【魔拳、狂ひて】爆発死惨 一

1            
 若い男女が、濃厚に唇を重ね合っていた。
 時刻は午前四時を回っている。その上、ここは人目につかない路地裏の奥。見咎める者など、誰もいなかった。

「……っはぁ……ンっ……ふぅ……」
 派手なドレスに身を包んだ女が、一度顔を離し、吐息を漏らす。
 刃物のような美しさを持つ美女であった。
 女の内面をそのまま形にしたような、美しい顔立ちであった。

「っ……へへ……」
 男が顔を歪めて笑う。
 顔立ちは整っているが、がらの悪そうな顔であった。
 年は女とさほど変わらないであろう。
 白いスーツに派手な色の髪型で、ホストのような風貌であった。

 男は再び口を重ね、己の舌を女の舌に絡める。
 女はそれに抵抗せず、男の行為を受け入れる。
 両者の舌の絡み合いは、しばらく続いた。辺りには、湿った口付けの音が響いていた。

 そこに──何者かの足音が混じった。
 歩いたり走ったりした時のような、規則的な音ではない。よろけた時に鳴るような、ばらけた足音であった。
 不規則な足音は、徐々に大きくなっていく。
 まるで、男女の下を目指して何者かが歩いて来るかのように。
 だが、男女はその音に気付かなかった。口付けに熱中しており、周りの状況など、意に介していなかった。

 ──その時。
「ふひひひひ……うひひひひ──」
 足音が止み、不気味な笑い声が路地裏に響いた。
「……!?」
「誰……!?」
 その声を耳にし、ようやく男女は口付けを止めた。
 互いに離れ、笑い声が上がった方を向く。

「隆史……!」
 女が呻き、憎々しげに顔を歪める。
 彼女の視線の先には、一人の男が立っていた。お世辞にも美形とは言い難い顔に、にたにたといやらしい笑みが浮かんでいる。年齢は、女よりも一回り程上であろうか。足元はおぼつかず、体が微妙に、左右に揺れていた。

「……っひぃひひひ……くひひ……見つけたぜ夏希ィ……!」
 隆史と呼ばれた男が、言葉を漏らす。口の端から、ねっとりとした涎を垂れ流していた。
「おい夏希ィ……なんで俺を捨てたんだよぉ……戻って来いよぉ……うひ……いひひ……!」
 男はそう言いながら、にたりと笑った。
 その両目には、どろどろとした狂気が宿っていた。

「……フン。言ったでしょ。あんたのことなんか最初っからこれっぽっちも想ってないわ。あたしは最初っからマサト一筋だったの。ねぇ、マサト……?」
 そう言いながら、夏希は白スーツの男──マサトを、熱っぽい視線で見つめた。
「へッ。バカな奴だよな、てめえは。俺らに騙されてるって全く気付かなかったんだからなあ」
 マサトはにやにやと嫌らしい笑みを浮かべる。
 そして、傍らの夏希を、力強く抱き寄せた。

「てめえの金は、俺達がしっかりと利用させてもらうぜ。痛い目を見たくないなら、尻尾を巻いてとっとと消えなよ」
 マサトが下衆な笑顔を浮かべながら、隆史を脅す。
「ふひ……ふひひ……!」
 だが隆史は、相変わらず奇妙な笑い声を発していた。

「ひひひひひ……痛い目ぇ……? 誰が……? 誰に痛い目見せるってぇ……?」
 眼前の二人を小馬鹿にするように、そう呟く。
「俺はなァ。カミサマになったんだよ。お前みたいなクズが、俺に歯向かえると思ってんのかぁ……?」
「……ああ?」
 マサトの顔が、見るからに不愉快そうな表情に変わる。

 マサトは元々、喧嘩っ早い性格であった。
 気に入らないことがあると、その原因となる人物にすぐに殴り掛かるのである。相手が血まみれになろうと、泣いて許しを請おうと、己の心が晴々とするまで、徹底的に。
 この時も、マサトは己を苛立たせる隆史を、しこたま殴ってやろうかと企んでいた。
 相手が血まみれになろうと、泣いて許しを請おうと、決してやめるつもりはなかった。何が何でも、殴り続けるつもりであった。いつも通り、己の心がスカッとするまで。
「てめぇ……俺を嘗め──」

