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【企業研究】三井物産


はじめに

当記事では総合商社の三井物産についての企業研究を行います。

総合商社は就活生からの人気が極めて高い業界でありながら、
◆他社との差別化が極めて難しい
◆何が強みなのかが分からない
◆どの部署が花形なのか
◆どのような人物像が求められるのかを掴みづらい

といった特徴があります。

そこで、当記事では上記のような就活生の悩みを解決するべく、
◆三井物産の他社との違い
◆三井物産の中でどの部署が強い=花形なのか
◆三井物産がどのような人物を求めているのか

を三井物産の歴史を創業から辿り、丁寧な解説を行いました。

多くの方々のキャリア選択を成功させるきっかけとなれば幸いです。


基本情報

会社名 :三井物産株式会社
設立年 :1947年
採用人数 :例年130-150名程度
選考フロー :ES・適性検査→面接(3回)→内定

創業の歴史

-三井の起源は江戸時代まで遡る!?

三井財閥(本文では「三井」と略。)の沿革を抜きにして三井物産の歴史を語ることはできません。なぜなら、三井全体の発展と三井物産の歴史は密接に関わっているからです。

三井の起源は江戸時代にまで遡ります。創業者は伊勢商人の三井高利であり、身分は武士でした。三井高利は後に武士を廃業し、酒と味噌類を取り扱う質屋と呉服店を創業しました。この呉服店が後の「三越」であり、三井発展のきっかけになります。

-呉服店での商売が大ヒットして豪商に

(三井越後屋呉服店)

出典:https://wako226.exblog.jp/16131005/

江戸時代の呉服店の商売方法は「掛け売り」が基本でした。掛け売りとは、まず商品を相手に渡し、その数か月後に代金を掛け金を上乗せして払う方式です。この方法を取れば顧客は手元に呉服を購入できるだけの現金がなかったとしても代金を支払うことができます。三井高利はこの掛け売り方式から転換した方法で呉服を販売することにしました。その方法とは呉服を現金で店頭売買することです。現代でいう八百屋の現金払いのようなものです。掛け売りでなく店頭販売を行う大きなメリットは事業の資本回転率を大幅に向上させられることです。資本回転率が向上すればその分呉服の販売サイクルが速くなり収益を上げることができます。三井高利は呉服の掛け金を削減し、呉服を定価で販売することで顧客の獲得に成功しました。このような形で三井は発展の第一歩を踏み出しました。

-両替商としての機能も果たし政商へと進化を遂げる

出典:三井広報委員会ホームぺージ

三井は呉服店の商売の成功をきっかけに莫大な富を手にすることになります。ここから、三井は両替商(現代の銀行のような役割)に事業を発展させます。当時の江戸時代では使用貨幣が3種類存在していたため、江戸幕府は貨幣流通に課題を抱えていました。三井は越後屋(呉服店の名称)を通じて江戸幕府が両替を行いたい大量の金貨を商売の過程で流通させていました。そこに目をつけた三井は江戸幕府との公金為替を提案しました。そして、この提案は承諾され三井は両替商として金融事業を発展させるだけでなく江戸幕府、すなわち政府とも接点を持ち、さらに力を拡大させることに成功しました。

-三井物産の初代社長は28歳!?

出典:三井広報委員会ホームページ

三井物産の前身は大蔵省出身の井上馨、益田孝と商人である岡田平蔵を中心に立ち上げた先収会社です。先収会社は米、毛布、銃、銅などの製品の売買を行っていました。初代頭取は幕府使節団として渡米経験を持ち英語に堪能であった益田孝です。しかし、後に井上馨が政界へ復帰することが決定されると先収会社は閉鎖されることになりました。そこで、三井は今後の明治維新による外商との貿易拡大を予見し、先収会社の業務を引き受けることにしました。この際に誕生したのが旧・三井物産(後に解散される)です。三井は三井物産の初代社長に当時28歳であった益田孝を任命しました。

-三池炭坑の落札を機に急成長

出典:三井広報委員会ホームページ

1880年代後半になり、明治政府が官営であった三池炭坑の払い下げを行いました。三井は三菱との競争になりましたが、僅差で三池炭坑の落札に成功します。当時は明治維新の真っ只中で日本は産業の成長期であったため、石炭は重要な資源でした。だからこそ、旧・三井物産の初代社長である益田孝はこの炭鉱の落札に乗り出しました。そして、その先見の明は功を奏し、三池炭坑は三井に莫大な収益をもたらすことになりました。

-財閥解体後、合併を通じて新・三井物産に

戦後、マッカーサー率いるGHQに三井は解体されてしまいました。旧・三井物産も同様に、第一物産、第一通商、室町物産、日本機械貿易を中心として分社化されました。しかし、1951年のサンフランシスコ講和条約によって財閥解体が中止され、元・財閥企業の合併が進められることになりました。その後、分社化された4社を筆頭に合併がなされ現在の新・三井物産が誕生しました。

企業理念/求める人物像


出典:三井物産「中期経営計画2023」

-挑戦と創造

三井物産の企業理念は「挑戦と創造」です。

歴史から分かる通り、三井は従来の常識であった掛け売りの常識を破って呉服屋として発展しました。また、三井物産の初代社長も日本では考えられない28歳の人物を登用したりと古くからの観念を打破して挑戦していく姿勢が感じられます。このような沿革から、三井物産は個人の行動・成長を重視していると考えられます。現在、三井物産は資源依存型の事業ポートフォリオから脱却すべく、事業で新しい挑戦と創造を試みています。だからこそ、より一層主体性を持ち、変革を恐れない学生を採用したいのではないでしょうか。

