度こそ真の強者と闘える──そう思うだけで、胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。

「礼も詫びもいらねえ。それよりも、貴様らが何故あんな事件を起こしたのかを聞かせろ」
 剣一郎の言葉に対し、衛がぶっきらぼうに言い放つ。
 真顔のままであったが、言葉の節々に苛立ちがこもっていた。

「へっ、そりゃァお前、強い奴をおびき寄せるために決まってんじゃねェか!」
「『おびき寄せる』だと?」
 剣次郎の回答に、衛が怪訝な顔を見せる。

 構わずに剣次郎は続けた。
「おうよ! この時代の剣術家共があまりにも不甲斐ないもんだからよ、代わりに滅茶苦茶強ェ退魔師サンにでも相手してもらおうかと思ってな。そんで、並の人間じゃ出来ねェようなでっけェ事件を起こせば、退魔師が慌ててやって来るんじゃねェかと思ってよ!」
「ガハハハハハ!! そうしたら案の定、大物が釣れたという訳だ!! 流石は兄者達だ、次郎兄者の企みもそうだが、一郎兄者の案もまた豪快で素晴らしかったぞ!!」

「でもよかったよなァ、作戦が上手くいってよ! もしこのまま誰も来なかったら、ずっと待ちぼうけ食らってたぜ?」
「フン……ならば、また人間共に危害を加えれば良いだけの話だ」
「む、それは困る一郎兄者。あの時は虫けら共の悲鳴がギャーギャーと喧しくて敵わなかった! 一度ならまだ許せるが、二度はやりたくはないぞ!!」
「そうかァ? 俺は結構楽しかったんだけどなァ! 人間共のなっさけねェ悲鳴が気持ちよくってよォ! 特に女子供がバラバラになっていく瞬間なんかもう最高で堪ら──」

「もういい」

 兄弟達の愉快そうな会話を、衛の一言が中断させる。
 その表情は相変わらず無感動なものであったが──雰囲気が、先程までと変わっていた。
「お前らの目的が何なのかは分かった。お前らがとてつもなくしょうもない連中だってこともな。もうお喋りは必要ない。とっとと始めようぜ」
 衛の殺気が、大きく膨れ上がっていた。
 常人が触れると、それだけで怖気付きそうなほど、その殺気は禍々しいものであった。

「へへっ、そう来なくっちゃな! そんじゃ、まず誰とやりてェんだ? 俺達ゃとっくに準備出来てっから、誰でも──」
「全員だ」
「……あ?」
 予期せぬ回答に、剣次郎が目を丸くする。
「……全員だ。一匹ずつ仕留めていくのは面倒だ。全員まとめて面倒見てやる」

「何だと貴様……! ふざけるな!! 我ら全員と立ち合って、勝ち目があるとでも抜かすか! 人間風情がつけ上がりおって!!」
 剣三郎が怒鳴り散らす。
 三兄弟の表情は、先程までの愉快そうな様子とは打って変わって、怒りと屈辱で醜く歪んでいた。

「何か勘違いしてるらしいな」
 衛が冷酷に告げる。
「俺は、貴様らをブッ殺しに来たんだ。武人として正々堂々、一対一の立ち合いをしに来た訳じゃねえ。端っからそんなつもりは毛頭ねえよ」
「チッ……生意気な小僧が……!」
 剣一郎が舌打ちをしながら呟く。
 常に冷静さを心掛けている剣一郎が、珍しく怒りを露わにしていた。

 衛は、刃物のように揃えた両掌を掲げ、構えを作る。
 緊張は無く、程よく力みが抜けていることが見て取れた。
 衛の両目が一層鋭くなる。
 先程までの仏頂面とは打って変わって、怒りに震えた鬼のような形相であった。
「来いよ、下衆ども。一匹残らず地獄に叩き落としてやる」

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