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【寄稿】西尾昭二 合気会師範

技で語る「稽古は調和を図る語り合いの場」

本稿は、昭和55年、53歳の西尾昭二師範が学生向けに書いた一文である(原文タイトルは『技を言葉に』)。師範の言葉は、25年の歳月が過ぎた今日でも説得力をもつ。
「本来ならば触れ合い一瞬にして相手を制する合気道の場に、
  打ち合い、叩き合い、ぶつかり合いがあるのは、
  一体どうしたことでしょう」

※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』142号に掲載当時のものです。



技に表現される稽古の姿勢

 武道において、その技は「道」そのものです。各武道ともその技の練磨にすべてをかけています。我々合気道においても修業者一同その心掛けをもって日夜励んでいるところです。
 そこで、技の練磨とその内容について考えてみましょう。
 まず、我々が稽古を行なう際に、はたして従来の武道の求め方と全く同じやり方で良いのであろうか、という疑念が起きてきます。私自身は同じであってはいけないと考えています。

 合気道は、過去の日本武道の方向を180度方向転換したところに、その誕生の意義と存在価値があるというのは自明のことです。そして、稽古の姿勢、つまりその求め方が自ら技に表現されてくるということも今さら説明する必要がないでしょう。
 ですから、合気道を過去の武道と比較した場合、必然的に技の表現の仕方が変化していなければなりません(私はここで「変化」という言葉を用いましたが、これは「発展」と同義です)。
 具体的に言えば「奪う武道」から「与える武道」へ、ぶつかりあいの愚かさから触れ合いの貴さへと、全くその求める方向が変わってきているということです。

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