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吹奏楽コンクールに思うこと

皆さんは「全日本吹奏楽コンクール」というイベントをご存じでしょうか。

全国の中学・高校・大学そして一般社会人までの吹奏楽団体が全国大会金賞を目指して白熱した演奏を繰り広げる、云わば「吹奏楽の甲子園」。
吹奏楽は近年、映画「スウィングガールズ」や日本テレビの「笑ってコラえて!」の特集、さらにアニメ「響け!ユーフォニアム」などで一躍世間からも注目を浴びるようになったジャンルといえます。

コンクールは出場バンドの人数により大編成のA部門・小編成のB部門に分けられ、課題曲(毎年発表される5曲から選択、B部門は演奏しない)、自由曲の2曲を12分以内という制限時間内に演奏しなければなりません。

コンクールは実に長い期間にわたり開催されます。7、8月の都道府県大会に始まり、都道府県代表が集まる支部大会を勝ち抜き、この支部大会で代表権を得ると10月の全国大会に出場出来るのです。
最近は吹奏楽人口も増え続け、コンクール参加団体は10,000団体を超えるようになりました。だいたい1団体40~50人程度と考えて、50万人が参加する訳だから、大変なビッグイベントです。

実際、私も高校2年の時にたまたま吹奏楽名門校に転向してコントラバスを始めたきっかけがあり、このイベントの存在を知り、実際に高校2、3年と全国大会まで出場する事が出来ました。

楽器を始めたばかりの頃は「そもそも吹奏楽ってなんだ?」というレベルでしたから、半年後の全国大会もよく分からないまま弾いていたのが実際のところで、高校3年の時に初めて「全国大会で金賞を取りたい」と思って練習に取り組むようになりました。

私が所属した学校は当時9年連続で東京代表として全国大会に出場していたので、「全国は行って当たり前」という生徒たちの意識を強く感じていました。校長や父兄の協力もあって、早朝からの朝練、そして授業が終わると夜遅くまで練習し、年末年始を除いて一年間ほとんど休みが無い高校生活。

今の時代ならPTAが許さないでしょうが、往復2時間近い通学時間もあって、あの時期に変な遊びを覚えず、アイドルやテレビドラマにのめりこんで無駄な時間とお金を浪費することも無く、音楽一筋の有意義な時間を過ごせた事は現在にも大きく影響していると感じるし、部活は挨拶や上下関係にも厳しく、ここで叩きこまれた礼儀は社会に出た今、大変役に立っています。

実際にコンクールバンドを指導しに行く立場になると、学校に入った瞬間に生徒たちの挨拶一つで「この学校はきちんと指導されているな」「あ~この学校はダメだな」と感じます。

何も体育会さながら「こんにちは!」と大声で叫ぶように挨拶する事が決して良い訳ではありませんが、敬語を使えなかったり、挨拶も出来ない生徒さんが増えた昨今、他人の目を見て、ハキハキした声や態度できちんと挨拶出来たり、私たちの荷物を持とうとしてくれる生徒さんを見ると、人間として基本的な部分をきちんと指導・教育されているなと感じますし、そのような生徒さんたちはおそらく練習もきっちりこなす事が出来るでしょう。そういった日常の些細な事が、自然と、音にも表れていきます。

ただ苦言を呈するならば、そのような礼儀面を外面だけ取り入れた結果、こちらが何を指導しても、云われた内容を把握する前に「はい!!」ととりあえず大声で叫ぶ習慣が身についてしまっている学校も少なくない、というところでしょうか。

相手の目を見て、何を言われているのか、何が大切なのか必死で食らいつこうとする姿勢は生徒本人の心から表れるし、意外と相手に伝わるものです。外見だけ取り繕ってもダメということ。

これは教える側の我々にも言える事で、どんなにカッコイイ言葉を言っても、気持ちが無いと生徒の反応は鈍くなります。実際の体験から、僕は先生と生徒が本気で、全力でぶつかりあったときに本当の効果が現れると思っています。

