井上強一 養神館合気道九段範士

自然体が生む合気即生活

「指導は自分が変わらなければ教えられない。
 成長する、根本をもった上で変わる、
 そういう変わり方をしていかなくてはならない」

合気道修行一筋50余年の井上強一九段範士。
長年の修行のなかで培った修行の意味や、合気を日常に活かす価値、また師の存在、師を求めることの大切さを、気負わない自然体で語ってくださいました。
(取材 平成19年5月10日 東村山 草門去来荘にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』153号に掲載当時のものです。

指導するんじゃなくて、自分が変わらなければ

―― 井上先生は、武道会でも流儀会派を超えて、多くの方々と交流されておられますね。

 養神館の50周年の時も、柔道、剣道や空手の先生など、いろいろな方がおいでくださったことはたいへん嬉しいことでした。自分の組織というのはもちろん守らねばなりませんが、自分たちの武道が世間にどう還元できているかということが大事なんだと思います。
 今は狭い意味の武道だけになってしまっているところがある。

 新渡戸稲造の『武士道』は、人間の根本的なことしか言ってませんね。「刀を持て」とか「強くなれ」だけじゃないということです。
 いかにも武道そのものが道徳観にあふれたものととらえて指導している人がいますが、それはあくまでも「自分の狭い考え」で指導しているだけなんです。そうじゃない。指導をするんじゃなくて、自分が変わらなければならない。そうでなければ教えられない。

 自分が変わるというのは、カメレオンみたいに変わるという意味じゃないです、「成長する」ということ。それも、根本をもった上で変わる。そういう変わり方をしていかなくてはならない。
 たとえば絵画にしても、元の絵、色というのは、ぱっと初めに打ってある。それにいろんな色を加えていって、絵はできていく。はじめから色を混ぜてやっていない。ぴちっと打ち込んだ元絵にいろいろな色を重ね重ねて、いい色を出していくわけでしょう。だからその元絵がきっちりしてないといけない。それが自分自身の修行であり、基本ですよね。

 いろんな店に行くと、お店のマニュアルがある。しかし、マニュアルからはずれていても、あの店のあの人が対応してくれるとなんだか気持ち良くおいしく食べられるというのがある。反対にマニュアル通りにきっちりやっていても、おもしろみも何も感じられない人もいる、せっかくの味までも落ちてきてしまうような。そこが修行の差だと思いますね。
 ところが労働基準局からは、「社員募集の時に〝修行〟という言葉を使わないように」、それから「〝尊敬する人物〟を聞かないように」という通達が出ているらしいですね。そういう形で入社してくる人たちは、あまり厳しいことを言われるとやめてしまう。
 ですから入社したばかりの新人でも、自分の湯のみ茶碗しか洗わないのだそうです。「ほかの人のも一緒に洗ったら」と言うと、「それは飲んだ人が自分で洗うべきでしょう」と答えるんだそうです。「気づいた人が洗ったらいい」と言えば、「じゃあ、先輩がやればいい」と。
 今はそういう教育になっている。

自然体でできるようになれば、本物の修行

―― 先生は昭和30年に合気道をお始めになっていますが、その経緯をお話しくださいますか。

 大学の頃、外交官になりたくて英語学校に勉強に行っていた時、友達から手をひねられた。昭和30年頃は合気道なんて知られていないからびっくりしてしまって、「すごいなあ」ということで、彼から入会案内書をもらった、それが養神館の案内書だったのです。一人で行くのもなんだから串田君(串田 司 現在、米国で合気道指導者として活躍中)を誘って見に行ったわけです。そしたらみんな和気あいあいと楽しそうにやっていた。それで、おもしろそうだな、できそうだな、ということで二人で入門したんです。それが、昭和30年11月1日。
 当時塩田剛三先生(初代養神館館長)は道場の真ん中でやっていて、直接は教えてくださらなかった。5人くらいいた内弟子が教えてくれるのです。串田君と二人っきりでしょっちゅう稽古していました。
 ある日、塩田館長がそばへ来て、「二人でばかりやってないで、他の人ともやらないと。みんなそれぞれ癖が違うよ」と言われた。
 それから会員の人と稽古をするようになった。はじめは4時から5時の稽古をやっていたけど、それだけじゃ足りなくなって、6時半から7時半の稽古もやりだした。そのうちに研修制度ができて(昭和31年)、やらないかと館長から言われ、入ったのが、養神館第一期の研修生だったのです。ますます稽古がおもしろくなった。だから学校へ行く時間がおしくなり(笑)、単位すれすれになるまで稽古にのめり込んでいきました。

養神館合気道初代宗家 塩田剛三(1915~1994)