-番頭政治

三井の歴史で有名なのが「番頭政治」です。

番頭政治とは、三菱のように岩崎家が組織の判断をトップダウン式で行うのではなく、事業を行っている店主に三井家よりも裁量権を与える経営方式を指します。このような歴史があるからこそ、三井は「人の三井」と称されており、組織経営において「個人」が重視されてきたと読み取ることができます。だから採用においても「自分史」といった個人を重視する採用形式を課しているのだと考えられます。

事業内容

三井物産の事業セグメントは7つに分かれます。

なかでも注目するべきは次世代・機能推進セグメントです。三井物産は自社の中における注力事業を次世代・機能推進セグメントに統合する形を取っています。部署単位で注力事業を決定するのではなく、組織で一体となって成長分野を決定し、投資を行おうとしている背景が見受けられます。

ここからは、
◆三井物産の強み
◆三井物産は今後どのような戦略を取るのか

を分析していきます。

これらが分かれば、
◆三井物産の花形部門はどこなのか
◆自己PRに盛り込むべき強みは何か
◆三井物産が今後求める人物の能力

が見えてきます。そして、志望動機/部署選びをスムーズに進めることが可能になります。

三井物産の強み

約70%の営業キャッシュフローを稼ぎ出す資源分野

出典:三井物産「統合報告書2021」

-古くから培ってきた資源分野の事業経営

三井物産は1800年代後半の三池炭坑の運営や戦後の中東地域での油田開発など、資源分野の事業経営を数百年に渡り行ってきました。落札当初、三池炭坑は石炭発掘の際に大きな問題を抱えていました。その問題とは炭鉱を掘れば掘るほど水が湧き上がってしまうことです。これは石炭採掘を妨げる要因となります。そこで三井物産は欧米の炭鉱を視察し、海外の技術を積極的に取り入れ、見事三池炭坑の運営に成功しました。このように、三井物産には古くから炭鉱・油田をはじめとする資源分野の事業経営を工夫を凝らしながら行ってきた歴史があるため、鋼材事業に精通しており、その事業経験を国内外のプロジェクトに応用することができます。

-三井グループが持つグローバル流通ネットワーク

出典:三井物産「統合報告書2021」

三井物産は1900年代前半から積極的な海外展開を行ってきました。その背景には、三池炭坑で生産された石炭の販売や日本の高度経済成長期に必要な海外資源の調達先の確保が挙げられます。そのため、三井物産は国内外に多くの調達・流通ネットワークを有しており、生産した資源を大規模に販売することが可能になります。

資源分野の周辺関連事業にも圧倒的な強みを有する

出典:三井物産「トピックス2017年」

-資源の管理・活用体制を整える産業インフラの開発

三井物産は国内外で生産・調達した資源を流通させるためにエネルギープラントなどの産業インフラを開発してきました。産業インフラの開発は数十年規模になり、実績および経験を積み重ねるのは難しい特徴がありますが、三井物産はその長い創業の歴史から日本の成長期を通じて携わってきました。だからこそ、三井物産には産業インフラ開発に対する経験が多く蓄積されていると考えられます。今後、アジア新興国は成長が期待されており、ますます産業インフラに対するニーズは高まると考えられ、三井物産が強みを発揮する機会は増えるのではないでしょうか。

-モビリティ、産業建機の流通にも強み

産業インフラの開発ではモビリティを中心とした物流機能の整備と産業建機が求められます。しかし、新興国の場合、産業に必要な物流機能や産業建機を全て最新のものにしたり、購入することができません。だけれども、三井物産はそのような新興国のニーズに応えるべく、古くから輸送・産業建機のリースおよび販売機能を充実させてきました。だからこそ、新興国の産業インフラ整備のニーズに対して豊富なソリューションを通じて対応することができます。

三井物産の今後の戦略

-リスクの高い事業ポートフォリオからの転換

三井物産の事業ポートフォリオは収益性が高い一方で、非常にボラティリティが大きい構造をしています。なぜなら、三井物産の事業構成は資源分野に大きな比重を置いているからです。ところが、世界経済が何らかの形で停滞してしまった場合、市況環境に左右されやすい資源分野の収益は低下し、三井物産全体の利益が大きく減少してしまうことが新型コロナウイルスの感染拡大によって露呈されてしまいました。一方で、市況環境に左右されにくい生活関連事業に投資を継続的に行ってきた伊藤忠商事の強さが証明されました。だからこそ、三井物産は今後生活関連事業に大きな投資を行い、事業ポートフォリオの市況リスクを抑えながら、資源分野の効率化および次世代ビジネスへの投資を行っていく方針を打ち出しています。

-再生可能エネルギー・ヘルスケア分野への注力

三井物産は資源分野に強みを持っていますが、日本の国内市場の縮小および世界的な脱炭素化社会に向けたエネルギー転換の影響で、既存以上の利益を長期的に上げることが難しくなってきています。だから将来的な新しい収益の柱を見つける必要に迫られています。このような環境下で三井物産が注力を積極的に行っていく分野は再生可能エネルギーとヘルスケアです。再生可能エネルギーはその生産・運営・管理にかけて大規模なプロジェクト遂行が求められます。しかし、三井物産には過去から築き上げてきた資源ビジネスの事業経験があるため、他社よりも競合優位性を持ちながら新エネルギーの生産・流通インフラを作り上げることができると考えられます。また、ヘルスケア分野においては、三井物産は海外で大規模な病院の買収を行っています。これは、先進国の中でも日本はいち早く高齢化社会を迎えるため、日本の取り組み・症例を海外に展開できると考えただけでなく、生活者のデータを病院を通じて取ることができ、生活関連事業に活用可能性があると見込んだからだと考えられます。

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