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今思い出してもゾッとする、プロデビューの思い出

僕が初めてプロのオーケストラに客演したのは大学3年のとき。在京の楽団の演奏会で、指揮者は日本の大御所指揮者の一人、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」がメインのプログラムでした。
他に外山雄三さんの「管弦楽の為のラプソディー」などを演奏し、リハーサル1日、本番1回という日程だったので、きっと定期演奏会ではなく、音楽鑑賞教室や企業向けコンサート的なお仕事だったのではないでしょうか。コントラバスのトップがゲストのフリー奏者で、初めての僕が3プルトの表に座っていたので、おそらく正団員さんはほとんどいなかったと思われ、言わば典型的な新人デビュー、テストの場と言えます。

東京芸術大学や桐朋学園大学だと、プロオケに入団していたり、フリーでもプロオケの仕事をしている先輩方が多く、プロオケに行った時にどうするべきか代々伝わっていくのですが、当時、東京音楽大学には、プロのオーケストラでガンガン仕事をしていらっしゃる方が少なく、「プロオーケストラに行ったらどのように振る舞うべきか」を教えてもらう事はほとんどありませんでした。
「今度プロオケに行くことになりました」と先輩に伝えたら「お~そうか、リハーサル開始の1時間前には着いておけよ」と言われたのはぼんやり覚えています。
ちなみに今では東京音楽大学出身の団員さん、フリーでも活躍している人がかなり増えてきたので、僕のような思いをする事は無いと思われます。

僕はもともとベルリンフィルが大好きで、祖父が所属していたNHK交響楽団、父が所属していた新日本フィル以外に日本のオーケストラの事はほとんど知らなくて、正直このオーケストラについてよく知らなかった、そもそもオーケストラがいくつあるかすら知識にありませんでした。

お仕事の連絡を戴いたものの、リハーサル会場の場所すら知らない。「それどこですか?」と訊ねたらエキストラ係の方がFAXで地図を送って下さいました。オーケストラの曲をどのように勉強するべきかもよく分かっていなかったので、声をかけて頂いた楽団に楽譜を受け取りに行く事すら知らず、とりあえずベートーヴェンの曲だけ何度も聴いて、ほぼ初見でリハーサルに向かいました。正直、最初は楽団の楽器を弾く事すら知らなくて、楽器は持参する物だと思っていたくらいだから、今思えば本当に恐ろしいですね・・・。

いざリハーサル会場に着いたら、まずどの席に座れば良いのかも分からない。ウロウロしていたら、ステージマネージャーらしき人が「あそこにプルト表があるよ」と教えてくれたので、表を確認してとりあえず座り、周りの人が来るのを待ちました。

少しずつコントラバスの人が集まり始め「おはよう~」と言われたので「おはようございます」と返します。当然、新人として「はじめまして、コントラバスの鷲見です。よろしくお願い致します」と全員に挨拶するという常識も知らないから、挨拶されたら返すという、まるで大御所のような態度。周りが音を出し始めたのを見て、勇気が出てようやく練習を開始しました。

そこで、普段弾いている楽器とツボが違う事に気づきます。「あれ、弾きにくい」となりますが、与えられたものは仕方ないので慣れようと必死に練習します。楽譜もほとんど初めて見る状態だから、30分くらいで楽器に慣れ、楽譜に慣れなければならない訳で、当然そんなの弾ける訳がありません。周りはちょっと基礎練習したらタバコ吸ったり楽しく会話したりしていて「なんでそんな余裕なんだ?」と少しずつ焦ります。

そしてリハーサルが始まり、指揮者から衝撃の一言が発せられる。

「運命ですが、皆さん何十回もやってらっしゃいますし、今日は繰り返しの箇所だけ確認させて下さい」

え!?音出さないの・・?

周りを見ると、さも当然というように誰も動揺していません。これはどういう事なんだ、と少しパニックになりながら指揮者の指示を必死に聴き取りながら繰り返しの確認をする。恐るべきプロの世界。

結局、本当に運命の音を出す事は無く、その後他の曲をほぼ通すだけでリハーサルは終了。2時間もかかりませんでした。さすがに危機感を覚え、楽譜を持ち帰ってその夜は猛練習をしたものです。

翌日はサントリーホールで演奏会本番。衣装は黒スーツに棒ネクタイ。ゲネプロで初めて運命を通して練習しました。当然、昨晩必死に確認したとはいえいざ音が出てオーケストラの中で演奏すると楽譜の景色が違って見えるので繰り返しについていけません。さらに3プルトの表という席は、左側すぐ横にお客さんが来るという変な緊張感もあり、ただただ不安が募っていくばかり。他の楽器の音なんか聴こえないし自分の事で精一杯。隣りの人にどう思われているのか心配になり音はどんどん小さくなり出るタイミングも遅くなっていきます。委縮するばかりで悪循環極まりない。

その後お昼を食べに行ったはずなんですが、誰と行ったのか、何を食べたのか、何の記憶もありません。ただ覚えているのは、まともな演奏を出来ないまま本番を終え、帰宅した事だけ。悪夢でした。

この日の仕事ぶりがどうだったのかは、その後10年くらいこのオーケストラからお声がかからなかった事に現れているでしょう。ろくに挨拶もしない、予習もしてこない新人を継続して使って貰える訳がありません。むしろ10年後くらいにまた呼んで頂けたのが奇跡に近いと言えるでしょう。

 
その後僕は卒業してベルリンに留学し、帰国して受けたプロオケのオーディションで2次に残ったのをきっかけに一気にオーケストラのお仕事を頂くようになっていくのですが、いわゆる

・演奏する楽譜は事前にオーケストラ事務局に受け取りに行かねばならない
・リハーサル1時間前には現場到着
・初めて行くオーケストラではパート全員に挨拶
・スコアを読みこんでの周到な準備
・楽譜に記入する際使う鉛筆は柔らかいもの
・譜めくりのやりかた
・楽譜に記入する情報の書きかた

といった常識を覚えていったのは、実際に現場に出ながらでした。鉛筆については「きみ、何だその硬い鉛筆は!楽譜を大切にしなさい」譜めくりにつては「遅いんだよ、それじゃ次のページ読めないよ!」などとベテランさんに叱られ、身をもって知りました。

結局どれもこれも「知らなかった」のだから仕方ないと自分では思っていますが、同じように後輩が苦しまない為、学んだことは少しずつ伝えていったつもりです。最近は大学と関わりが無いのですが、少しでもこうした常識が残っていれば嬉しいし、せっかく高い技術を持っているのに、挨拶をしないだけで演奏を披露する機会を失わないように願って止みません。

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