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目の前で起きているのに目に入らないドラマ

「ほら。こんなところに羽根が落ちている。猛禽類がここらで狩りをしているんだよ。他の鳥たち、たまったもんじゃないだろうな。」

フィールドの師匠(とわたしが勝手に呼んでいる)と行動を共にすると、周りから捉え得る情報量の違いに圧倒される。ほんの数十メートル歩く間ですらも、目だけではなく、香りや音、時間帯や気温など五感に触れてくるもの全てをキャッチし、分析をし、さらりと教えてくれる。

「地面に落ちている数本の羽根」から、頭上で展開されている鳥たちの必死の攻防戦が立ち上る。人の気配があまりない寂れた町が、突然ドラマチックに変化する。師匠の一言が無ければ、単なる厚岸の街中散歩で終わっていたはずなのに。

「見る」ことと「眺める」ことは違うし、「見て感じる」と「眺めて感じる」も違う。

そこに「どうして?」が加わると、どんな光景も色彩を増し、記憶に残る一瞬になる。

師匠の頭の中には、木々やお花、鳥類等、ありとあらゆる野生の動植物たちの生態から種類から、知らないものは無いんじゃないか、というくらい膨大なデータが入っている。

どんな質問にも躊躇なく答えてくれるし、質問をフックにして関連する他の生態系のお話しもしてくれる。

生活していると、生きることを忘れがちだ。オートクルーズの車のように自動的に駅へと向かい、改札をくぐり、外に出て現場に向かう。その間、目の前で起きているのに、目に入っていないドラマの何と多いことだろう。

師匠に連れられて歩く北海道は、そんなことを思い出させてくれる。

写真は、釧路湿原。


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