駒尺喜美『魔女の論理』

自分が何か駒尺先生のことについて書くのはおこがましいと思う。しかし、駒尺先生のような人がいたから今があるということを思うと、書かずにはいられない。

『魔女の論理』は今となっては古典だ。しかし、その内容はいまにもかなり通ずるところがある。例えば、有害な男性性などは駒尺先生の時代から指摘されていたことなのだと思う。むしろ、もっとひどかったのだろうなと。無条件にお茶くみをやらされることや、結婚後は(いや、生まれたときから?)男女が従属関係にあることなど、もっとステレオタイプがあった昔だからこそ、駒尺先生はラジカルな議論を展開していたのかもしれない。

その中でも、やはり、男女の関係性についての根源的な議論は外せない。対等な関係でなければ、やはりいけないのだろうと気付かせられる。

かつては今よりもステレオタイプがひどかったことだろうし、フェミニズムは「ブスのひがみ」などといわれていた時代があった。駒尺先生はこういった本を出すことであたかも「魔女」を見る目かのような白い目で見られたといっている。「ウーマンリブなんて信じられない!」なんて言われていた時代だ。その中で、覚悟を持ってこの本を出版したのだとか。

実際、この本はフェミニズムを文学に導入したという点でも評価されるのであろう。フェミニズムは新たな考えの枠組みを作り出し、その影響力は多岐に及ぶ。例えば、民俗学などはフェミニズムが台頭したことによって、その考え方を再考せざるを得ない部分があるというが、そのことは「ジェンダーと日本史」という企画展示が話題になったことが示しているのではないか。私はただのペーペーの学部生である。しかし、こういう時代だからこそ、フェミニズムは考えていきたい。

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