【行ってみた】広島(土木学会前後の回)

広島のエクスカーションについて。

エクスカーションとは、大会開催中や開催後に企画される遊覧旅行、視察旅行を指します。

仙台観光協会HP

「企画された」わけではないが学会後に旅行をしたのでメモ。

ちなみに筆者は観光だのMICEだのにチョット詳しい。多分。

行ったところをざっくり書くと次のとおり。

平和記念資料館
レストハウス(燃料会館)地下室
スカイレール
宮島、厳島神社

※このnoteには原爆ドームのネタバレがあります。実際に行ってから、実感したい方は閲覧注意です。

順番としては次のとおり。

1-1.チェックイン
1-2.飲み会
1泊目泊
2-1.学会へ
2-2.学会
2-3.原爆ドームほか平和公園(夜)
2泊目泊
3-1.講演会
3-2.昼ごはん
3-3.資料館(外観)
3-4.学会
3-5.宮島(夜の)
3泊目
4-1.資料館
4-2.スカイレール
4-3.宮島(昼の)
4-4.広島駅へ

記事順番は次のとおり。


以下、つれづれ。

広島所感

原爆関連の都市といえば、広島、長崎だろうが、筆者は長崎の原爆遺構を、広島よりも先に見た。

原爆のリアルな遺構はあまり馴染みのないもので、8月のテレビや、国語や社会の講義で見知る程度だった。

大学に入ってから九州旅行の機会があり、長崎で嘉代子桜と城山国民学校を見た。
そのうち、広島も行きたいと思っていたので、学会発表のついでに訪れることができてとても良かった。

広島のほうが長崎より平坦で、原爆の被害が大きかったと聞いていた。

でも78年前炎で燃えた街はしっかりと復興していて、すごいなと思った。県庁所在地、新幹線の駅がある、都市、すごい。(語彙力がない)

1-2.初 広電 と飲み会

学会の前夜は広島市内で夕食を計画、予約済であった。広島には、広島電鉄(略称 広電)なる路面電車、市電がある。それで繁華街へ向かったが乗り間違えた。

市電の乗り場で、一番手前に停止していた列車に乗り込んだ。乗換検索の案内よりも早く出発した気がした。数駅後、とある駅でバタバタと降りたお兄さんが居た。おや?と思っていたら、マップを見たところ、その駅から西に行きたいところ、現在地を示す青点が南に進んでいく。乗り間違えた。

広島駅のホーム構造が分からなかったが一体の乗り場の手前と奥で、路線が違ったらしい。1両か3両しかないので、ホームの手前から出た車両がホームから出てすぐホームから離れる分岐に乗れば、奥は別の列車が停止できる構造らしい。行先は同じでも、系統(番号)が異なるとルートが異なるらしい。

スマホのマップアプリで己の現在地が思わぬ方向へ動くさまは、とても悲しかった。

函館でも函館から函館山方面に行く路面電車は十字街電停で函館どつく前行と谷地頭行に分かれるが、乗り間違えたことがある。しかし行き先は同じ名前で系統が異なるとは思っていなかった。

分岐の南西に行きたかったので、ぐるぐると思考をめぐらした結果、南へ行くその電車で数駅行ってから降り、西へ歩くことにした。想定外の広島散歩が発生した。東中野のような住宅街。

やっとたどり着いた店で広島の名物料理を食べた。
帰りは不安に思ったのか一緒に飲んだ人が、ホテルが筆者と違い近くにあるのに、筆者が広島駅まで戻るための電停を教えてくれた。

2-1.学会へ

学会の朝は広島駅付近のホテルから広島工業大学へ向かったが、五日市駅でJRから広島電鉄(広電)へ、かなりの人が乗換を行っていて広電ホームを先頭に、長い列が伸びていた。すぐ来た広電の便は、列がほとんど進まなかったので乗れず、次に来た電車に乗った。さすが、土木学会。

筆者は東京から前空駅まで乗車券を購入したため、途中下車し、広島〜五日市も同じ切符で乗った。しかし広島市内から純粋にそれだけのために乗車するなら、全部広電(ただし時間がかかる)が一番オトクで、もう少し手前のJRの駅から路面電車に乗ったほうがややお得という乗換検索結果だったが、学会の案内に従って五日市でJRから広電へ乗り換えている方が多く見受けられ、えらいなと思った。