―― 最初はおもしろくて始めた合気道の修行、その意味はその後変わっていきましたか。

 変わっていきましたね。初段に受かるまでは、家には合気道をやっていると言っていなかった。母親に「そんな恐いもの」と理解してもらえないと思って。それで、家の風呂に井戸から水をくむのも、稽古のあとの身体が痛いのをがまんをして入れていました。しかし、初段に受かった時に、家の人に自分は合気道をやっていると言ったのですが、言ってしまってからは、「今日は稽古、きつかったから」と〝逃げ〟を言うようになった(笑)。言い訳が出るようになってしまったんです。

 その時、人間というのは甘いんだなぁ、何か逃げ道を考えながら生きているんだなと思いました。ですからそういう逃げ道をつくらないようにするのも、修行の大事なところかなと思いますね。

 ただ、だんだんわかってきたことは、無理やりにやるのも修行だけれども、自然体でできるようになるのが、本物の修行ということです。それが植芝老(合気道開祖)が言われる、〝宇宙と一体〟ということ。合気道は自然の理合いに合っていればいいんだと。

 痛い時は痛い。でもそれを隠してやればやれないこともない。しかし、「痛いけどやってみよう」という素直な気持ちでできればもっといいわけです。その点、私は最初は痛くても無理やりやっていた、つまり心と体が一致していなかった。宇宙と一体じゃなかったんだよね。雨が降って風が強い時に、「あ、今日は雨がすごいな」というくらいの気持ちで歩くのと、「いやだなー、濡れていくのは」と思って歩くのとでは雲泥の差ですよ。

自然と一体、宇宙と一体
そこまでの修行ができていれば

 修行にも上、中、下とある。〝下〟の修行は、なんとしてもと無理やりやろうとする。これは「できない人」の修行。〝中〟は、少しはそういう苦しみをわかりながら、それを受け入れながらやる。〝上〟は、それも何もない。ただ修行する。

 たとえば、立ったり座ったりでも、修行の〝中〟だと足が痺れていないふりをして立つ、やせ我慢をする。〝上〟になれば、痺れていることは痺れているけれど、それを見られてもどうってことはない。だから、「痺れたな」という格好をしながらも、立ち上がってやれる〝ゆとり〟を持つ。また傍の人にも、「あいつは駄目だ」と思わせない。それが本物の修行をした人なんだよね。すっとやる。自然体なんですね。

 だから、すべてが修行と言えるんじゃないですか。恥ずかしいのも修行の一つです。私も体調が悪い時など、30分も座っていられない時もあった。でも「自分は合気道の師範だ、痺れた格好を見せられない」と思った瞬間、そこに無理が出てくる。もっと痺れる。なんとかして立たなきゃいけないから、余計な動作をしなきゃいけない。そんなことを考えるから、本当の井上というのが出てこないんだよね。

 本来は、ただ「いやー今日はなんだかえらく痺れたなー」と言って立って動けばいいんです。「えっ先生でも痺れるんですね」「そりゃー痺れるよ」(笑)と。

 その上の上をいっていたのが、植芝老じゃないのでしょうか。

 塩田館長から聞いたのですが、表を歩いていて枯れ木が落ちてきて頭にぶつかった。すると植芝老は、「あいたーっ」と言ったと(笑)。枯れ木は自然に落ちてきたから、だから植芝老も自然に受けたわけね。それが植芝老のありのままの姿なんだね。ところが故意で来たものにやられるようじゃ駄目だということですね。

 だから自然と一体、宇宙と一体。そこまでの修行ができていれば、みんなも納得する。植芝老は死ぬまでが修行だと言いましたね。

 武道をやっている人間でも刺されることがあるかもしれない。しかし、それは修行が足りなかった一例にすぎないのであって、刺されたからみっともないということではない。「まだまだ修行が足りなかったなあ」と。それだけのこと。
 そうしてみると、生きるということは、おもしろいことなんです。なんでも楽しいと思えば、楽しいはずなんですよ。
 武道をやっているからといっても、人間には変わりない。漢字の「人間」という字は、人の間にいるということですからね。そういう意味じゃ合気道というのは、そうした修行にはもってこいのものです。

打ってきたから、避けたから、合気道は強いというんじゃない

―― 相手と和する修行ですね。

 植芝老の言う、「一間の円を描いた中に入ってきた人はもう駄目なんだ」というのは、そこで和しちゃっているから。打ってきたから、避けたから、抑えたから合気道は強いというんじゃないんです。それこそ塩田館長の言う、「俺を殺しにきた人と仲良くなること」が武道の最終の極意だと。

