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「出口なし」

「拷問は… 他人だ」

どんな皮でも人は被れる。少なくとも、この世にいる間は。人は見たいものを見るものだし、見たくないものは、無意識のうちに無いものにしてしまうから。小さな裏切りも、意気地の無さも、ドロドロとした妬心も、すべて笑顔という名の無表情に隠してしまえるから。

でも、本当は知っている。自分はこの「ドロドロ」のせいで、地獄へ行くのだろうと。だから、登場人物は全員、「地獄」に行き着いてしまったことそのものには動じない。

ただ、地獄の光景に驚くだけだ。火の地獄やら、空腹の地獄など、東洋でも「地獄」と聞いて思い浮かぶのは、身体的な痛みが多く存在する空間だ。

だが、この地獄は違う。ソファが3脚。ブロンズ像。ペーパーナイフが一丁。窓はない。鏡もない。歯ブラシも、くしも、自分の外見を整えられるものは一切ない。自分の外見を見ることができるのは、同じ地獄の住人である二人の他人だけ。電気も消えない。身を隠す闇は、未来永劫訪れない。

だが、二人にどれだけ自分をさらけ出そうと、救いはこない。懺悔にはならない。何しろ相手は同じ穴のムジナなのだ。そして、散々相手をなぶった挙句にあぶりだされる自分とまた対峙し、そこから目を逸らし、またはそんな自分を受け入れて、再度、「他者の目」という拷問にさらされる。

出口がない、という地獄。

「痛み」は、真の苦しみではない。悪人とは、罪人のことではない。

登場人物3人の会話だけの90分で、空気がどんどん動く。3種類の「2対1」は流動的に、だが常に、確実に、対立を生み出す。

瞬きが出来なかった。

大竹しのぶの存在感たるや。そしてそれに負けない多部未華子の無邪気なドス黒さたるや。

舞台装置は一切動かないのに、少しの笑いと、僅かな音と照明の変化で、緩急がぐんぐんつく。

圧巻。


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