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権利と義務

「権利ばっかり主張しやがって」「今の若者は権利ばかり主張して、義務を果たそうとしない」

権利という言葉について考えるとき、よく出てくる言葉です。辞書を引いてみると、権利と義務は対義語として扱われます。対の概念となっているからこそ、「義務を果たさない者に権利はない」ということが言えそうですね。

今日はこの二つの言葉は本当に対になっているのか、言い換えると、権利の発生するところに義務が発生するのかということについて考えていきたいと思います。

権利や義務という言葉が発生するためには、少なくとも二者間以上の関係性が前提になります。一人の中では権利や義務を考慮する必要はありません。(そもそも道徳が必要ありません。)

ここでは、国家a(以下a)と個人b(以下b)の二者間で考えてみましょう。

aはある権利を使用したとします。ここでは分かりやすく徴税権としましょう。この徴税権を行使したときに義務を負うのは一体誰でしょうか?

そう、aではなく、bに義務が発生します。つまり権利を行使するものに義務は発生しません。それは生存権や自由権、環境権にも言えることです。それらの権利によって決められている物を準備する義務を負うのは権利を行使した側ではなく、権利を行使された側です。

これは、権利というものの性格が、基本的に何らかの保護を目的とした概念であるからかと思われます。社会生活を営むうえで基本的に守られ互いに尊重されなければならないものを権利として、人類は権利を拡大させていく方向に舵を切っています。

だからこそ、納税の義務を怠っている(いかなる理由であろうとも)人であっても生存権は保障されます。義務を守っていないからといって権利がはく奪されるということは本来筋が通りません。(ただし、権利が定められている条項に義務違反に関する項目がある場合は別です。また、売買契約の場合、支払いの義務を怠った場合はそもそもの契約自体が無効になります。)

では、義務を果たす必要がないのかというと決してそういうわけではありません。先ほどの徴税権を例にして考えてみましょう。aによる徴税権を行使をb一人のみが一方的に義務を放棄した場合はあまり問題になりません。なぜなら、aは他の不特定多数の人に権利を行使できるからです。たくさんの人(全員ではない)が権利と義務の関係を守っているという前提において、上で言ったことは成り立ちます。逆に言うと多くの人が義務を放棄し始めると権利を行使する対象がそもそもなくなってしまうということが起こりうるのです。お金をちゃんと払わないとそもそも社会保障はできませんからね。義務を負った側がその義務を果たすための財源はどこかを考えるとわかりやすいと思います。

以上、権利と義務の関係でした。


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