私は教える人間としてはまだまだ未熟ですが、音楽の指導者として世に名を残す祖父や両親のレッスン風景は傍でずっと見てきました。その記憶から「生徒の為に何か力になりたい」という意思だけは強く持っているし、今でも「教えるための研究」は欠かしていません。

昨今、SNSなどでは「指導の際に怒るな怒鳴るな叱るな」という風潮が多いように見えますが、これには疑問を持っています。正直、綺麗事にしか聞こえない。人によっては「叱らねばならない」生徒もいるし、「叱らなければならない瞬間」もあります。

 例えば生意気盛りだった私の高校時代、先生が叱りつけてくれなければ今の私は無いでしょう。本気で叱れば相手には伝わります。ただ、暴力と心のない罵声は良くない。今の吹奏楽界には、心のない罵声が多いように感じています。

高校時代、吹奏楽部だというのにそれなりに悪い連中が集まった部活でしたが、顧問の先生は、それ以上の迫力で、学生は先生の前ではおとなしくしていたものです。

当時の先生は今の私と同じくらいの年齢だった訳だから、思い出してもあの貫録は不思議でなりません。合奏中でもかなり厳しくやられましたが、生徒たちは、音楽を通じて全うな生き方を伝えようとする先生からのメッセージを感じていたから、何を言われても先生を恨む事はなかった・・・・と思っています。

そんな先生がブレていなかったのは「コンクールの審査は所詮他人がやるもの。審査員の採点なんて気にするな、アイツら何も分かっちゃいねえ。お前らが金賞だったかどうかは俺が決める」という言葉、信念。

私はいま吹奏楽関連の仕事が多いので、審査員を務める知人も多く、この発言を思い出すと何とも背筋が冷たくなりますが、指導する立場としてのブレない姿勢には強く心を揺さぶられ、実際「先生についていけばいい」と思っていました。

いざ私が高校を卒業して音楽大学に進むと、管楽器の同級生の多くが吹奏楽部出身で、「実は全国大会で同じ舞台に立っていた」と知りました。

と同時に、楽器を辞めてしまう人の多さにも驚いたものです。高校の同期にしても、アマチュアで続けている人はいても、プロの演奏家として活動しているのは私だけ。冷静に見渡してみると、強豪校でもその後音大に進む人は吹奏楽部の学年に1、2人。ここからプロになる人は本当に限られた人数になってしまいます。

もちろん、趣味として楽器を選ぶ人が大多数だとは思いますが、吹奏楽コンクール強豪校であっても、決してプロの輩出率は高くない。中学・高校だけで年間10,000校近く参加しているコンクールから、職業音楽家になる人がほとんどいないという事実は、正直物足りないといっても良い。これは一つの問題点ではないでしょうか。せっかくこれだけの人が楽器を選んだのだから、うまく受け入れ取り込んでいくシステムを構築したら、日本は音楽大国になれると思うのですが、残念ながらそのようなシステムが無く、高校を卒業するとそのまま楽器を趣味とするか、辞めてしまうのが現実です。

今度東京音楽大学が「吹奏楽コース」という科を設けましたが、正直プロの受け皿が少ない中で大学だけそのようなコースを作ってどうするんだろう、というのが私の正直な感想です。何となく大学の受験者の人数を増やすための一時的な措置にしか見えません。卒業後まで見越した計画にしないと、すぐに頓挫するような気がします。

もう一つ吹奏楽部における問題点が「コンクールに向けた指導しかしない」こと。

「全国出場」だけを目標に、基礎もそこそこに同じコンクール曲だけを1年間ずっと演奏し、コンクールが終わると燃え尽き、卒業する頃には「そこそこ音は出せるけれども音色も汚く、吹ける曲数が圧倒的に少ない」という子が多く、自分が演奏している楽器が持つ本来の魅力、可能性、音楽の楽しさを知らないまま辞める子がほとんどです。