待っている間、筆者の後ろに並んだ推定高校生たちが「これは遅刻確定」「遅延証明書もらうやつか?」と会話していた。首都圏でも広島でも、遅延した電車を見た通学途中の若者の会話はあまり変わらないんだなぁと思った。

2-2.学会

学会については前回投稿参照。

2-3.初 原爆ドーム ほか平和記念公園(夜)

学会とちょっとしたオンライン会議を終えて、夜に広電の原爆ドーム前駅へ降りた。

広島駅に近いホテルに連泊したが、学会会場から広島市内へ広電で戻った。

朝、あるいは次の日の夜も見られるが、せっかくならすぐ見ておこうと思ったのだ。

原爆ドーム駅へ広島駅方面の電車で着くとき、その少し前、車窓の右手に原爆ドームが見える。

原爆ドームを人生で初めて見るにあたっては、広電の中から見るか、降りてから見るか(広電の中で顔を伏せておくなどの案(笑))やや迷ったが、広電の中からも見た。

あまり人気のない暗い駅に降り、帰りの便があまり無いなぁと思いつつ時刻表を確認し、(結局予定を超過し1時間くらい後の便に乗ったのであまり意味は無かった)、市電で通ったばかりの橋を徒歩で平和公園の中洲へ渡った。

そう。

筆者は平和公園と原爆ドームが川で隔てられていることを認識していなかった。平和公園の一角にドームがあると思っていたので学会の前夜にGoogleマップで確認し、驚いた。

なお、以前、1枚の平和公園が作られている時期の写真(このような写真)を見たがゆえに、筆者は平和記念公園は、燃えたとはいえ、人々の家だったものをさらに無慈悲に壊して、平らにして、原爆の恐ろしさを伝えるために大きなランドスケープに作り変えられたものだと思ってしまったことがあり、そのイメージを持ち続けている。実際足を運んでもあまりイメージが変わらなかった。資料館にその写真もあった。

どのように歩くか迷ったが公園の中をてくてく歩き、レストハウスの近くの橋を渡って一周することにした。

Googleマップで色々な像があることは認識した。小回りのルートを基本、像が近くにあれば見に行こう、というスタンスで歩いた。 

平和の子の像を見た。像の周りに千羽鶴の展示するスペースがあり、ぎゅうぎゅうに中に鶴や寄せ書きが詰まっているかのように見えた。千羽鶴のデータベースのための、用紙置き場と投函する箱があったが用紙がなく、今は更新されていないようで、もったいないなと思った。

後ろから行ってしまったので像の横を通り抜けて、振り返って正面を見上げた。折り鶴をかかげている少女は結構高い位置にいる、大きな像だった。うっすら怖いイメージ。下に碑があり、その碑の上にいくつか折り鶴が置いてあった点は怖さが微増した。

水がありそうな長方形の凹み(池?)の脇を資料館方面へ向かった。

途中で池?の中の台の上で火が灯されていた。筆者は学会発表まで予定がかなり詰まっていたこともあって疲れていて、良いメガネではなく常用のメガネを掛けていて、夜で、そんな理由もあって、あまり火が燃えている台の下の構造、特にどこまで水があるのかが分からなかった。簡単な直方体ではなさそうだった。

八ツ橋のようなぽにゃんとした物体が慰霊碑のようだったのでそこから振り返った。

ビスタに感動した。

原爆ドーム、火、八ツ橋の中心が一直線になっていた。

原爆ドームは川の向こうにあるというのに、軸が繋がっている。

知らなかったのでひどく感動した。

あの平場はかつて人の営みがあったことは知っているがしかし、現存のランドスケープは、それはそれで見ると美しいと感じてしまった。

夜だったので公園にいる人は少なかった。画筆者同様に見に来たと見られる金髪の青年1名、散歩していそうな人1名くらいだった。資料館まで歩く元気は無く、火と池?の脇を通り、レストハウスで曲がって橋を渡った。別の路線で帰るか迷い少し歩いたものの、戻ってドームの横を通り、原爆ドーム前駅から広島駅へ戻ることにした。結果としては、原爆ドーム駅で乗り継ぎしたような形になったらしく原爆ドーム駅〜広島駅間0円だった、よかった。
途中で、Googleマップが原爆ドームの隣くらいの通りに原爆投下地点直下の石碑があるというので見に行った。投下後、「この地点から原爆ドーム(おそらくそのような記述だったと思う)を見た写真」が乗っている碑が、建物の壁のすぐ横に立っていた。
木々の下を通りドームへ近づく。夜でもやや照らされていた。侵入対策だろうか、と思った。