 これは塩田館長が拓大の学生だった頃の話ですが、ある日、館長の友人でたいへん喧嘩の強い人を植芝老のところへ連れて行ったそうです。その友人が「初めまして」と言ってずーっと頭を下げたのですが、植芝老は「ああよくいらっしゃいましたな」と言うものの、ぜんぜん頭を下げない。その友人は植芝老が頭を下げたところで、さわるなり殴るなりしようと思っていたんですね。でも植芝老が頭を下げないものだから友人が頭を上げたら、そのとたん植芝老が「よくいらっしゃいました」と頭を下げた。その友人は「参りました」と頭を下げたということです。

 塩田館長があとから植芝老になぜはじめは頭を下げなかったのかを聞いたら「君の友人ははじめは邪で、心からあいさつをしていなかった。でも途中で心を改めたようだから頭を下げた。そしたら勝手に参りましたと言ったんだ」と。
 打ってごらんなさいとやるだけが合気道じゃない。
 合気道を目指すからには、技もできなきゃいけないのはもちろんだけど、それを通して同時にそういうことも勉強しなきゃ駄目だということです。

―― 井上先生は警視庁でも長く指導されておられますね。

 はい。SP(私服警護)にも滅私奉公ということをよく話していたのです。警察官というのは、滅私奉公だと。今はそういう言葉を使う人はいないけれども、自分を殺して奉公しなきゃいけない。

 だからと言って、滅私奉公だけでやれるかと言うと、そんなもんでもない。SPなんてのは、対象者を守っていかなければならない。身を挺して守りますということで、前に立ちはだかって鉄砲の弾に当たって死んだ、その後で守るべき対象者が2発目に当たって死んでは、ひとつも守ったうちに入らない。SPなら対象者を安全なところに届けて、はじめて任務をまっとうしたということです。これはSPだけのことじゃなくて、いろんなことに通じるのではないでしょうか。

 それから今、警察の幹部に会っていちばん言うのは、警察学校の個室化を止めましょうということです。団体の動きというのがだんだんできなくなっている。わがままが通るようになっている。昔は6人だの8人だのでやってきたから、先輩の靴を磨いたり、いやなことをやったりすることで、我慢も出てくるし、思いやりや助け合いの心ができてくる。今警察学校は個室なんです。ホテルみたいです。
 長幼の序が日本にもあったんです。先生と生徒というきっちりとした線があったんですね。

 また警察でも、いろいろな話を聞きます。警察で、「お宅の息子さんが窃盗をした、恐喝をした、今署に保護しているから迎えに来てください」と母親に電話をしたところ、母親は「お宅で勝手に捕まえたのだから、パトカーで自宅まで送るのが常識でしょう」と言ったといいます。そんな例はたくさんあると。あるいは、自転車を盗んだ子がいたのでつかまえて保護して自宅へ電話をしたら、そのお母さんが言うには、「また捕まえたんですか。警察で捕まえるたびにうちの子は悪くなる」と言ったといいます。

 そういう母親に育てられる子供は良い悪いの価値判断が違ってきてしまう。給食費を払わなかったり、給食費を払っているから「いただきます」は言わなくていいと言ったり。 先日ラジオで聞いたことですが、教育改革の一環として、倫理道徳を学校でやらなければいけないというので、その審議委員会ができたのですが、ある先生(倫理道徳をとても重視している方)が「学校で倫理道徳を教える必要はない」と発言したと。それを聞いて、なにを言っているんだろうと瞬間腹が立ったのですが、よく話を聞いてみるとそれは、学校で倫理道徳というのは教えるものじゃないんだ、それは家庭で教えてすでに終わっているものなんだと。学校でこれから教えなきゃならないのは、法の遵守ということだと。法をしっかり守る子を育てなければ駄目だと。
 それを聞いて、なるほどと思いました。


2006年 養神館合気道 第51回 全日本合気道総合演武大会より 


生活するなかでの
学びが大事

―― 今、いちばん変わらなくてはならないのが、家庭であり、大人であると思います。

 いろんな指導をするにしても大事なのは、感性のつながり。「こんにちは」と言葉で言ってもつながらないのね、「こんにちは」の心のなかの感性を訴えればいいのね。先日、女房と道を歩いていたら、中学生が向こうから歩いて来た。下を向いて目を合わせないなと思っていたら、5、6歩くらい近づいたら、その子がぱっと顔を上げて「こんにちは!」と。その時、女房が「やられた!」と(笑)。自分の思い込みで決めつけたらいけないなと教えられた。もし目を合わせない子だったら、こっちから「こんにちは」と言ってあげればいいんだ、と。