 その時である。
 マサトの身に、異変が起こった。
「は──ご──!?」
 呼気を漏らしながら、マサトが己の胸と腹を、手で押さえた。
 それを見た夏希が、マサトの身を案じ、彼の肩に手を当てる。
「……? どうしたの、マサ──っ!?」
 心配そうな顔をした夏希の目が、驚愕で見開かれた。

 夏希が目にしたもの──それは、胴体が盛り上がり、膨張したマサトの姿であった。

「ま……マサト!? 一体──」
「う……ご……が…………!」
 マサトは、苦しそうに顔を歪める。
 悶えている間にも、胴体は徐々に肥大化していた。
 白いスーツがギチギチと音を立て、所々が裂けていく。風船のように膨れ上がった肉は、彼の両腕と両足、そして首の付け根を次第に飲み込み始めた。

「ひゃははははは! うっうひっ、のほほほほほほほほほ!!」
 その姿を見た隆史は、狂ったような笑い声を上げた。
 マサトの身に起こった怪奇現象が、可笑しくてたまらないと言った様子であった。
「た……隆史……! 隆史、あんた一体何をしたのよ!」
「ふひっ、ふひひひひひひ! いっ、言ったろ!?カミサマになったんだよ、俺っ、俺は、うへっ、きへへへへへへ!!」
 隆史が身を捩りながら笑い狂う。

 その時、何かが引き裂かれるような音が鳴り響く。
 マサトのスーツが、完全にバラバラに千切れた音であった。
 胴体の肉はなおも膨張している。その時既に、彼の顔の鼻から下は肌色の皮膚に呑まれ、四肢は肉風船の中に埋もれ、手首と足首の先だけがピョコピョコと動いていた。

「んぐ……おご……んごご──」
 マサトのくぐもった呻き声がこぼれる。肉で口が塞がれ、言葉を話せない。
 顔は苦痛と恐怖で引き攣り、両目から涙を垂れ流していた。先程までの、暴力的で威圧的な面影など、微塵もなかった。

「ぬふ……! ぬひひひひひひ!!」
 隆史はなおも狂った笑い声を上げる。
 そしておもむろに、風船と化したマサトに右手を掲げた。まるで、己の内面から溢れ出る、狂気のエネルギーを注ぎ込むかのように。
「!? ぐっ……むぅぅ! んんんんんんんん!!」
 マサトが苦悶の悲鳴を上げる。
 それを切っ掛けに、更に体が膨張していく。遂には、頭部と両手足が肉の中に完全に埋まってしまった。

 そして───
「ぐぼっ!?」
 ──弾ける音と共に、マサトの風船が破裂した。

「キャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 夏希の悲鳴が木霊する。
 その悲鳴が鳴りやまぬうちに、マサトだったものが周囲に飛び散った。
 膨張して千切れた皮膚と、その中に収まっていたはずのもの。
 そして、血濡れとなりつつも原型を綺麗に留めている両手足と、恐怖に引き攣った彼の頭部が。

「げ……うぇっ……おぇ……!」
 込み上げる吐き気に抗えず、夏希がその場で嘔吐する。
 吐瀉物と血の混ざった凄い匂いが、辺りに充満していた。

「やははははははは!! ざっ、ざざ、ざまあみろだ!! うへへへははははっはっはっはははははは!!」
 高笑いを上げる隆史。
 目の前で起こった惨たらしい現象を、心の底から楽しんでいた。
 まるで、面白いテレビ番組を見て無邪気に笑っている子供の様に。

「くきき……どうだぁ夏希ィ……凄ェだろォ……!?」
 隆史はそう言いながら、かつての想い人に声をかける。
「ひ、ひっ……!?」
 隆史に目を向けられた夏希が、引き攣った声を漏らす。
 マサトの血液で真っ赤に染まったその表情が、満ち溢れんばかりの恐怖で歪んでいた。