翌日、昼に見て中に鉄骨があることが分かったが、このときの筆者の視力では建物の存在だけ見た。広電のドーム駅と、ドームを挟んで反対側あたりに、原爆ドームの以前の産業奨励館の説明がある。このとき、あるいは資料館でドームおよび産業奨励館時代の模型を触ってみて、産業奨励館の建物の翼のラインは前の川とが平行していそう、と認識した。個人的には、原爆ドームの姿しか知らない人と、産業奨励館の姿を記憶している例えば広島市民は、公園のビスタに対して異なる思いを抱くのではないかと思った。ドーム状の鉄骨はあくまで産業奨励館の一部にしか過ぎないが、『平和の砦』として、ドームの中心は軸となっているが、その軸と建物全体からくるラインとは微妙な角度を成している点、違和感を覚えた。

しかし、一方で、ドームの中心と公園の軸を合わせ、ビスタを形成させた設計と測量、施工は素晴らしいと思った!

ホテルに関しては、広島の都市とは特に関係がないので別に記す。

3-0.広島散策3日目、4日目

翌日は、まず広島の工事について講演を聞き、広島焼きを食べ、資料館の前を通り、学会を少し聞き、夜の宮島で過ごした1日だった。
その翌日は平和記念資料館を見た後、なぜか時間の余裕が生まれてレストハウス地下室も見た後、スカイレールと、広島を通過して宮島に行き、広島へ戻り荷物を取り、そして発った。

3-1.土木学会ポスター展示と講演会

広島駅の地下広場で土木学会関連のポスター展示と講演会が行われていた。ポスター展示も、西日本の土木遺産などで、そこからその日行くわけではないだろうが、ポスター展示として面白かった。

講演会は学会がJR西日本の広島工事事務所の方を招聘し(?)広島駅の工事についてであった。

最高。

3回同じ内容かと思いきやそれぞれ異なり、シリーズとなっていた。最終日で、一昨日と昨日の2回のダイジェストと今回の内容の講演であった。よき構成である。
構築される広島駅のコンセプトは「折り」であるとか、最近何十年ぶりに車両を新造したがその車両の色は厳島神社の鳥居の赤をイメージしているとか。
以前、書籍で次のような話を読んだことがある。
何かを話し手から聞き手へ伝える際、話し手が、聞き手の知っている事項を把握してそこから話したい内容へ橋をかけるような情報も話すことが、話し手の話したい内容が「伝わる」コツだ。
広島駅工事事務所の方の講演は、筆者の見聞きしてきたことを刺激しつつ、知らない情報を得ることができ、すごく「伝わる」講演だった。
とても楽しかった。
講演の前に、2枚の紙が配られた。いずれもコンセプトの「折り」を縮尺印刷された紙がだった。新しい広島駅ができた暁には、また広島に来て、ぜひどこで使われているか見てみてくださいねーという、観光の種も蒔かれた。
(なお当日見られる物として紹介された、自由通路工事関係者の名前の板は、結局見に行きそこねた。)

3-2.昼ごはん

観光案内所に行って色々聞いた。潮位が変わる宮島のおすすめ観光時刻や(結局全然その時間に行かなかったが)、おすすめの食事処など。

観光案内所で紹介された広島焼き屋に行った。平日だったのでわりと並ばずに入れた。セットを注文、選べる副菜は、穴子が有名と、うっすら聞いたので穴子入り卵焼きにした。「ミニ」広島焼きはミニとついているがそこそこ大きく、満腹になった。お店の人によって、カウンター席の目の前の大きな鉄板で、薄い皮でキャベツやそば又はうどん等が焼かれるシステム。注文時に、自分の席へ広島焼きが載ってくるのは皿と鉄板どちらが良いか聞かれて皿を選んだが、鉄板でもよかったかもしれない。一玉あたりの生キャベツの量に驚いた。直径と高さが20cmくらいありそうな山だった。生から焼になると直径はそのままで高さが1cmくらいになる。収縮率がすごい。

すごくのんびり食してしまって観光時間が無くなった。

ポケモンショップに行った。ピカチュウが箱に印刷された紅葉まんじゅうが売っていて(残り3箱だった)、一度店を離れたがやはり魅力的で、戻って購入した。

3-3.平和記念公園、資料館など

徒歩で原爆ドームへ行き、昼間のドームを初めて見ながら、レストハウス横の川を渡り資料館へ進んだ。

資料館はインバウンドを含め多くの人が来館していて、入場券は人が対応する窓口2つ飲みのため、その窓口に列ができていた。館の外にも列ができていた。当初は2日間、2回行こうと思ったが、列が長く、1時間弱では見られないと思いその日の来館はパスし、次の日1度だけ来館した。

