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ピーター・ゴールズベリ 合気道六段

合気道と交渉術

合気道暦30年、現在は広島大学で交渉学の講座を持つピーター・ゴールズベリ六段。異文化間の交流がますます重要になっている今日、その手段のひとつである交渉術に焦点を当て、それが合気道界やビジネス界にどのように活かされているかを語ってもらった。
(取材 2002年5月4日 ラスベガス AIKI EXPO会場にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』137号に掲載当時のものです。


日本に来たくて
広島大学の教官に

―― まず、先生の合気道歴をお話しください。

 合気道を始めたのは、1969年頃だったと思います。当時私は英国のサセックス大学の学生でした。そこで留学生の田尾憲男さん(東京大学で田中茂穂師範に就き合気道を修行)に出会い、大学合気道クラブを6人のグループで作ったのです。2年後、田尾さんは日本へ帰ることになり、新しい先生を捜すことになりました。その時は英国の合気会とは交流がありませんでしたから、私は度々ロンドンへ行って、ジョン・コーニッシュさん(英国人)という方から稽古をつけてもらっていました。

 ある日、道場へ行く途中、ロンドンの地下鉄で合気道のポスターを目にしたのです。そのポスターに載っていた千葉和雄先生は、道場の仲間によると、“厳しい先生”とのことでしたが、勇気を出して友達とその道場に行ってみたのです。千葉先生は田尾さんをご存知でした。そして私に稽古にくるように言ってくださいました。千葉先生のお弟子さんに金塚稔氏(当時3段)がおられました。
 私はサセックス大学を卒業後、博士号をとるために奨学金をもらってハーバード大学に行くことになり、ニューイングランド合気会師範の金井満成先生の道場に入会しました、1973年のことです。
 1975年までその道場に在籍しましたが、その間、米国におられた山田嘉光、藤平明などの師範方とお会いしましたし、また日本から訪問された、大澤喜三郎、藤田昌武、菅沼守人、ハワイへの途中に立ち寄られた植芝吉祥丸道主などにもお目にかかりました。
 ハーバード大学で博士課程(古典学科)を終えたかったのですが、教授がハーバードを去ってコーネル大学(英国)へ行かれることになったので、私も英国で博士課程を続けようと思い、ロンドン大学の大学院生になりました。もちろん合気道の道場を見つけなければなりません。幸運なことに、近くに金塚稔先生の流心館道場がありましたので、75年から80年まで、流心館道場でほとんど毎日稽古をしました。
 当時、英国の合気会にいろいろな先生方が見えました。千葉先生は定期的に来られてましたし、田村信喜先生や山田嘉光先生とか、斉藤守弘先生も来られました。私はこの時期に山田先生から初段をいただいています。
 英国に滞在している間、日本に行くことをたびたび考えました。なんと言っても日本は合気道の発祥の地ですから。そこで英国領事館に相談に行って面接を受けたところ、それから間もなく東北大学、広島大学、大分大学を紹介されて、その中から広島大学を選びました。そして、1980年に来日。建前は広島大学で英語を教えるためですけど、本音は合気道をやるため(笑)。日本語は話せませんでしたので、日本のYMCAや大学、あとは個人教授で学びました。
 大学ではまず英語教師として出発し、その後は総合科学部の専任教官になりましたが、専門分野は言語思想論、言語哲学です。大学院では比較文化論や比較修辞学を教えました。

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