宇城憲治 vs スタンレー・プラニン

【対談】

宇城憲治 沖縄古伝空手心道流師範
スタンレー・プラニン 『Aikido Jounal』編集長

「武術に戻る」ということ
論説『真の合気道の実現に向けて』をめぐって


『合気ニュース』134号の論説「真の合気道の実現に向けて」は国内外の合気道家から、賛同の意見が寄せられている。武術性が軽視される昨今の合気道界に、「原点の盛平翁に帰れ」との本誌編集長の提言が、大きな反響を呼んだのだ。

今回は、『武道の原点』の著者である沖縄古伝空手心道流師範の宇城憲治氏を迎え、ますますスポーツ化に拍車がかかる空手道をはじめその他武道への話題にも触れ、日本武道の本来あるべき姿、また武術性の復活について、忌憚のない意見を語りあっていただいた。

(取材 2002年9月10日 大阪にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に掲載当時のものです。


武道が“武道”として
あるためには…

宇城 沖縄は約600年くらい前(1543年)、三山に分かれて対立していた国を統一するため、武器撤廃の宣言をして平和の道を選びました。その歴史から生まれたのが空手です。したがってその歴史を知らないと、本当の空手はわからないと思います。本来空手には相手を倒そうという発想はないはずなんです。現在、私たちが継承している空手においても、よくその歴史を知り、そして空手の心を知って空手をやらないと、本来の空手とは違うものになる、ということなんですね。

プラニン 日本の武術のレベルの高さは命をかけることに繋がっていると思うんですね。西洋の影響でスポーツ化された武道はそういう面がカットされている。やる人間にそれだけの高いレベルの刺激がない。

宇城 プラニンさんが『合気ニュース』100号の論説で合気道の課題点と未来についての提言を書かれていますね。私はそのなかの『使える剣を鞘におさめたまま平和な社会を実現させる』という、この言葉が好きなんです。

 技は使えなければ意味がない、しかし使えるからと言って使うんじゃない、その使える技をもって、それを鞘におさめて、というところで精神性が高まるということですよね。私の師である座波先生は、「空手をやると理想が高くなる。しかし理想が高くなると一般的には空想的になってしまうものだが、空手をやっているとその理想を実現しようと努力するようになる」と。単に技術を求めるだけではないということで、同じですね。

プラニン 前号の論説では、現在の合気道はなぜ武道とは言えないのか、という点に焦点をあてて述べました。

 まず歴史的背景、つまり合気道を普及させるために武道的な面をあまり強調しなかった結果、普及された合気道は、開祖の創始された合気道とは大分違ったものになったということ。また開祖の精神的背景である大本教の面も戦後の風潮に合わないとカットされた。

 だから精神面と技術面の両方でかなりカットされたものが普及されたのですね。その結果、合気道に武道とは言えない要素がいろいろ出てきてしまった。

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