乗換検索をしたところ資料館から広島工業大学(学会会場)へは広島駅へ戻るよりも資料館からそのまま西側へ歩き、路面電車に乗るようなルートが最速だった。そのルートで学会会場へ行き、気になっていた発表を聞いた。

西館の車道側の入口のタイルに、原爆が投下されたときにどこかに使われていたタイルが使われていた。

4-1.資料館

資料館は暗く狭い通路から展示が始まる。有名な遺構、市民による絵、ストーリーを持った写真、多くの衣服、手紙など。見終えると一度、平和の塔?や原爆ドームを眺められる、廊下を歩いて、原爆の開発経緯や構造などの展示の空間へ向かう。その下が戦後の広島の展示になっている。1階の入場券販売の横は、無料で見られる展示スペースで、最近収蔵されたものが展示されていた。収蔵庫がすごく広いのだろうか。

資料館の暗いところの展示は、筆者は、原爆の恐ろしさを伝えていると感じた。

先に見た、旅行の同行者が、「教科書で見たものが実際に見れる感じ」と言っていた。確かに見れた。

普段筆者はキャプションをサラッと見るが、最初の遺構を除いて、モノとキャプションの塊が一体となった展示が多かった。キャプションが、モノを軸にした物語になっている印象を受けた。短編集を読んでいる気分になった。広島の市民を始めとする関係者が形見のようなものを持ち寄せたようだと思った。

途中の廊下は、資料館から、平和の火?、川の向こうの原爆ドームまでの軸を突っ切る。軸は窓の外を見ると分かるのでサインはあまりなかった。平和公園のエリアの街の地図(道、家家に住む人々の名前)が刻まれた銅版があった。東日本大震災で津波で被災した街で、立体のまちの模型(ところどころ昔の思い出のメモがついた爪楊枝的なものがささっている)は見たことがあるが、普通の地図はあまり見たことがなかった。普通の地図であっても一つ一つ記憶を、歴史を、復元していて、残そうと材を選んだ当時の人々がすごいと思った。

欧米から来た方は原爆の開発のところや投下の経緯の展示を「確認」しているのかと勘ぐってしまった。戦争などを起こさないために己がどうすべきかは各自考えるのかなと思った。

資料館のあと、目の前にあった、地面のやや下に埋まった民家の遺構を見た。建物内で保存されている。炭化した畳等が見られる。保存のため、建物の入口に加えて保存空間へもう一つ仕切りがあり、入口入ったところにいるガイドさん?に、自分であけしめしてくださいと言われた。

その後、レストハウス(旧 燃料会館)へ。
燃料会館の地下室は、行く数ヶ月前に旧Twitter現Xで投稿を見て、行こうと思っていた箇所だった。ここも、ガラス等で湿度や光量の調整をして保存すべきだと思うが、今のところ直に見ることができ、また階段などと特に仕切りはなかった。生々しかった。

宮島

3-5.宮島(夜)


2日目の学会聴講後、路面電車24時間券を買ったことだし…と宮島へ向かった。

一旦、宮島口駅の手前の阿品駅で、阿品駅〜宮島駅の連絡切符を買うか迷い、長い歩道橋を登ったが買わなかった。そのため、宮島口〜宮島はJRではないほうの会社の船に乗った。

宮島の船、乗船の醍醐味である離岸と着岸時のドドドドドと、角度と大きさがどんどん変わるシークエンス景観を、短時間で堪能できて、最高。何度も乗れると思った(1日1往復しか乗らなかったが)

2355で尾道の1円ぽっぽの歌を聞いて以来、尾道もいつか行きたいと思っている。気仙沼大島と気仙沼の渡し船を思い出した。

暗いといまいちよく分からなかったのと、厳島神社が閉まっていることを知らなかったので勉強になった。一度、観光客らしき人々が宮司?に見送られ入口から出てきた。調べたが宮島宿泊者向けツアーはネットには明記がなく、どんな組み立てで入ったのかは分からなかった。

同行者が宮島へ来るというので宮島でしばらく待った。(筆者は学会会場、同行者は資料館近辺にいた)

意外と待てる。

お腹が減ったのでおにぎり等をコンビニで買った。コンビニがそこそこ夜まで営業していて、値段も同じで、船が橋の如く機能している土地なのかなぁと思った。

同行者が来るタイミングで何故か大鳥居周辺に流し灯籠のような、小さい船が沖へ流れ始めた。鳥居の間をうまく通った船があり、通った瞬間、岸から鳥居を眺めていた観光客がどよめいた。

宮島、たぷたぷに行くか?潮干狩りタイム(狩らない)に行くか?