実際に私が指導に行っている学校も、コンクール直前のみの依頼が多く、私が行く頃には入部直後からの変な癖がついてしまってコンクール曲を弾くこともままならなかったり、入部後に呼んで頂き、しっかり基礎を教えていてもコンクールの時期になると曲に追われて基礎が崩壊するケースがほとんどで、これは本末転倒でしかありません。

コントラバスに限って言えば、基礎がしっかり出来ていれば2年目くらいから吹奏楽の曲はだいたい弾けてしまうはず(もちろん、一部の例外はあります)です。おそらく他の楽器にしても、基礎や音作りをすっ飛ばしてコンクール曲を練習し、結果音が汚いまま大会に出場しているケースも多いと思うのですが、強豪校に行くと、スケールやロングトーンなど基礎をみっちりやって音作りをしているところがとても多いです。強いには、それなりの理由があるんですね。

もちろん、部活はあくまでも趣味の延長で、最初から「プロになろう」というつもりで吹奏楽部に入部する生徒さんがそんなに多いとは思えないし、中学・高校から楽器を始める人も多いだろうし、強豪校に進む人は皆さんコンクールに出たくて、勝ちたくて入部してくるのだから、コンクール曲だけを練習してしまうのも仕方ないとは思います。顧問の先生にしたって、自分の名を売りたいと思ったらコンクールでの結果だけを追い求めてしまうのは理解出来なくはない。

決して職業音楽家の養成所ではない「学校の部活」に何を求めるか、これは顧問のさじ加減ひとつだから何とも難しいところ。ただ、音楽界からしたらこれだけ大きな人材の宝庫をみすみす逃すのは、何かもったいない気がします。だからといって私に何かアイディアがある訳ではないのですが。

それぞれの部活に諸処事情はあるでしょうが、余裕があるのなら、例えば未経験者であれば最初から「1年目はコンクールに出さない」と決め、徹底的に基礎を固め、演奏会に通わせ、2年目からコンクールを経験しつつもいろんな演奏会を聴きに行かせ、様々な曲を演奏させる機会を作ってあげるだけで、自分の担当する楽器の面白さが格段に広がるだろうし、「もう少しきちんと勉強したい」と考える子が増えるように思うのですが、部活の練習時間優先で演奏会やレッスンに行く事を許可しない先生もまだ多いようです。それでは耳も育ちませんし視野も狭くなる。

私は初心者の生徒さんが来ると、技術の指導のほかにオーケストラの映像やコントラバスのソロの演奏を見せる事で楽器の持つ魅力や可能性を必ず伝えるようにしています。演奏会にも積極的に行くよう勧めます。全てを決めるのは自分の「耳」だからです。自分の音ばかり聴いていても大した上達は望めません。上を見て、目標を設定することが大切です。しかし、残念ながら未だに演奏会に誘っても来てくれる生徒はごく僅かというのが現実で、その理由は「先生が許可してくれない」「先生が怖くて言い出せない」というパワハラまがいのものがほとんど。

ついでに、吹奏楽に唯一弦楽器として参加しているコントラバスについていえば、まだまだ理解されていないのが現実です。

管楽器出身の顧問が多いため、「弦の事は分からない」とほったらかしにされているケースが本当に多く、私は指導に行くと怒りに震える事だらけです。
百歩譲って「弦楽器の事が分からない」のはまだ理解出来ますが、「日本語が読めない」訳じゃないんだから、日本語で書かれている教則本を読んで、せめて基礎部分だけでもきちんと指導してくれよ、というのが私の心の叫びです。これを解決するべく、これまでに2冊の教則本を発売しました。「入門者のためのコントラバス教本」には、弦楽器の知識がない指導者でも分かるように作った、生徒の進度チェックリストまで付けました。

