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皐月の雨。

「氷雨」という歌謡曲がある。1977年発売。
私がラウンジに勤めていたときに歌ったことがある。

その店では入ってすぐに自分で名前を考える。
少女小説(講談社X文庫!懐かしい。)に登場する主人公のライバルからとって「さつき」と名乗った。
マネージャーが「おじいちゃんが競馬好きだから皐月賞の皐月!」と言って名刺を作ってくれた。
私は10月生まれだが、皐月なので5月3日生まれと設定した。
ママが、年齢を聞かれたら20歳だと言いなさいと言った。
私は22歳だったけど。

顧客はゼネコンの重役とか関連会社の偉いひとで何かのプロジェクトが始まる前に、親睦を深めるような感じで延々と仕事の話しをしていた。
女の子は口を挟んではいけなくて、急に相槌を求められたら応じたり、空いたグラスを満たしたりしていた。

個人で来られる店ではなくて、会員制というかたぶん紹介制で料金のことは私は何も知らなかった。請求は会社に行くシステムだった。
社用で使う店、経費で商談をする、接待する店、ということ。
座るだけで5000円とか言ってたかな…。20年以上前の話し。
店が暇なときは昼に出勤して、会社のお昼休みに顧客の名刺の番号に電話をかけて呼び出してもらって「また来てくださいね」とお話ししたりもした。
お姉さんたちは自分のお客さんがいたけど、私はただのアルバイトだったので、行きなさいと言われた席についた。

たまに歌が好きなお客さんに当たると、何歌いたい?と聞いてもらえることがあった。滝廉太郎の花を歌って笑われたこともある。
私は父の2番目の妻の子で年齢がいってから出来た上に末っ子なので、古い歌を聴いて育った。
家族が音楽好きでいいオーディオセットがあり、歌謡曲のレコードやCDがたくさん自宅にあった。
氷雨はなんとなく聴いて憶えている歌のなかでは大好きな曲だった。
歌詞をよく読むと湿っぽくて、若い女が歌うものではないような気がした。

音楽好きな偉い先生(何の先生だか忘れた)の席によくつかせてもらい、
あの曲のタイトルなんだっけ、Have You Ever Seen the Rain…だっけ? 
などと話していると、担当のお姉さんは話しが分からないのが面白くなかったようで、「皐月ちゃんは年上の彼氏がいるんでしょ~?」と何度も言われた。
実際の彼氏は年下で、音楽の知識は父由来だったり自分でさまざまな曲を聴いたりしたものだった。
ひとは憶測で意外なことを考えるのだなぁと思った。

チーママはバイク乗りでアメリカで生活していたことがあったそうで、極まれにお客さんに乗せられてBorn to Be Wildをノリノリで歌ったりしていた。
ある日、急に金髪のベリーショートになって現れた。
和服で黒髪のつやつやロングヘア―を毎日結い上げていたのに。
その頃から自分の店を持つ準備をしていたのかもしれない。
私が退店したあと独立したとママから聞いた。
ママには寝耳に水だったらしい。
私は面接のときからママに気に入られていたけど、チーママは実力もなく勤務態度もいまいちな私がちやほやされるのが恨めしかっただろうと思う。私には当たりが物凄くきつかった。
いろいろ堪り兼ねることがあったのかもしれない。
私は22歳で、お姉さんたちは50歳近く?でママは70歳近くだった。
私は誰のこともくわしく知らなかった。
まず興味を持たないことを、訝しがられていたかもしれない。
私はそういうタイプなのだった。

もうひとり印象深いお姉さんがいた。
着替えにロッカールームに入るとお姉さんが机に顔を伏せていた。
大丈夫ですか、と聞くと、話しかけないで、と言われた。
とても痛そうで辛そうだった。後で肺気腫で入院したと聞いた。
お姉さんはヘビースモーカーだった。
肺に出来たブドウ状の腫瘍が破裂寸前だったそうだ。
それ以来、肺気腫と聞くとお姉さんを思い出す。
とてもやさしくて、若い頃は後輩にビシビシ指導してたけどもうしんどいから何も言わへんねん、と言っていたので私はラッキーだったのかもしれない。
私が退店した後、お客さんと結婚したらしい。
これもママにはびっくり仰天だったそうで、相手はみんな知ってるひとよ~と言うから○○さんかなぁなどと思ったりした。

お客さんに、なんでこんなところで働いてるの、と聞かれた時に(割とよく聞かれた)、
「お父さんが病気だから治療費のために働いてるのよね、皐月ちゃん」とフォローしてくれるお姉さんがいた。
その質問は誰でも答えにくいし、事情があって夜働いているひとだらけだから、お姉さんは助けてくれたのだろう。私に病気の父はいなかったが。
少しして、お姉さんが休みに入った。
お姉さんには、ほんとうに闘病している御父上がいたけど亡くなってしまってしばらく出勤できない、ということだった。
私は驚いて、何も言えなかった。
いまのように誰とでも気軽に連絡先を交換する時代ではなかったし、ましてや夜のお勤めの本職のお姉さんと自分は別世界のひとだと、私はどこかで考えていた。何も伝える術がなかった。
お人形のように美しいお姉さんは、だいぶ癖の悪いお客さんについて苦労していたが、それも御父上の為だったのだ。

店は、バブル期には高級クラブの位置づけだったようで、女性を触るような売り方はしていなかった。
私が入店したのは、景気が冷え切った頃で仕方なく困った客も入れていたのかもしれない。
見えないように後ろから、美しいお姉さんの下着に手を入れる客がいてずっと我慢していたのだ、とある日ミーティングで告げられたので全員でその客を包囲して監視しお姉さんを守ることになった。
あまりない出来事で、みんなで目配せしたりして、不謹慎だがちょっと楽しかった。

そんな男がいまもどこかで生きているのが、人間の世の中なのだ。

夜の闇ではいつも誰かがおかしなことをやっているの。
知っているから、清廉潔白な人間なんてほとんどいないんじゃないか、と極端だけど思っている。

私が店を辞めたのは、年下の彼氏に泣かれたから。
その彼とは結婚してもいいと思えたのに、私はまた運命に殴られてふわっと離れてしまった。

自分に合わないことをしていると運命が殴ってくるのだ。
これって私だけじゃないよね?

厳しくされたりやさしくしてもらったり。
私は、自覚していたよりもずっと恵まれていたし、愛されていたのだと思った。




覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。





 


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