【論説】護身の拡大解釈

文・合気ニュース編集長 スタンレー・プラニン 

(1995年4月 季刊『合気ニュース』104号より)
  ※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に掲載当時のものです。

 護身とは私達の生命を攻撃から護る行為です。人がそうした行動に積極的にでる場合のもっとも強力な動機となるのは恐怖心と言えましょう。

 武道教室や護身コースを受講する若者の場合、たいてい自分の体格が貧弱だったり力が弱いために、攻撃の的になりやすいという不安をかかえています。そういう人たちは実際に暴漢に負傷をおわされたうえに、友達の面前で恥をかかされた経験があったのかもしれません。私も10代のころ、暴力を目撃した経験があります。直接犠牲となることはありませんでしたが、暴力を目の当たりにした恐怖心が、私の合気道入門の決定的動機となったことはたしかです。

 また、男性から暴行を受けた若い女性が、将来二度と同じ恐怖を味あわないために護術を学び始める例もあります。いずれも、彼らに護身術を習う気持ちにさせているのは、心に深く根差した恐怖心です。自己保存の本能だけでなく時には極悪非道の加害者に復讐したい気持ちも混ってのことでもありましょう。よく見られるこの心理状態には被害者(自分)対加害者(暴行者)の関係しか存在しません。

 しかし、何年か護身術の稽古を続けていくうちに、当初には思いもよらなかった結果が生まれてきます。護身術の習得に加えて、身体が鍛えられ、警戒心が培われます。同時に稽古する動機が復讐心以外のものに変わってきます。つまり暴行に遇いそうな状況に身を置いた自分にも責任があることに気づき、あらためて自分のとった行動を反省するようになるのです。そして事件を振り返り、あのときこうしたら攻撃を避けられたのではないかということがわかってくる。護身術の稽古に励んできて、その努力が実を結びつつあること、そのうえ他の生活の分野にも護身術が還元されていることに気づくのです。

 護身というと、まず生命の保護ということが浮かびますが、それを比喩的にとらえて、日常全般の分野にまで広げることもできます。肉体が危険にさらされたときに感じる恐怖は、日常生活面で安全がおびやかされた時に感じるそれとよく似ているのです。

 たとえば経済上の護身を例にとってみましょう。金銭的な苦労は誰にでも経験がおありのことと思います。私もある小さな町での道場経営で苦労したことがあります。毎月の収支をあわせるために費やした苦労の数々・・・ このような経済的不安定からくる心理的プレッシャーは、生活全般に計り知れない影響を与えます。そこで経済的に困窮したら、人は経済面の勉強をして、なんとかピンチから逃れる方法を見付け出そうとします。収入の配分、支出の節約、上手な貯金や投資の方法などを学んでいきます。そして経済的に先が見えてくると、貧しさや破産に対する恐怖心は薄れ、次第に自信がよみがえってくる。心配から解放され、より幸せへの道が開かれてくる。その結果、心に余裕ができ、慈善活動に手をさしのべるほどにもなる。忍耐と意志力によって経済的安定を得て、もはや「経済的攻撃」を恐れなくなった人は、精神的には攻撃を対処する自信をつけた黒帯武道家と同じ状態にあると思います。

 このような護身の拡大解釈は、対話にも応用できます。社会生活を送る上で、攻撃的な話し相手にぶつかった経験は誰にでもあるのではないでしょうか。このような「言葉」の一斉射撃をしかけてくるのは、両親だったり、先生だったり、友人だったりと、さまざまです。意識的にせよ無意識的にせよ、私たちが言語攻撃から受ける心理的な傷は、身体上の傷と全く同じくらいの痛みをともなっています。この種の心理的なダメージを何回もこうむった人にも、さまざまな対処法が用意されています。例えば有能なセラピストにかかり、自分がその手の言語攻撃になぜ弱いかを知り、今後どのように対処すべきかを探っていく。社会生活を送る上で大切な自信を深めていく、つまり自己の価値と能力を認識する。その上で論理学を学んで相手が次に何を言ってくるかを予想する。このようにして対話における攻撃を有効に処していくテクニックを身につけるのです。

 私事ですが、20年ほどまえに言語の構造や意味などを研究する論理学を学びました。私の得意とした課題のひとつに「虚偽」というのがあります。これは、一見正しそうな推理が実際はぜんぜんそうではないことを説き明かしていくものです。このようなもっともらしく聞こえる発言が日常生活の中でいくらでも見つけられることに私はたいへん興味を持ちました。広告においてしかり、政治においてしかり、または友達との会話においてさえも、です。しばらくの間私は身の周りの話に「大衆の情にこびる論証」だの「暴力に訴える論証」だの「同情に訴える論証」だのと、いちいちラテン語の学名をあてはめては楽しんでいました。しかし、論理学の概念がすっかり身に付いてくると、このような私のあらさがしの思考自体が論理学的に「穴だらけ」であることに気付いたのです。ともあれ、人は言葉をいかに使いまたは誤用するかを理解すればそれだけ社会生活の上で自信が生まれ、他人とのコミュニケーションに余裕をもってのぞむことができ、「言葉の攻撃」を容易にかわすことができるようになるものです。

 護身を比喩的にとらえた例としてさらに健康上の護身があります。中年を過ぎて自分の健康に不安を感じる人は多いと思います。このような不安は、若い世代の方にも言えることですが、日常生活において身体を鍛え健康的な食生活を送ることにより解消できます。また健康上の護身としての養生法には、身体の定期検診も加えられるべきでしょう。自分がベストの健康状態にあり、今後もこの状態を維持していける自信がつけば、精神的に大きな安心感が得られ、ストレスも解消されることうけあいです。

 恐怖や欠陥の原因をたえずはっきりさせること、さらに具体的で適確な行動をとることを学ぶことによって、私達は建設的で有意義な人生を送ることができます。

 自分の行動に正直に注意を配る習慣をつけた人は、飛躍のための詳細な計画をたて、それにもとづいた行動をとることが自分の「技」となることを知るでしょう。その「技」こそ幸福への確実な近道なのです。

 ―― 季刊『合気ニュース』 №104(1995年4月)より ――


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