菅沼守人 合気会八段

求め得た師の教えあってこそ

「本当に魂に食い込んでくる、全身全霊をもって教えてくれる師匠というのはなかなかいないですよ。そういう人を若い人たちに探してもらいたいですね」

去る5月1日、菅沼守人合気会八段の、九州派遣三十五周年を記念する演武大会が福岡市で盛大に行なわれた。昭和45年、合気会九州地区合気道の充実をはかるため、故植芝吉祥丸二代道主に派遣された菅沼師範は当時弱冠27歳。以来、ただひたすらこつこつと道を精進して人の和を広げ、ゼロからの出発から、傘下、関連あわせて、国内外100以上の道場を擁する組織に育て上げた。様々な師に支えられた35年を振り返り、語っていただいた。
(取材 2005年3月7日 東京新宿にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』145号に掲載当時のものです。


九州派遣35周年記念演武大会での菅沼師範の演武

自然体で広まった合気の縁

―― 先生には6年程前に取材させていただきましたが(119号)、先生が九州に道場を始められて今年で35年という区切りに、「道」という視点から今後の方向性などのお話を伺わせていただけたらと思います。

 ありがたいことに、私が九州に来た頃からやっていた方が今もたくさん続けておられます。当時、同い年か年下の学生が一生懸命協力してくれまして、「ここに道場を作りましょう」とか、そうやって一つひとつ増えていきました。その学生たちも、今はもう50歳を過ぎておりますが、指導員として手伝ってもらっています。
 作ろうとして作ったというよりも、会員の方々が自発的に作ってくださったというのが多かったですね。
 昭和45年に初めて行った博多水上警察署の署長さんがご自宅に呼んでくださったんです。その署長さんはまだ若い私をその頃から「師範、師範」と呼んでくださり、「師範、『人』という字を考えたことはありますか。これから福岡で合気道をやっていくなら、一人じゃ倒れてしまう、(人という字のように)支え合って生きなくてはいけない」そういうことを説明してくれました。自分が偉い、強いといくら言っても人が協力してくれなければたいしたことはできない。その言葉にはとても助けられましたね。事実、一人ではなにもできませんでしたから。

―― 当時、本部道場の大澤喜三郎先生が菅沼先生の父親代わりのような存在でいらっしゃったそうですね。

 そうですね。大澤先生にはずいぶん影響を受けました。男の生き方みたいなことをよく話してくださいました。「普段は目立たなくていいから、いざという時役に立つ男になりなさい」とか、私が九州に行って、道場が増えない時期もあったのですが、「そんなことは気にしなくていい、お前たちがやっている姿を見て入ってくるのが本当だから、宣伝なんかしなくていい」とか。そういうことを一つひとつ丁寧に教えてくださいました。
 「有縁即住 無縁去」、昭和46年に大澤先生が色紙に書いてくださった言葉です。「縁があったらそこに住みなさい、縁がなければ本部に帰ってきなさい」と。のちに師事した梅田禅師からも、同じ言葉の書をいただきました。

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