Tokyo in Lives and Memories

2018年9月12日、あの5人のドッツの活動は終了した。
ドッツについては、その音楽性、パフォーマンス、メンバー、コンセプト、緩くてぐだぐだな試みの数々、語りたいことは尽きない。
その中でも、私がドッツに魅了された大きな理由として、彼女たちのライブがある。
私はドッツとドッツのライブを愛した。
彼女たちが出演した数々のライブ、お披露目も1stワンマンもキネマもいつかのミルキーも全て等価であるが、どうしても個人的に思い入れのあるライブがある。
ここでは5人のドッツに区切りをつけるためにも、私個人の心に残った5人のドッツのライブを書こうと思う。
ライブを振り返ることで、ドッツのどのようなところに惹かれ、ドッツの何を見てきたのか、その輪郭を少しでも描ければと思う。

1stワンマンライブ
「Tokyo in www」
2017/9/4@渋谷WWW

90年代を中心とした多様なポピュラー音楽を軽薄かつポップにキュレートした楽曲群、アイドル、ボーカロイド、Information Technology等のサブカルチャーを並列に接続したポストモダンな演出、いくつかの概念化の特性をもつキャラクター然とした少女たちによる説明なしの疾走感あるパフォーマンス。
ドッツというグループの所信表明のようなライブであり、ある時期から国内のどんな表現にもピンときていなかった自分の空白を埋めるような出会いだった。
それは規定されることを望むコード化の揺り戻しの時代に、傲慢な相対主義からも離れた、世界と世界の差異と可塑性を肯定する稀有な表現だったと思う。
そして、その表現の中心にいるメンバー達の圧倒的な求心力。
まいめちゃん含め、6人の個性が初めて見たこのライブでもすっと自分の中に入ってくる程それぞれが際立っていた。
特に、赤いリボンをした子の格好良さと可愛さにくぎ付けになった。
その子がライブ後のMCで発した「ドッツはそれぞれの楽しみ方で楽しんでいい」というメッセージ。
今もその言葉が心に響いているほど多大な影響を受けた。
「snoozer」編集長田中宗一郎の言葉を借りると、「時代と世代、イデオロギーを横断することで既存のコミュニティを再定義するポップの役割」を実践するような野心に満ちたライブだった。

ブラックナードフェス
2017年11月11日@八広地域プラザ 吾嬬の里

家族連れが目立つアットホームなコミュニティセンターで開かれた、「界隈越境」をテーマにしたイベント。
確かアイドルの参加は姫乃たまとドッツだけだった。
古参のオルタナティブパンクバンド「ガセネタ」、その後もドッツと対バンするノイズバンド「エレファントノイズカシマシ」、「壊れかけのテープレコーダーズ」らの出演陣に交じり、音楽に最も被れていた15年以上前熱心に聴いた古明地洋哉が名を連ねていたことには歓喜した。
・ちゃん達を通じて、忘れていた素晴らしい音楽との再会や新たな文化との出会いが幾度となくあったが、それらとドッツが並列であり媒介であることを示してくれたイベントだった。
ライブはクリスマスパーティのような手作り感のある飾りつけのステージで、まるで文化祭の出し物のように行われ、ノイズ組曲で・ちゃん達がフロアまで駆けだして暴れていた。
物販も学校の教室のような場所でだらだらと制限なく行われ、この日初めて・ちゃん以外の・ちゃんとチェキを撮った。
非アイドルでアウェーなイベント、スノッブ感、特殊な会場、緩さ、ドッツの真骨頂が詰まったライブだった。
フェスの序文にある「違いを認め合うことではなく、ただそこに存在すること、普通の考えとしてあることの渇望」はドッツというグループのありようと地続きであると思う。

メリークリスマス!ギュウ農フェス
2017年12月25日@渋谷WWW

(Inventionsのみ)

