失敗とは季節のようなもの

以下、
GLAYのリーダー TAKUROさんのインタビューより引用。



僕は,失敗というものはそもそも存在しない,と思ってるんですよ。
「ただそこにおのれの心,人の心があるだけ」だと思っているんです。

例えばスキーを始めて,うまくなりたいと思いながら滑ってみる,
そして転ぶ――
それを「失敗」とは言わないでしょう。
転ぶのは,いつかスキーがうまくなるための“プロセス”に過ぎない。

失敗というのは,ちゃんと顕微鏡で見てみると,
ただそこに「事実」が重なっているだけなんですよ。
だから粛々と,その事実をもう一度改めて分析してみる。

例えばスキーで転んだら,
「転んだ原因は,体重移動がおかしかったんだ」
という「事実」があるのみ。
それを失敗と呼ぶか呼ばないかは,その人の器量,
考え方によるんじゃないかな。

そしてどんな失敗があろうと,最終的に死ぬ間際に
「ああ,いい人生だったな」と思うことができれば,
その失敗はすべて“プロセス”って言葉に変えられると思うんです。

だとしたら,「人の心の在り様のみが,失敗を定義する」と
言えるんじゃないかなって。

たぶん失敗なんて,季節と一緒なんですよ。
毎年必ず春が来るみたいに,
人生の中で当たり前に巡ってくるもの,
そう思えばいいんじゃないかな。

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