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ミカエル・リャブコ ロシア武術システマ創始者

武術は、国や民、そして人の心を護るもの


ロシアの広大な土地とその歴史を背景に、様々な戦闘を経て生まれ継承されてきたロシア武術システマ。革命後の弾圧そしてソ連崩壊のあと再び姿をあらわしたこの武術の歴史と技は、いまだに多くの者にとり知られざるところであるが、本会見はその歴史と心の一端の紹介を試みるものである。

リャブコ氏の語るロシア修道院の歴史は、ロシア武術の歴史そのものであり、またこの実戦格闘技の高邁な思想性を裏付けるものである。氏の「昨今の武道は、エゴ、残忍さ、攻撃性を生み出す」との戒めの言葉も、社会に果たす武道の責任と役割を問うものであり、心身両面のバランスのとれた修行を説く氏の深い信念を表わしていた。

(取材 2003年5月19日 カナダトロントにて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に掲載当時のものです


ロシア武術システマについてその歴史と技

 ロシア武術の源は10世紀までさかのぼる。広大な土地を持つロシアは、それをとり囲む東西南北の国々から常に侵略の脅威におびやかされてきた。侵略者たちはそれぞれ独自の戦闘技術や武器をもってロシアの様々な地域に攻め入った。戦闘は、ある時は凍てつくような寒さのなかで、また灼熱の暑さのなかで行なわれた。兵士数も敵勢に劣ることもしばしばだった。
 このような厳しい戦闘環境からロシアの兵士たちは、強い精神力、革新的で適応力のある、そしていかなる攻撃の状況下でも実戦に即した、致命的で有効な戦闘技術を学んでいった。そしてその技は主に、当時地域の国家的役割を果たしていた修道院に引き継がれていった。
 しかし、1917年のロシア革命によって、ロシアの全ての伝統文化は迫害を受ける。何世紀もの伝統をもつ武術も例外ではなく、修行者たちは厳しく取り締まりを受けた。しかし、ロシア武術のもつバイタリティや有効性を即座に見抜いた当局は、これをSPETSNAZ(特殊部隊)の戦闘術として保存し、また軍の秘密機関や政府要人のボディーガードに修得させた。
 そしてソ連邦が崩壊すると、サンボなど他の多くのロシア戦闘術とともに、稽古や試合、メディアを通して再びその姿をあらわすようになった。
 システマの技術は数々の戦闘経験のなかから護身のために編み出された格闘技術、武器技であり、知性と創造性に富む、またいかなるルールや厳しい規則制限(道徳面は除いて)のない、自然体で自由な、そして生まれつきそなわった本能、力、精神を基盤とするものである。常に実戦を想定した術技は、攻撃に対しては約束組手のようなパターン的捌きはいっさいせず、また攻防の区別もせず、すべて複合的にとらえて対処する。指導する術技は、護身術、ナイフ対処術、蹴り対処術、ボディーガード術など、言わば格闘術に街頭での戦闘テクニックを合わせたような、実戦テクニックを多く含んでいる。

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左からワシリエフ氏、プラニン本誌編集長、リャブコ氏


ライフラインも防衛も担った修道院――戦う修道士たち

―― システマは今日、世界の武術界に非常なインパクトを与えていると思います。と言いますのは、ポピュラーな武術のほとんどはアジアから生まれているのに、システマはロシアから生まれたという点ですね。

 このシステマが、ロシアでどのように生まれ、どのように今日まで引き継がれてきたかということにつきましておうかがいしたいと思います。

 皆さんがロシア武術について、今まで聞いたこともなく、そういった武術が存在するということに驚かれているというのは、私にとって意外でしたね。考えてみてください、ロシアは広大な国ですよ、誰かがそれを守らなくてはならないのです。ロシアには昔から勇敢なことで知られた兵士たちが常にいました。

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