【特集】田辺と植芝盛平

植芝盛平の青少年時代


植芝盛平が合気道を創始する過程において多感な青少年時代をすごした田辺時代は、盛平の人格形成や武術家としての進路を方向づけたことで重大な意味を持つと言える。今回は、盛平が生まれ育った田辺に焦点を当て、盛平の周囲に起こった事件や彼をめぐる人々について述べる。
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』135号に掲載当時のものです。

(1)植芝盛平の青少年時代     文:スタンレー・プラニン
(2)田辺に生まれて大先生に習ったことを光栄に思います
                  五味田聖二 田辺道場長
(3)田辺から東京の開祖のもとへ  廣田善隆氏に聞く

山を背に、海に面した田辺市全景


(1)植芝盛平の青少年時代 
            文:スタンレー・プラニン

盛平翁顕彰像 
(田辺市 扇ヶ浜 昭和63年建立)


はじめに

 おおむね歴史家というものは、科学者同様、理論好きです。科学者は、先人の研究や科学者自身の観察に基づいて仮説を立て、それがテストや実験に耐え得るかどうかを確かめます。一方、歴史家の場合は、歴史上の事実や事件をまず整理し、そこから自分の研究対象人物の行動やそれに至った動機をなんとか理解しようと努めます。このようにして記録され分類されたものはどんな些細な事であれ歴史家にとって、さまざまな出来事が錯綜している 歴史の迷路を進み〝仮説を〟証明するための手掛かりとなってくれます。研究する人物の縁者によるちょっとしたコメント、古い新聞記事や演武会などのプログラム、そして写真の背景に写っている掛け軸など、これらは一見それほど重要ではないように思われますが、それぞれが新しい発見への鍵を握っているのです。

 合気道開祖植芝盛平の若い頃の田辺時代と彼の家族環境については、開祖の他の時代のように、はっきりとした記録はあまりありません。この時代の開祖について述べるにあたっては、おもに子息植芝吉祥丸氏が著した『合気道開祖植芝盛平伝』(一九七七)や植芝吉祥丸氏との会見で直接お聞きしたお話を参考にしました。また砂泊兼基氏による『合気道開祖植芝盛平』(一九六九)や、植芝家と井上家の方々のお話も参考にさせていただきました。

 田辺時代についての資料は限られたものですが、本論文では主として青少年期の開祖の周囲に起こった重要な事件と、それらが開祖に与えた影響について述べ、さらに進めて、当時の開祖の気質、開祖の行動が、どのように後の合気道創始者形成へつながっていったかを明らかにしていきたいと思います。

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