2017年のクリスマスに行われた、ドッツが初めて出演したギュウ農フェス。
ここではライブ自体ではなく、1曲目で披露された「Inventions」について書きたい。
この時期のドッツにとってギュウ農フェスは、やっと出ることのできる大きなイベントであり、発表後はメンバーもここに照準を合わせていたようで、・ちゃんも珍しく「ギュウ農の・達を見届けて」というような趣旨のことを言っていた。
対バンもGANG PARADE、BiS、ヤなことそっとミュート、MIGMA SHELTERらドッツにとっては格上と言える面々で、他グループのオタク達にもまだあまり知られていなかったように思える。(GANG PARADEの運営と会話をしたが、ドッツを知らなかった)
そんな状況の中、初出場ながら注目されていたTask have Funのアイドルらしいパフォーマンスの後に登場したドッツが1曲目で演じたのが、1か月程前に初披露したばかりのアメリカ・ジョージア州のインストゥルメンタル・ポストロックバンドのカバー曲「Inventions」だった。ドッツオタク以外の客が圧倒的に多くほぼ満員のWWWという緊張感の中で、・ちゃん達はこの日のために完成度を高めてきた「Inventions」を披露した。
自意識的なパフォーマンス、EDM的快楽、大仰なハードロックのエモさに慣れたマジョリティな価値観を揺さぶった瞬間だった。
基本的に数値で評価できない「表現」に優劣はないと思う。(最低限度はあるが)
あるのは好きか嫌いかだが、その好き嫌いは思想的な問題を孕む。心動かされる表現に出会った時、ただその表現に感動するだけでなく、自分が世の中に言いたかったことを代弁してくれているような気持になったことはないだろうか。
この日の「Inventions」には、まさにそんな痛快さがあった。

第8回定期公演 Tokyo in Words and Letters
2017年12月30日@原宿ストロボカフェ

メンバーに「観光客の哲学」を読ませて感想文を書かせたり、既存曲の別詞を作詞させたりと定期史上もっともスノッブで物議をかもした企画。
当日1部で感想文の発表と解説が行われ、スノッブさについていけないオタクの不満が充満した中で2部のライブが行われた。
不穏な雰囲気の中、会場の空気の薄さも重なって1部で既に体調を崩すメンバーがでていた。その不安が2部のライブで如実に形となり、タフな・ちゃんも体調を崩し、・ちゃんは壁に脚を打ち付けて椅子でのパフォーマンスとなり、まさに満身創痍のライブになった。
クライマックスは1部から体調を崩していた・ちゃんが最後に限界を迎え震えて崩れ落ち、床に突っ伏しながら「大変申し訳ありません」と言葉を絞りだした場面か。
あれほど壮絶なライブはあれ以前も以降も見たことがなく、運営はその後絶対にメンバーを倒れさせるようなライブはしないと決意して必ず給水タイムを設けるようになった。
3.11後の哲学に影響を受けている運営が、その出自の東浩紀の思想をテーマにした企画だったが、その後オタクの間で「代替可能か不可か」と言った議論とコンフリクトを招くこととなった。
その末路が3.30だったとしたら、なんともドッツと言うグループの困難さを表していると思う。

5thワンマンライブ
「Tokyo in Picture」
2018年2月19日@東京キネマ倶楽部

最も思い入れがあるわけではないが、観終わった後に受けた衝撃は一番だったかもしれない。
エンターテインメントとしての完成度やパフォーマンスの熱量では、その後もこのライブを更新できなかったと思っている。
入場後すぐに表れる素顔のメンバーの肖像画というドッツの存在自体を巧みに利用した衝撃的な仕掛け、大正ロマン風の会場の雰囲気を活かす絵画をモチーフとした演出、・ちゃん達のこのワンマンにかけてきたことがわかる充実したパフォーマンス、「1998」を更新し90’sラバーズ以外にも訴える「Can you」のお披露目とオタク以外にも広く受け入れられるポテンシャルがあった。
アイドル運営が専業でなく、洗練された大人とは言い難い集団が、これだけ強度のある表現を作り上げたという事実に今尚驚きがあり、そこに意味があったのだと思う。ドッツの面白味のひとつに、その不完全さ予測不可能さを楽しむこともあるから尚更。
(ただ、その近さからショービジネスでもありサービス業的側面も持つ地下アイドルという枠組みにおいて、アイデア勝負の場当たり的で細やかな気配りにかける旧態依然としたロック的とも言える態度は、内向きで少しでも既成の枠をはみ出せば直ちにSNSの監視に遭う時代に、少なからぬ人達を運営批判に向かわせたこともわかる)
だからこそ、もっと多くの人やインフルエンサーにこのライブを観てもらえたら違う未来があったかもと思ってしまう。
個人的には「Can you」のイントロで後ろの椅子に乗っていたウサギの置物の頭をぽんっと叩いた・ちゃんの姿が忘れられない。

