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池田正一郎 弓道家

中てることにこだわらず
そこを抜け出す境地へ


「がつがつと中てようとする必要はない。
 それよりももっとゆったりと自分で射を味わうってことをしないと。
 するとストン!と出るんです」

木漏れ日の美しい海老名市自宅敷地内にある弓道場。九十二歳の現在もなお、かくしゃくとして弓を引く池田正一郎氏。梅路見鸞に入門以来七十余年の弓道人生を歩んできた氏は、戦中、戦後の苦難の時を経て、ながきにわたる教員生活、そして今、まさに生活に溶け込む弓の妙を実感、師・梅路見鸞のめざした「良い平凡な人間」形成への「道」を歩む。
(取材 2005年4月27日 海老名のご自宅にて)
※所属や肩書きは、季刊『道』146号に掲載当時のものです。

<本インタビューを収録『武の道 武の心』>

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〝満を持する〟の弓

 弓というのは非常に内容が広いんです。昔から武道の中でも最高の地位にあると見られてきました。戦国時代になって人殺しの道具になってしまいましたが、中国では弓をやるのは文官で、武士ではない。日本の古代史を読むと、中国から使節団が来ると接待としてお酒を飲み、料理をいただきながら弓を引いて交歓をした。日本でも学問の神様、菅原道真が認められたのは、弓が上手だったからという説もある。

 『礼記(らいき)』に、立派な男として国家の経営に携わるものは、「六芸(りくげい)」ができなければならないとある。それは礼、楽、射(弓)、御(馬を御す)、書、数(計算)で、その中でも弓は高く評価されています。大名のことを諸侯と言いますね。〝侯〟という字は〝的〟という意味で、中国では的によく中(あ)たった人が大名になれた。己を正して中たりが出る。もし中たらなかったら人を恨まないで、自分の心を正しくしなさいと書いてあるんです。

 『孟子』告子(こくし)章句に「弓の達人羿(げい)は射を教えるに、必ず矢を長さいっぱい引くことを志し、弟子もこれを志す。大工は正しいゲージの使用を教え、弟子もこれを正しく学ぶ。かくすれば弓も正射が出来、大工もしっかりした家が出来る」とあります。

桁外れの市井人・梅路見鸞

―― 池田先生の師匠である梅路見鸞先生はどのような方だったのでしょうか。

 先生は九州の中津の出身で小さい頃は「麒麟児」と言われたらしいです。長い間内弟子として先生のお世話、ご家族のお世話一切をやっていましたが、梅路先生という方はとにかく常識では計れない方です。生涯家を持たず、長屋に住み、弓の弟子に、「皆さんの浄財で私は生きているんだ、よそから金儲けはしないんだ」と。

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