【論説】その人の名は、開祖・植芝盛平

文・合気ニュース編集長 スタンレー・プラニン 

(1995年10月 季刊『合気ニュース』106号より)
  ※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に掲載当時のものです。

 
 先日、本誌のスタッフがある高名な師範にお会いしてお話をうかがったときのことです。編集長の私のことも話に出て、師範は私がすっかり「盛平熱」にやられているんじゃないかと言われたそうです。

 このさりげない一言は意外だったものの、考えてみればまったくその通りだなぁ、と思い直しました。そして読者のみなさんが本誌の内容や方針をどうとらえておられるのかについて改めて考えさせられました。思えば21年間の『合気ニュース』の出版で、数千頁以上印刷してきましたが、このうち盛平翁の生涯と武道に異常なほど多くの頁を割いています。

 なぜこのように開祖にこだわるのか? そもそもの始まりは合気道を始めた頃に私が抱いた開祖への強い好奇心でした。大先生が逝去された直後の1969年に合気道を稽古するためと、私にとって非常に興味のあった合気道のルーツを知るために私は来日しました。すでに大先生の魅力のとりことなり啓発されることの多かった私は、この偉大な人物について何もかも知りたいと思っていたのです。しかし、その約2、3ヵ月後には、大先生に関する歴史的資料のあまりの乏しさに失望して日本を去りました。この日本武道史上の巨頭の一人、植芝盛平に対し、当時は伝記に類するような研究しかなく、それも、大本教の影響に主点をおいたものでした。ましてや開祖の技についての技術的な解明はまったくなされていませんでした。そのような状況のもとでは、翁の技と理念の源泉を把握することなど、大先生と緊密な関係にあった人以外には不可能なことだったでしょう。

 日本武道史上20世紀のパイオニア的存在である武道家は何人もおられますが――たとえば嘉納治五郎や船越義珍など即座に名前があげられます――その中でも植芝盛平という人物は、優れた技の持ち主というだけではなく、合気道を護身の手段としながらも同時に攻撃者の身の安全をも思いやるという倫理性に徹しているという点で異彩をはなっています。このような倫理的理念が彼のメッセージの中核をなし、またこれが礎石となって、武道を闘争の平和裏解決の手段とする武道観が確立されました。

 悟りに到達し剣を殺人や破壊を超越した境地にまで高めた武道家はほかにもいる、と日本武道史に詳しい方々から指摘されたこともあります。しかし、そのような武道家は主として禅思想の影響を受けており、生を尊ぶというより、死に直面したときいかに平静を保つかに関心があるように思われます。一方、開祖は大本教の出口王仁三郎の影響が著しく、生きとし生けるものすべてが持つ厳かで侵しがたい生命に対する深い敬愛の念を示しました。おそらくこの崇高な思想が、学問宗教を越えて伝わる植芝盛平のメッセージの持つ普遍性の源なのでしょう。

 しかし、盛平の世界はそれだけにとどまることはありませんでした。英雄的側面も多々みられ、当時の日本の傑出した多くの人々との交流によって波乱に満ちた一生を送ったのです。ひたすら理想に邁進した開祖は全力で稽古に打ち込み、内的世界の探求に旅立ち、そして合気道を世に送り出しました。

 より現実的な面では、盛平は勤勉、忍耐、目的に向かって努力する者の生きた見本でした。富裕な家に生まれ成人後も親や親戚の援助に支えられた盛平でしたが、その生活ぶりはつねに地味であり、金銭的な面には一切興味を示しませんでした。鍛練によって作られた強健な身体は、同時に85年の生涯を通じて子供のような柔軟さを失うことがありませんでした。さらに菜食を基本とした食生活に加え生涯の後半はアルコール類をたしなみませんでした。こうして、盛平はおよそ半世紀にわたって老いも若きも魅了し啓発し続けた、立派な見本だったのです。

 開祖の生涯を詳しく調べていきますと、彼の人間的な面も数多くわかってきました。しかし、これは開祖の偉業をすこしも損ねるものではなく、それどころかこのような新しい発見はこの複雑な人物の理解をいっそう深め、また合気道の道を歩み出した人たちにとって親しみやすい存在としたのです。開祖が逝去されてから、開祖を「神格化」してしまう困った傾向がありますが、これは史実の都合のいい部分だけを入念によりわけて世間に発表し、また開祖のすばらしい技の数々を徐々に博物館行きの代物としてしまった結果です。そして、修行生たち、とりわけいままで『合気ニュース』を入手されたことのない方々の日常の稽古において、開祖の存在はほとんど忘れ去られてしまったのです。

 また植芝盛平は教師としては失格だという非難も聞かれます。わけのわからない神がかった言葉を口にすることで技を見えなくしてしまう、と。たしかに彼は道場で現代教育法なるものを実践することはありませんでした。明治の時代、それも中等教育で終わった盛平翁にとってそのような教育法など知る由もなかったのです。また、彼の宇宙観と彼が口にする独特の言葉は大本教信者としてのものであり、大本の知識のない人には、ちょうどユダヤ・キリスト教徒の文化などの知識のない人が西洋哲学を理解する場合のように、なかなか困難なことです。

 理想に燃え、人々を鼓舞し続けた植芝盛平、彼の行動は何万という稽古生を励まし稽古を通じて自己を向上させようという気持ちにさせました。彼が最高の技の持ち主だとか、あるいは最強の武術家だとかはこの際まったく関係ありません。私がここで強調したいのは彼こそ、武器――人命は言うに及ばずあらゆるものを破壊する――に脅かされている現代に、世界に共通の、闘争解決の手段を示唆する深遠な真理を掴んだ人であったということです。

 以上が、発行以来、弊誌が開祖に惹かれ続け、彼の生涯と偉業を編集方針の中軸にすえてきた理由です。これからも彼の生涯のあらゆる面を可能なかぎり調査(実証)記録し、開祖の教えを良心的に、詳しくご紹介したいと思っています。将来、本誌が合気道を志すすべての方々にとり、開祖がなした数々の洞察や発見を容易に知るための手段となることを願ってやみません。おそらく、上記の内容は、「盛平熱」にやられたという見方を一層つよめることでしょう。しかし率直に言って、これほど価値のある、また夢中にさせる研究対象は、開祖のほかに思いあたりません。

―― 季刊『合気ニュース』 №106(1995年10月)より ――

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