ただでさえ趣味の延長としての部活で、練習する義務もないのに教則本を渡されて「後は勝手にやれ」で上達する生徒さんがどれだけいるのでしょう。それでも独学で何とか基礎を勉強している子がいると、涙が出てきます。

しかし実際はメチャクチャなフォームで、かすれた音を出している子がほとんど。未だに左手は1本の指だけで(実際は主に3本使って弾きます)弾いている学校もたくさんあります。楽器の管理状態も悪く、正しい奏法も知らないのに「コントラバス大きな音出せ!聞こえねえよ!」なんて言われて、子供たちはどうしたら良いのでしょう。それで大きな音なんて出る訳がありません。

吹奏楽部によくあるのが「レッスン講師を呼ぶ予算が無いためにアマチュアの卒業生が教えに来る」パターン。

卒業生が誰かにきちんとレッスンを受けた経験のある人ならまだ良いのですが、独学でおかしな癖をつけた人が来てしまい、代々悪しき伝統が伝わっている学校も少なくありません。ある学校ではテューバの先輩に楽譜の読み方を教わったコントラバスの子が、ドをシと読んでいた事すらあります。しかも、我々がレッスンに行って正しい奏法に修正しようとすると「でも、センパイがこう言ってました」とプライドを傷つけられたかのように不満を露わにされる事も多々。講師よりセンパイ、これもよくある吹奏楽部の悪い一面です。

まれに、そんな現状にご両親が溜まりかね、学校とは別に私に指導を依頼してくるケースがあります。
こういった環境を変えるためにも、私は依頼があれば全国どちらへでも駆けつけています。もちろん、ボランティアではないので料金は発生しますが、それでも力になりたいとは思っているし、今後も吹奏楽部でのコントラバスの立ち位置を改善するべく、活動を続けていきたいと考えています。

そんな吹奏楽コンクールですが、私は決して否定派ではありません。実際私自身がこのコンクールを通じて得たものは多く、この部活をきっかけにこうして演奏家になった訳だから、やはりコンクールに向かう生徒さんたちには頑張ってほしいと思っています。

ただ、コンクールにおいて、結果はあくまでも他人による評価であり、金賞はオマケと考え、練習する過程から集中力を得て、友人との付き合いから多くのものを得てほしいと考えています。

音大に進んだとき「吹奏楽コンクールで全国大会に出場した」事は何の自慢にも実績にもならないと知りました。むしろコントラバス以外の弦楽器の人たちは「そんなコンクールあるの?」という反応ですし、管楽器の人たちですら経歴に吹奏楽コンクールの事を書いているプロは一人もいない。自分が恐ろしく狭い世界に過ごしていた事に気づかされました。

もちろん、その狭い世界なりに一生懸命頑張る事は悪い事ではありませんが、その先にはもっと大きな世界が広がっている事は知っておくと良いと思います。例えば人間教育のスペシャリストとして吹奏楽部の顧問の先生を崇拝するのは分かりますが、バトンテクニックに関しては世界に素晴らしい指揮者たちがたくさんいる事を知ってほしいし、強豪校を聴くならプロのオーケストラがあって、自分たちが担当する楽器には上手なプロのプレイヤーがいる事を知って欲しいのです。こうして視野を広げていくと、結果的に自分のレベルアップに繋がるでしょう。

そしてあくまでも主役は子供たち。吹奏楽部の顧問がカリスマ化するのを見かけますが、支える先生や講師が主役になるべきではないし、賞を取るための音楽を作るのではなく、これからの人生において音楽が心の支えになるような存在であるよう、導いていけたらと思っています。

吹奏楽で音楽を始めた人間として、少しでも恩返しをしたいと思っていますし、改めるべき点は改善し、健全な分野として確立していく事を切に願っています。そして、吹奏楽部にいる生徒さんたちが、少しでもその後音楽のある人生を過ごしてくれたら幸いです。
 

※この記事は2014/8/9にコラムサイト「JunkStage」に寄稿した文章を一部修正したものです。

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