 ところが今学校じゃ、知らない人には声をかけないようにと言っているらしい。親切にされてもそれを受けては駄目とか。そういう時代になってしまった。

 先日、お寺に行ったのです。私の妹のだんなが亡くなって新しくお墓をつくったのでお参りに行ったら、なかなか見つからなかった。女房が寺に行って聞くと、若いお坊さんが「個人情報保護法の関係で教えられない」と。なんだい、それは、と。お墓をほじくるわけではないだろう、と。あの個人情報保護法というのは本当に良くないね。

 向こう三軒両隣といって助け合っていたのがどんどんなくなってきている。昔は縁台将棋といって、縁側に将棋を出して打ったものなんです。そこの町内の一番のじいさんが、子供たちと将棋を打つ。その時にいろいろな格言を教えてくれた。一生懸命考えていると、「下手の考え休むに似たり」(笑)とか言われた。ここから打ったらいけると、ぱっとやると「桂馬の高飛び歩の餌食」とか言われてね(笑)。そういうものも生活のなかに活きてくる。『縁台将棋から教わったこと』という本が書けるくらい、いろいろなことを教わりました(笑)。昔の年寄りの教えはいいですよ。

―― 厳しい時代を経た方々の言葉には重みがありますね。

 やっぱり集中してやったことのある人とない人とでは違いが出ますね。禅の世界で言う内観とか。武道にしても内観をちゃんとしている人というのは違います。スポーツでも、イチローや松井は、内観があるから、伸びてくる度合いが違いますね。


求め続ける師の教え

―― 今は、師匠の存在というのがなくなってきていますね。

 「師匠」だ、と決めてない人が多いんだよね。ようするに気がつかない。自分がそのようになったことは、「実は、この人がいたからこそ、今日の自分がある」ことに気がついていない、ただ教え手と受け手というくらいの感覚になっている。

 塩田館長は、亡くなってからも、何度も私の前に出てきましたよ。

 ある雑誌の表紙用の撮影の時、左半身から右へ入るというところを撮ることになった。構えたとたん、前に道着袴姿の館長がぱっと現われて、こちらを睨んだんです。はっと思って構えをほどいた。ようするに雑誌の表紙用ということで、外見を気にして私に雑念があった。そこへ生前の館長の姿がぱっと現われて、「何を考えているんだ、ただやればいいんだ」というメッセージを伝えられたと思うんです。すぐに消えてしまいましたが、もう、びっくりしました。

 また、中野体育館での演武会の前に、どんなことをやろうかなと、いろいろ考えたりなんかしていた。そしたら夜中に、更衣室と風呂場の間に館長がこっちを向いて立っている夢を見た。館長の背中を流しに行こうとしたら、そのまま館長がふーっとまっすぐ後ろへ倒れた。下のタイルへ頭をぶつけると思ってあわててとんでいって、館長の後頭部に手をいれた。館長の頭がその手にすぱーんと乗った。タイルへ頭がぶつからなくって、よかった!と思ったら、そこで目が覚めた。今でもその手の感触は忘れられない。館長の受けを取っていた頃は館長の動きに応じて、何も考えずにやっていましたが、自分がやる段階になって、そういう思いや感覚というのを忘れていたのを、館長が夢で教えてくれたんですね。

―― やろう、やろうではなく、無意識にやれ、と。

 そうです。それがやはり師ということ。それが何かあって、師の教えをどこかで求めている時に現われて教えてくれるんじゃないかな。あれは幽霊でもなんでもない。そういうものが存在する。

―― 本来の武道としての合気道は、「合気即生活」であるということですね。それが塩田剛三先生の教えであった、と。

 それは合気道をやったから合気即生活じゃないのよ。相手と気を合わせるとか、相手と一体になって、ものごとというのはできあがってくるんだよという「合気即生活」なんだね。

 我々は合気道を通じて合気という理屈理論を勉強した、そしてそれを生活に活かしていく。あるいは生活をそういう理論と合わせていくということです。合気道をやらなきゃそういうことはできないよというんじゃない。
 柔道でも空手でもどんな武道でも、相手との接点がうまく合わなかったらできないわけで、そういう意味では、何にしても「合気即生活」なんだよね。
 先生と生徒、だんなと奥さん、ぜんぶ「合気即生活」なんです。

―― 修行は違っても、求めるところはみな同じというところですね。本日はありがとうございました。

  ―― 季刊『道』 №153(2007夏号)より ――

〈プロフィール〉
井上強一 いのうえ きょういち
1935年生まれ。 養神館合気道九段範士。1955年、中央大学在学中に養神館に入門、塩田剛三館長より指導を受ける。1970年、警視庁教養課兼警察学校に勤務、合気道を指導。定年退職後本部道場長に就任。2002年~2007年、養神館二代目館長を務める。

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