千田隆三 大東流合気柔術隆道会会長

果てしなき合気の道


大東流合気柔術の前田武(松田敏美門下)師範の合気の技を習得し、現在は後進の指導にあたっている千田隆三氏は、戦前昭和十七年に皇武会前橋支部に入門、平井稔、大澤喜三郎諸師範などの皇武会の先輩弟子の指導を受けた経歴を持つ。

「合気で相手の足を止め、無抵抗にする」に言いつくされる前田氏の追求した合気についての話はもちろん、その厳しさで知られ、〝地獄道場〟の異名を持つ皇武館時代稽古や当時の鬼気せまる盛平翁の演武の様子など、昨今の武道修行のあり方との違いを考える上での具体的な証言をも提供する会見となった。(取材 平成15年5月17日)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース137号』に掲載当時のものです。

痛い稽古なら願ってもないと、
皇武会に入門

―― 先生は最初は皇武会※に入門されたということですが。

※<皇武館道場入門者の増加により、昭和15年、財団法人として設立された。(財)合気会の前身>

 私は小さい頃から体が小さかったものですから父親からすすめられまして、小学校5、6年と天神真揚流をやっておりました。中学に入ってからは柔道部に入り5年間やりました。

 旧制中学5年頃ですが、腰を痛めて接骨院に行ったところ、そこに柔道の道場があって、新入生に教えてくださいと頼まれて(中学5年の時初段を取得)、教えに行ったりしていました。
 実は中学3年の時に前橋の古本屋さんに船越義珍の『唐手術』という本を見つけたのです。それを入手しまして、柔道をやるかたわら、唐手の一人稽古をしていました。実戦武道にあこがれておりましたので。
 私が常々唐手をやりたいということを口にしておりましたところ、ある方が「千田さんが喜ぶところがあるよ」と。聞いてみると、そこでは投げたあと突きを入れたり逆関節をやるので、その痛さにその方は辞めたということでした。
 それくらいの激痛なら願ってもないことだ(笑)ということで、喜んでそこへ行ったのです。それが皇武会の前橋支部でした。

 支部長さんは柔道3段、合気武道3段の斉藤久一さんという方でした(後に皇武会4段)。その方は仕事(魚屋さん)を1年のうち3ヶ月くらい休んでは皇武会の本部に内弟子の住込の稽古に行かれていました。本部に行くと、内弟子のように風呂焚きからやったそうです。植芝先生に鉋屑に一度火をつけたらその火を消さずにご飯を炊けと言われたそうです。
 前橋皇武会の道場はお風呂屋さんが作って貸してくださっていました。
 稽古には、平井稔先生(1903~1998、皇武会道場では総務を務めた。光輪恫創始者)、大澤喜三郎先生(1910~1991、1943年 皇武館入門)が1週間交代でお見えになりました。


―― 痛さが禊
とにかく半端じゃなかった

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千田隆三 大東流合気柔術隆道会会長

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