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宮城まり子 ねむの木学園 園長

ありったけの愛と命をこどもたちへ


だめな子なんかひとりもいない ――
家庭にめぐまれない障害児への教育が義務化されていなかった40年前、「許せない心」から、日本で初めての肢体不自由児の養護施設を自らつくられた宮城まり子さん。
各施設の設立・運営にあたっては、行政や通例と戦い抜き、一貫して弱い立場にあるこどもたちの人間性を守ってこられました。
こどもたちの、のびのびと個性あふれる絵、こどもたちこそ本質を知っている ―― 宮城さんは、こどもたちがもつ本来の力をじっくりと待ち、引き出されています。
こどもたちのかくれた能力を引き出すべく、日々命がけの実践をされてきた宮城さんの、あふれる思いをうかがいました。

(取材 2009年2月5日 静岡 ねむの木学園にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』に掲載当時のものです。



感じて、表現できることが、
いちばん人間として素敵なこと

―― 美術館でねむの木学園のこどもたちの絵を拝見させていただきました。先生は本当に素晴らしい生き生きとしたものをこどもたちから引き出していらっしゃる、とても感動いたしました。

美術館に北海道から来てくださる人もいます。私嬉しくなっちゃってね。ねむの木学園は自然がいっぱいで、4、5月頃は全部が緑になります。桜をはじめいろいろな花が咲く。気持ちがいい。

 今、この新しく自分でデザインしたクリアフォルダが出来上がったので、私、嬉しいのよ。ちょっとしたことがとんでもなく広がって、嬉しいの。

 普通の人ならこのくらい(両手を胸の前)なんだけど、私はこのぐらい(両手を左右いっぱい)嬉しい。でも逆に指先ほどの悲しいことが、とんでもなく悲しく感じるから……損なのよねぇ。

―― でもそういう感じる心、失ってはいけないですよね。

 感じることね。感性ね。感じてそれを表現できるということが、いちばん人間として素敵なことだと思う。うちのこどもたちの絵を見たでしょう、感性そのまんまです。

 「褒められよう」とかがない。お母さんを描いたら、お母さんが画面いっぱいにワーッとなる。

 それを描いた子がいじめられていた子だったりする。学園にはいろんな子がいるけど、みんな何かを持っている。みんな何か持っているのに、大人が気がつかないんじゃないかなって思うの。


みんな同じ言葉になったら怖い

 吉行淳之介文学館の中にお茶室があってね、そこに行く時には、こどもたちが途中のガラス工房に寄ってくれて、私のガラス作品の感想を言ってくれるのだけど、3人いれば3人ともばっちり違うことを言うのよ。

 そこで私が素敵だと思ったのは、「僕、いいと思った」「私もいいと思いました」というように、同じようなことを言わない子たちであって良かったなということ。そのうちの一人は、「夜ね、母さん悲しかったの?」って聞くの。それで私は「うん、悲しかった」と言いました。それでその子は満足なのね。もう一人の子は、「僕は、これよりこっちのほうが好き」と言ったの。言うことが完璧に違う。3番目の子は、「夜、ここにいるのはお母様と先生(故吉行淳之介氏)なの?」って聞いたの。ぶるぶるっと体が震えた。私が「そう。そのつもりで作ったの」と言ったら、「ああそうか。次は僕が頼んでいるオレンジ色のほわ~んとしたので作ってよ」と言って、行ってしまった。なんか不思議なことを言うでしょう? あの子は悲しかったのかなぁ……嫉妬なのかなぁ……て。

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