以降、この原稿において、神社が海に浮かんでいるようなさまを、たぷたぷと定義する。

前日、これから行ってももう水は引いてますよ、と言われたためにたぷたぷを見ようと見送り3日目になった。

しかし、2日目の夜、宮島に行き、水面に浮かぶ鳥居を見た。

その後、昼のたぷたぷのも良い…良いとおもったのであるがなんとなく無性に歩きたくなったのである。

一人で歩いてもさほど面白くないので、本当はたぷたぷを見たかったであろう同行者と互いの望みを検討した。結果、筆者の望みが採択された。

4-3.宮島(昼) 潮干狩りタイム(狩らない)

4日目昼、宮島へ。
潮が引いたところを楽しむ前に、厳島神社に行った。人がたまに途切れるので入口で写真を撮るなどした。入口のスタッフさんにカメラのボタンを押すよう頼んでいる観光客もいた。

建物が入り組んでいて、床と地面の落差があるがゆえに遠回りしながら、神社の中を歩く印象を持った。たぷたぷであれば、潮の青と神社の赤のコントラストがキレイなのかもしれない。

ガイドツアーの一軍が見下ろしている砂利を見たところ、シオマネキが潮招きしていた。(=カニが大きいはさみを振っていた)

同行者がどこかに水が湧いているはず…!というのでルートから少し外れたおみくじと別の神社の棟の縁側?も歩いた。

しゃもじの御守が頒布されていてなにかと思った。大きなしゃもじが有名だかららしい。大きなしゃもじは、どこかにあるらしいが見損ねた。ふと思うに、炊飯器が「米のためだけの家電」として海外で驚かれるそうだが、しゃもじも「米のかたまりから一定の米をよそうためだけの調理器具」として、ニッチなニーズなのでは。

大鳥居に向かって桟橋のようなものが突き出ている。先端から写真を撮る人々が列をなしていた。なんとなく並んだ。観光客2組がひとセットになり前後でカメラのシャッターボタンを押しあう流れが自然形成されていた。せっかくなので並び、写真を撮ってもらった。

流れを認識していたがしかし我々の写真を撮ってくれた後ろの3人組には写真を押さなくてよいと言われた。一人がモデルさんになって他のメンバーから撮影されていた。なおモデルさんは筆者の母方の祖母が使うワードで、写真撮影対象になるような人のことを指す。

神社は一方通行で港から近い側が入口、遠いところが出口であった。

神社のあと、いよいよ潮が引いた大鳥居周辺を歩いた。

宮島口から船に乗ったときからやや見えていた。歩ける時間、大鳥居周辺はさながら潮干狩り大会の体をなしていた。※鳥居周辺では潮干狩りは禁止という地域ルール、看板も立っている

そこそこたくさんの人が歩いている。

筆者は写真を見て緑が何なのかが気になっていたので、緑を形成していた海藻を実際にさわれてとても満足した。

基本的に鳥居の下と神社の参道が比較的砂利が低くなっていて、川のように水が神社から沖へ流れていた。中間くらいのところに飛び石がある。

沖へ行くとだんだん神社から流れる川の幅が広くなり浅くなっていく。しかし沖にある鳥居でも、鳥居の真下の水位は微妙に高く、サンダルの人、勇気のある(靴を濡らす覚悟のある)人、靴を持った人等だけが、飛び越えていた。

一度左岸を沖まで歩き、渡ろうとする同行者をかろうじて止め、上流に戻って飛び石を使った。飛び石群は相互通行ができる石とできない石がある。

そうこうして港に戻った。珍しく浜で遊んで波に逆襲されなかった。

同行者と筆者は同じ船で戻った。

4-2.スカイレール

スカイレールは2023年度?で閉業の新交通システム(?)いわばゴンドラである。

広島から在来線で1時間ほど。今回の旅の学会と並ぶ2大目的地の一つ。

瀬野駅から乗車する。

高校生?で予定の便は満車で(席は6席ほどしか無くすぐ満席、立てる空間も4名程度で密な感じ)15分に1便と聞いている、まずい、と思っていたらすぐ次が来た。

瀬野駅からすぐにぐんぐん高度を上げていく。
白いレールが崖や街によく映える。 
途中の駅はどうするんだろうと思っていたら、一定の時間止まって扉が開閉した。

終着駅に着く。
のんびりと、乗ってきた便や駅からの眺めを撮影して、駅の階段を降りる。降りたところから、まっすぐに登り坂が始まっていた。後ろから来たJK2名が坂の木漏れ日の下を軽やかに登っていった。