「ごっごめっ、ごめんなさい、ごめんなさい!! 違うの隆史! ち、ちょっとからかってやろうと思っただけだったの!」
 おぞましい様子を見せる隆史に屈し、ひたすら謝り続ける夏希。
 見開かれたその両目から、恐怖の涙が迸っていた。

「うひ……! ぬひひ……! 頼むよぉ夏希ィ……戻ってきてくれよぉ……! 俺はお前のことをこんなに愛してるんだぜェ……!? こいつはふっ飛んじまったけどよぉ……お前には何もしないからさぁ……! 今ならまだ間に合うからさぁ……戻って来いよ夏希ィ……!!」
 隆史が猫なで声で夏希に語り掛ける。
 声の調子は至って優しいものであったが、それが尚更、恐怖を助長させていた。

「分かってる、分かってるわ! あたしも本当は隆史のことを愛していたのよ!? マサトのことなんてどうでもいいと思ってた! あたしが本当に大好きなのは、あなた一人よ!」
 引き攣った笑みを浮かべながら、夏希は都合の良い言葉を並べ始める。
 それに気分を良くしたのか、隆史は再び高笑いを上げた。

「ひゃはははははははははは!! ならよぉ夏希ィ……俺の所に戻ってきてくれるんだよなぁ……? 嘘じゃねぇんだよなぁ……?」
「ほんとっ、本当よ! 戻って来るわ!」
「俺のこと愛してるんだよなぁ……?」
「当り前よ、愛してるわ! 隆史のことを、ずっと愛し──うぐっ!?」

 その時──呻き声を上げ、夏希がその場にうずくまった。
「な……あ……? あ……!?」
 夏希が己の鳩尾を凝視し、絶望した顔を見せる。
 彼女の視界に移ったのは、マサトの様に、徐々に膨らんでいる自分自身の胴体であった。

「い──嫌──嫌あああああああっ!!」
 夏希の頭の中に甦る、マサトが破裂した瞬間の光景。
 自分もそうなってしまうのであろうか──その最悪なイメージが恐怖の悲鳴となり、彼女の口から放たれていた。

「ぶはははははははははははは!!」
 そんな彼女に向けて右手をかざしながら、隆史は笑い続けていた。
「へへへ……どうも信用出来ないんだよなぁ……! 本当に嘘吐いてないか夏希ィ……!」
「ほ……ほん、とうよ……隆史……!お願、い、助け……!」
 苦痛に悶えながら、夏希が許しを請う。

 それを見た隆史は、一度笑い声を止めた。
 そして、ぞっとするような冷めた目付きで、夏希を睨み付ける。
「本当か……? 本当に愛してるのかぁ……? マサトって奴とは何も無かったのか……?」
「ひっ……」
 その威圧感に、夏希は顔を歪める。
 両目からは、涙がぼとぼとと溢れており、それが彼女の濃い化粧を流しつつあった。

「あ、愛し、てる……わ……! あたし……も、マサ……トに、騙されて、だか……ら……」
「……ふぅん……?」
 隆史はにやにやとした笑みで、夏希の言い分を聞く。
 しばらくそのままにやけ続けていたたが、突然無表情になる。

「……嘘だろ」
「……!」

 直後──凄まじい怒りを顔に宿し、夏希に怒鳴りつけた。
「嘘だろうが!! 分かってんだよ最初っからなぁ!! オラ言えよ夏希ィ! 正直に謝ったら、命だけは助けてやる!! 全部嘘なんだろうが夏希ィィィィィ!!」
「あ……! あ……!」
 怒りによって、大きく見開かれた隆史の両目。そこには、誰が見ても明らかなほど、狂気の光が満ちていた。
 正気を失い狂人と化した隆史と、己の身に起きている異変──現実から大きくかけ離れたこの事態に、夏希は歯をガチガチと鳴らしながら戦慄した。

