見出し画像

パット・ヘンドリックス 合気会六段

国籍も男女の壁も越えた
斉藤先生の合気道

「私は女性合気道家としてパイオニア的存在だったと思います」

19歳で、合気道をはじめ、故斉藤守弘師範のもとでの修業を開始してから24年、来日回数は、数十回を越え、岩間での内弟子生活は通算6年という経験をもつヘンドリックスさん。厳しい合気道で知られる斉藤師範に、女性の本格的な受を初めて登用させたのも彼女である。「指導は天職」というヘンドリックスさんは、斉藤師範に就いた日々、女性合気道家としての抱負を語る。
(取材 2002年5月ラスベガス エキスポ会場にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』135号に掲載当時のものです。

故斉藤守弘師範と岩間道場にて 1988年頃

合気道を始める

 合気道を始めたのは1974年、モンテレー(カリフォルニア)の小さな大学でです。高校の頃、ブルース・リーの映画を見て武術に魅力を感じていたところに、たまたま出合ったのが合気道だったのです。でも、最初の稽古を受けた後、合気道こそ私の武道だと思いました。合気道の持つ動き、思想、指導法など、すべてが私の求めていたものとぴったりだったのです。

 合気道を始めてから間もなく同じくモンテレーにある今の合気ニュース編集長のプラニンさんの道場に入門しました。74年の秋、19歳の時です。それから内弟子のような形で指導を受けるようになり、稽古には全部出席しました。

岩間で内弟子として

 1977年にプラニンさんが日本に行かれることになりました。プラニンさんのほかに、親しくしていたブルース・クリックスタインさんとか何人かが岩間に行こうとしていました。それで、「私も行こう」と思ったのです。その時は大学の2年ぐらいだったと思います。1年休学して(結局1年半の日本滞在になってしまいましたけど)、岩間に行くことにしました、1977年の秋です。

続きをみるには

残り 3,480字 / 3画像

¥ 162

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?