坂の横の道を眺めても、その道も坂だった。水素?バスのターミナルを作るらしく許認可が遅れていますのようなポスターが貼ってあった。

駅の真下の階段を降り、下の街を見てみる。スカイレールの高架の下の空間は適度にデカイ踊り場のある、大きな階段がずーっと続いている。すぐ下の踊り場の左右に公園のようなものがあった。
階段を地元民が数名上り下りしていて、慣れると高低差は苦では無いのか?と思った。

面白い公共交通があると、その周辺のまちを楽しむきっかけになると思った。筆者らには時間が無く、途中駅には降りなかったが。

戻りは、行きと同じような家族連れと。席が空いていたので座ったが、振り返って車窓を撮影するのが若干大変で、気遣い少なめでスカイレール車窓撮影を楽しむには同じグループで座ってる人一人、立っている人一人の組み合わせが理想と思った。

大きなカーブと途中駅を通って、すぐ瀬野駅に着いてしまった。

スカイレールから宮島に向かった。筆者は首都圏から宮島方面の乗車券を、五日市駅まで使用済だったので、瀬野駅〜五日市駅までの切符を購入した。

瀬野駅から広島方面、宮島へ乗る車両は、講演会で聞いた新しい車両が来た(多分)。知っていると、ただ目的地へ移動するための電車でも面白い。※筆者は通常、一度乗った路線にはあまりときめかないタイプ。

つづく昼の宮島は4-3.宮島の部を参考にされたい。

4-4.復路スタート(宮島から広島へ)

宮島からまたJRで広島駅へ戻った。いよいよ往復乗車券の復路を使う。

往復乗車券の区間の先端部分、前空〜宮島口間は惜しくも(?)乗らなかった。

同行者はアニメグッズを販売している「らしんばん」に行きたいと言っていたので、確か宮島から広島駅へ戻る途中、新白鳥で分かれ、同行者はらしんばんへ。筆者は広島駅から徒歩で宿、宿から荷物を取り、また戻って、広島駅で合流する流れとした。

広島駅へ向かう途中、やっと、気になっていたヒロシマ・アーカイブを見てみた。

東横イン

ホテル、宿というべきか、は、3泊ともよく使うチェーンホテルの東横イン。特筆すべき点は多くない。

1,2泊目は同じ東横インをバラで予約していたら同じ部屋としてくれた。荷物を纏めなくてよいので(おい)、よかった。

東横インはオンライン決済すると幾分安くなる。1泊目チェックインの際、連泊の形になるので2泊目の決済が必要と言われたが、その際にオンライン決済の時間待ってもらえたので良かった。筆者、その場の雰囲気につるっと流されて、クーポンの使用を忘れて正規料金払いがちな民なので。
1泊目に荷物を置いて外出する際、筆者所属機関の同期に会った。同じホテルにチェックインしていた。東横イン勢〜(筆者とその人は大きな枠で見ると同じで狭義には違う部に所属であるため、筆者が所属する部で呼びかけられていた出張パック使用を、その人は使わなくてよかったのだろう。)

2泊目の晩、スーパーで買ったぶどうゼリーを部屋の冷蔵庫の上の氷ゾーンで冷やした。そのまま忘れた。チェックアウト時に預けた荷物を受け取った際にその行方を確認するのを忘れ、別のホテルに泊まったあとに、往生際悪く確認したが、ホテルの人に無いと言われた。飲食物は状態問わず廃棄するルールとのことだった。200円弱だったと思い財布はさほど傷まなかったが忘れたことに対して若干ハートが傷ついた。

広島に東横インがいくつがあるが、他の都市よりも駅と東横インが遠いと感じた。さすがに県庁所在地。

おわりに

そんなこんなが、広島だった。
江波山気象館や子ども科学館など行きたいところはまだあり、再訪したいと考えている。
楽しかったです。


まずはぜひ気軽にスキを押してください!喜びます。 もしサポートしてくださった場合、旅/乗り物代に使わせていただきます。