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稲村雲洞 前衛書家

僕の前に道はない。
僕の後ろに道はできる ―― 道なき道の開拓

「自分が歩んできた道に対しては、信念をもってやってきた、だから必ずこの道は発展するという自覚もある。それほど深く、広く、大きい、無限大、宇宙的なものなんです。確かなものを積み上げていけば、必ず道はひらける、僕にとり“道”とはそういうものなのです。」

書を志して65年、前衛書家に専念して35年、傘寿を迎えてなお精力的に作品を発表しつづける稲村雲洞氏。常に行動で実践してきた人の、思想、哲学、生き方に学ぶ。

(取材 平成16年11月15日 稲村氏ご自宅にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』に掲載当時のものです。


道とはなにか

 道ということになると、一番最初に感じることは、高村光太郎の「僕の前に道はない。僕の後ろに道ができる」が原点ではなかろうかということです。道とは何か。歩く道、一本道、無限の道、歩んできた道、そういう道をどのようにとらえるかは大事であると思います。

 合気道、剣道、茶道、書道など、「道」というのはいろいろなジャンルで使われ、非常に多様性があるわけです。しかし、僕がいう道とは、すでにある道ではないんです。荒涼とした砂漠に道をつけなければならない、道はないが開拓精神がある、道なき道という。ですから、おれの道はこうだという自分の確固たる理念、消すことのできぬ、歩んできた道、そういうことを客観的に言えるかどうかが、大事なんです。

―― 道は、行動の結果であると。

 そう。具体的な例を言いますと、台風が小笠原まできた。ここまで台風がきたという赤い線が表示されますが、そこから先は円が表示されるだけでわからないんです。一瞬先は闇でわからない。まったく人間の人生を示唆していると見ています。

 ある師匠についていっても、その出会いで変わることがある。型があるといっても、いろいろな障害があって変わることもある。

 私は現在八十歳ですが、これまで障害があっても突き進んできたし、それが道だと思ってやってきた。それは結果論であって、あしたの道はわからない。

 しかし、自分が歩んできた道に対しては、信念をもってやってきた、だから必ずこの道は発展するし、深い、広い、大きいものだという自覚もある。そして必ずや賛同してくれる者があるだろうという前向きの姿勢もある。

 それほど深く、広く、大きい、無限大、宇宙的なものなんです。それを一つみきわめて、確かなものを積み上げていけば、必ず道はひらける。僕にとり、「道」とはそういうものなのです。

 そういう点では、「僕の前に道はない、僕の後ろに道ができる」という高村光太郎の言葉は、歩み方の信念だと思う。あれほどの名言はないと思います。

原点に学ぶ

 型というのは、集約的にいえば、一種のルール化、法則化だろうと思います。しかし、それが法則化される前はまったく漠然としている。

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