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ネット社会、情報の取捨選択

 私がドイツ留学から帰国した1997年、まだパソコンは一部の人のツールに過ぎず、大きな箱型のデスクトップが主流でした。スマートフォンも無くて、折り畳みの携帯電話がようやく普及し始めたくらい。
 そんな中、「帰国記念に」と後輩が組み立ててくれた自作PCで私はインターネットと繋がるようになります。

パソコンとの出会い

 最初はとにかく手軽に情報を得られるツールてある事に衝撃を受けたのを覚えています。音楽や格闘技、そしてアングラな世界までネットサーフィンしまくっていました。
 その翌年、1998年にサッカー日本代表の中田英寿選手がホームページを開設したのを見て自ら情報や意見を発信する場を持てる、と気づき、ホームページ作成ソフトを購入して「鷲見の部屋」というサイトを作ってみました。
 人が集まって会話出来る「チャット」という機能があると知り、ホームページにチャットを設置すると、当時早々とPCを使い始めていた音楽業界の友人たちが夜な夜な集まるようになり、いつしか「鷲見の部屋」は多業種の人たちとの会話が盛り上がる場所になっていました。
 ブログも設置して演奏会の宣伝やらサッカー、格闘技の感想を毎日のように書くようになり、アクセスランキングに参加してインターネットの世界にどっぷり浸かります。ホームページを通じて関西のオーケストラから出演依頼が来るようにもなりました。
 ブログでは若気の至りもあって音楽評論家批判をして、今で言う炎上も経験しました。この一件でネットの怖さを知ることも出来たと思っています。

 全て、今から20年以上前の出来事です。おそらく、音楽家の中ではかなり早期にインターネットを使ってブランディングを成功させてきたほうだと思っています。

ネット社会

 今では家庭に1台パソコンがあるのは当たり前で、技術の進歩によりスマートフォンやタブレットが誕生し、ネットサーフィンどころか手元で簡単な資料作成が出来るようになり、YouTubeやTwitter、Facebook、TikTokといったSNSが発達し、小学生でもスマホで簡単に情報を得られる時代になりました。
 私自身、10年くらい前からレッスンでは映像を多用し、世界的なプレイヤーの演奏動画を見せたり、生徒の演奏動画や自分の演奏をYouTubeの限定公開で投稿して参考にしてもらう、ということを実施しています。便利な時代ですね。最近は似たような方法を取る人も増えてきました。

 音楽の世界で言えば、私が音大生の頃はYouTubeなんて無くて、CDと共にまだMDやDATといった再生機器が幅を利かせていた時代。
 オーケストラの曲を勉強しようとすると、なけなしの貯金をはたいてCDを買うか、音大の図書館で借りるしかありませんでした。コントラバスソロのCDなんてゲーリー・カーとシュトライヒャーしか見当たらず、日本人でCDを出していたのは永島義男先生と河原泰則さんくらい。彼らの音を聴いてボウイング、音色から松脂の量や弓のスピード、ビブラートのかけ方を想像するしかなかったんです。コントラバスリサイタルもほとんど無く、たまに開催されるとホールに駆けつけ、何とかその技術を盗もうと目をサラのようにして舞台上に釘付けになったものです。

情報の安売り

 今は音源が溢れていて、YouTubeでは映像も見られる。サブスクで手軽にどんな演奏も聴けてしまう。IMSLPではオーケストラの楽譜も見ることが出来る。動かずに情報を得られる時代になりました。
 こうなると学生の間には「タダで情報を得るのは当たり前」みたいな空気が流れるようになる。これは危険です。昔から「タダほど怖いものはない」という言葉がありますが、これは無料の情報には責任がないということ、そして自分の力で何かを得ようとしないことで思考停止の人が増える可能性がある、そんな意味を含んでいると解釈します。
 以前、あるインフルエンサーが「無料公開する事で最終的にその業界が潤う」みたいな発言をして自分の本や映画の宣伝をしていた事がありますが、結局稼げるのは自分だけなんですよ。あれから数年経ってますが、彼が業界にもたらしたものはほとんど無い。当時から見ていて、話の運び方がFX投資詐欺に近いなあと思っていました。
 
 今の学生を見ていて、いつでも情報を得られるようになると、逆に人は自ら動く事をしなくなるんだな、と感じます。自分の手で必死に探った事は血となり肉となる、その事を知って欲しい。古い人間の発想だと言う人もいるでしょうが、いつの時代も物事の根本は変わりません。
 私はLINEで中高生からの質問に答えるサービスをやっているのですが、自分で調べればすぐに分かるような内容でも聞いてくる事が多い。こちらも完全無報酬で時間を割いてやっているので、最近は「ネットで調べて分かるような質問はご遠慮下さい」と伝えるようにしています。ただ、そのネットに掲載されている情報が正しいとも限らないのがまた問題なのですが。

匿名と無責任

 日本は世界でも有数の匿名文化があります。ネットでは匿名でコメントをするのが当たり前。アメリカやイギリスに比べ日本のSNSの実名利用率は極端に低い。匿名で身元がバレないから平気で誹謗中傷コメントを書くし、適当な情報を投稿する。これは恥ずかしい文化です。
 20年ほど前、友人が当時流行していた大型匿名掲示版の標的にされた際、私も一緒に警察に行ったりした経験があるのですが、あれから匿名性には心の底から嫌悪感を抱くようになりました。匿名でしか物を言えない連中は本当にダサいですね。
 コントラバスの奏法についても、実名を出さず情報を発信している人がとても多い。どんなに無責任な事を書いても、その人が責任を負う事はないから性質が悪い。中には私の教則本の内容をそのままコピペしているような人もいます。著作権の存在しない無法地帯。
 しかし、社会経験、そしてネットの経験が浅い学生たちはそんな情報に食いついてしまいます。せめて、「どこの誰が発信しているのか」分かるような情報を見分けていくよう、私からはアドバイスしたいと思います。それから、基本的に無料の情報ってのは無責任である事は知っておいて欲しい。匿名そして無料の情報に信頼を置くべきではない、それだけは言っておきたいと思います。

 世の中はAIが進化し、ChatGPTなども出てきて益々情報化社会になっていく事は容易に想像出来ます。これまで私は新しいツールが出るとすぐに試して取捨選択してきました。時代の先を読んで動くことも大切ですが、自分に合ったものを選ぶバランス感覚が絶対に欠かせません。
 ネットは便利ですが、所詮ツールです。最後は人と人の信頼関係で全ては成り立つという事を忘れる事なく、自分の頭で考え判断し実行出来る人間でありたいと思います。

 

 

 
 
 


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