「……これが最後のチャンスだ。ほら、謝れよ」
 隆史が右手を下ろす。
 同時に、夏希の体の膨張が停止した。
 だがその時点で、夏希の胴体は球体と化していた。
 マサトの鮮血で真っ赤に染まった風船のような体と、肉の膨張に耐え切れず千切れかけているドレス。その姿はまるで、真っ赤に熟し、所々の皮が破けた林檎のようであった。
 もう動かせるのは、まだ肉の中に埋もれていない手首と足首と頭部だけであり、逃げ出すことは不可能である。
 生き延びるための唯一の手段──それは、隆史に己の所業を懺悔することのみであった。

「ご……ごめん……なさい……」
 涙をぼろぼろと流し、苦痛を堪えながら、夏希が謝罪する。
 肉から突き出し、先程まで激しく動かしていた手を、力なく下げた。
「嘘……です……あなたの……ことを……騙して……ました……。最初から……あなたを……ハメる……為に……近付き、ました……! 許して……ください……お願い……します……!助け……て……ください……う……ぅぅぅ……!」
 目をぎゅっと瞑り、顔をくしゃくしゃにしながら、夏希が子供の様に泣きじゃくる。
 彼女は今、嘘偽りのない真実を語っていた。
 先程までの高飛車な様子とは真反対の態度。それが何よりの証拠であった。

 その言葉を聞き、隆史は満足そうに微笑んだ。
「うんうん……最初からそうやって謝ってくれれば良かったのになぁ……全く、夏希は本当に困ったヤツだなぁ……!」
 笑みを絶やさぬまま、うんうんと大げさに頷いて見せる。
「……でも、良く本当のことを言ってくれたなぁ、夏希……俺は嬉しいぞぉ……!」
「グスッ……ヒック…………許して……くれるの……?」
 夏希が目を薄く開き、隆史を見つめる。
 瞳に、僅かな希望が灯った。
「ああ、もちろん──」
 
 その時、微笑んでいた隆史の顔が、再び無になった。
「──許す訳ねぇだろうが」

「……!? あぐっ!?」
 再び夏希に、苦痛が襲い掛かる。
 同時に、停止していた夏希の体の膨張が再開した。
 隆史が再び右手をかざし、夏希を膨らませ始めたのである。
「あ……! い、嫌……嫌……! 嫌ああああああああああああああああああっ!! たっ助け──むぐっ!?」
 夏希は悲鳴を上げるが、それが突然止んだ。
 夏希の口を、膨れ上がった肩回りの肉が呑み込んだのである。

「むぅぅぅぅぅっ……!! んんんんーっ……!!」
「うっひひひいい、いぇははあははあは、のはははははへへへっへ!! おほっ、うほほほほほほほほへへへへへへへ、ぶははははははははは!!」
 夏希の無様な姿と、苦悶の声を認識し、隆史は歓喜する。
 膨張した肉風船の中に、彼女の両手足、頭部が完全に埋もれてしまっても、隆史の笑い声は収まらなかった。

 そして遂に──
「んんんんんんんんっ!!むぐううう……!?が、ば……ごばっ!?」
 ──夏希の体が、弾け飛んだ。

 夏希の血肉と排泄物が混ざり合って辺りに散乱し、凄まじい悪臭が立ち込める。隆史は、己の足元に転がっている、夏希の生首を見た。
「ふ! ふひっ……! ぬひひ! くっせェなぁ夏希ィ……! お前の中身は糞だらけじゃねぇか……! ぬひひひ、うひひひひ……! ひぇはははははははははははは!!」
 そう言うと、隆史はその生首を蹴り飛ばす。
 生首は、建物の壁に当たって跳ね返り、再び地面に転がった。
 それを確認すると、隆史はその場に背を向け、立ち去ろうと歩き出した。
 その間も、隆史は狂ったように笑い続けていた。

 夏希の生首が、転がるのを止める。
 粉々になった肉体と異なり、顔は綺麗に原型を留めていたが、マサトと自身の鮮血により、真っ赤に染まっていた。
 瞳にはもう、何も映ってはいなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?