あるばとろす vol.1
2018年5月6日@塩竈市杉村惇美術館大聖堂

3.11後の哲学が出自のドッツが初めて被災地に降り立ち、塩竈にある被災後に建てられた美術館で、東北で活動するパフォーマンスグループに交じり参加したイベント。
自分が求めるドッツの全てが凝縮されたようなライブだった。
スノッブ感のある企画、クセのある共演者、・ちゃん達の純真さを際立たせる会場、ノイズが響く音響、円熟のパフォーマンス、全てが完璧。
生涯これを超える音楽体験はもうないのではと思っている。
一組目の非知ノ知のインプロヴィゼーション・ノイズ、ぽれぽれのアフリカンビート、マヤマのガチかネタかわからないアマチュアリズム溢れるジャグリングからドッツまでずっと映画の世界にいるような不思議な気分だった。
マヤマが終わり、「ねぇ」のイントロが流れて会場後方から黒衣装に身を包んだ・ちゃん達がステージに歩いていく場面、本当に・使がこの世に現れたと思うような瞬間だった。
天井が高い教会のような会場だったため音が心地よく響き、ガラス張りのステージ正面からは充分な光が差し込み、まるでノイズと・ちゃん達に包まれているような至福の時間。
震災で亡くなった魂が・ちゃんとなって降りてきたのか、いや本当はこっちが既にこの世にはいなく束の間・ちゃん達に魂を癒されていたのか。
そんな夢想をずっと続けたくなるような特別すぎる思い出。

そして、最後に次点としてもう一つ書いておきたいライブがある。
ここに私がドッツに惹かれたヒントがあるような気がしているからだ。

Maker Faire Tokyo 2018
2018年8月4日@東京ビッグサイト

音楽のイベントでもなければ(IoT、AI、VR等のテクノロジーの見本市)、参加団体でアイドルは一組だけ、ライブもビックサイト会場隅の特設ステージで行われた真正アウェーの、後半の活動ではあまりなかった真骨頂の現場。
運営が用意したテクノロジーなネタもアクシデントでうまく起動せず、音響ももちろんイマイチで手負いの4人態勢。
スイッチが入るまで多少時間がかかったが、途中からひとつひとつの歌やダンスを丁寧に静かだけど熱のあるパフォーマンスを見せてくれた。
そう、ドッツはいつも場に受け入れられるかわからない異物な存在として闘ってきた。
でももうこんなに自信をもって堂々とパフォーマンスしている、その・ちゃん達の強さ、覚悟に泣けた。
私たちはもう麻痺しているけれど、やはりあの眼鏡の様な物をして素顔を出さずに、人々が拠り所にする価値観に挑みながら(が故にその価値観に囚われる者をも引き受けるお天道様なのだ)、20歳前後の少女たちが貴重な青春の時間を使って「アイドル」をしていくことは想像を超える困難さや葛藤があっただろう。
それでも彼女たちが・ちゃんであり続けた覚悟は相当なものだったと思う。
特に世間のアイドル像まんまの少女とそれを見に来るオタクが大半の中で自分たちの表現をやりきった、熱狂のTIF2日間の後だったからより感じた。
そしてこの日の夜にあの発表があった。
この後2周年企画のSeason Seriesに入っていくのだけれど、私の中ではこれがあの5人のドッツの集大成だった。(一人欠けていたことも含めて)
後から聞いた話だが、このイベントにオタクを呼ぶか運営は迷ったが、最終的にオタクを信じたらしい。

以上が私個人の心に残る5人のドッツのライブである。

・・・・・・・・・と言うアイドルに、青春をかけた少女たちがいたことを私は生涯忘れないだろう。


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