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岡田守弘 合気道五段

正食(マクロビオティック)と合気道を
日々の支えとして

同時代を生きた桜沢如一と植芝盛平。片や食養指導家として、片や合気道家として独自の道を歩む。そして彼らが到達した境地とは・・・
両師を知り、自らも正食と合気道を行なう岡田守弘氏にお話をうかがった。
(取材 2003年4月16日 10月22日 岡田氏ご自宅にて)
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』139号に掲載当時のものです。


「今、神様とお話をしていたところです」

―― 植芝先生を直接知る方もほんとに少なくなってしまいましたが、岡田先生は植芝先生にお会いになっているとうかがいました。また食養法で知られるマクロビオティックの桜沢先生もご存知だということで、今日は岡田先生ご自身のことに加えまして、植芝先生や桜沢先生についてお話をうかがいたいと思います。

 私は、三度植芝先生からご指導をいただいているんです。最初は、自宅の隣に道場を作って、そこで桜沢先生のお弟子さん達を主体に近隣の方をお招きして合気道の講習会を40日間行なった時です。その道場を開くセレモニーに植芝先生がおいでくださったのです(昭和26年頃)。
 当時、日吉の桜沢先生の塾で多田先生(多田宏 合気道9段)が教えておられて、私も見学させていただいていました。ところが、稽古の場所というのが何段かのベット脇の通路(1間くらい)という具合で、狭くて思いきった稽古ができなかったのです。それでなんとか広い部屋があったら貸してもらえないかということで、桜沢先生と私の父がお友達だったこともあり、父親がこの家の隣の工場を講習会用の道場に改修して提供したのです。
 道場開きの時はあまりにも大勢の人が見学に来ましたから、植芝先生が模範の型を示されるのはちょっと無理だというので、映写機を借り出してきて、朝日新聞社で戦前撮った植芝先生の映画(1935年、大阪朝日道場で撮影された16ミリフィルム・『武道』のこと。どう出版DVD『植芝盛平と合気道』第一巻に収録)を映写しました。

 そのセレモニーの時、植芝先生からいろいろお話をいただいたのですが、ビックリしたのは、先生はおいでになってから南のほうをお向きになって相当長い時間、瞑目しておられたのです。私が、「先生どうかなさったのですか?」とお聞きすると、「今神さまとお話をしていたところなんです」と。それから別の部屋に先生においでいただいて、私の父親と肝胆合い照らすというか・・・。父親も若い頃剣道や心貫流という柔術をやっていて非常に合気道に興味を持っていましたから。
 そのセレモニーの時ですけど、私が指名されて「手を握ってごらん」と植芝先生に言われたので握ったら、ふっと私の身体を投げられたんです。それから落ちてくる私を片手で支えてスーッとおろされた。瞬間のことなんですけどね、気持ちが良かったんです、空に浮いたようなね。まだ私は受身もできない時でね。そういういたずらをなさった。

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