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ルポ ボートレース常滑

公営ギャンブル場の魅力ってなんだと思いますか?

私はあの汚さだと思います。古ぼけたスタンド席、猥雑な飲食店、やたら親近感の湧くばあちゃんが取り仕切ってる売店といった様子。そこはやたら安くてうまい飯屋だったり、だだっ広いが故にくつろげる観客席だったり、私にとっては非常に居心地がいい。

そもそも、現代都市はどこに行っても商業施設ばかりで何をするにも金がかかる。どこか落ち着いて座るのにも然るべきお金を払わなければならない。一方で、競艇場は別に投票権を必ず買わなくてはいけない訳では無いし、100円の入場料さえ払えばどこに座ってもいい。

競艇場は確かに汚いけど、現代の都市にはどこにも見つけられないような空間であり、あそこにしかない独特な場所の感覚があると考えています。

さて、ここからは本題の愛知県にある常滑競艇の話になります。かつて地理学者の寄藤晶子先生が書いた論文では、常滑競艇の牧歌的な様子が描かれていました。常連客がコミュニティを形成し、安価で豊富なメニューを揃えた飲食店が何軒も軒を連ね、子供たちが水面近くの観客席を走り回る。常滑競艇場は確かに誰かの居場所になっていました。

その常滑競艇場は数年前にスタンドを改修しました。結論から言うと、これってどうなの?という感想を抱かざるを得ないほど変貌していました。以下、疑問に感じた点を列挙していきます。

①スタンドの大幅縮小
近年のネット投票の発達を受けて来場者が減少したそうで、大幅にキャパシティを縮小しました。屋内の自由席が少なく非常に狭苦しい。座れないことは無いが、居場所が少なく居心地が非常に悪い。劣化したイオンの店内のような雰囲気と言えばわかりやすいでしょうか。かつて、様々な人が入り乱れ、交わい、喜怒哀楽を共にしたスタンドだったと思いますが、そういった人間活動の舞台になるには新設のスタンドはあまりにも人の居場所が無さすぎます。

新スタンドの自由席

②飲食店の豊かさが無くなったこと
新スタンドにはフードコートができましたが、3店舗のみ。中には名古屋駅にもあるような店も。かつて、常滑競艇には「とり伊」という店があり 、安くて美味しいどて丼を出すお店があった。他にも安くて美味しい自慢の常滑競艇にしかない味があったはずなのに、一体どうしちゃったんでしょうか。競艇ファンが求めているのは競艇場でしか食べられないグルメであり、PRONTOでは無いはずです。

残念すぎるフードコート
競艇場にPRONTOって本当にいる?

③高額な指定席
自由席の他に指定席も設けられていますが、最も安い席で2000円から。かなり嫌な考え方ではありますが、「居場所が欲しければ然るべき金を払え」というメッセージとも取れてしまいます。そういう金の論理が嫌いだから公営ギャンブル場に来ているというのに。

もちろん常滑競艇さんにはいろいろな事情があっての現状があるとは推察します。けど、こうなっては果たして競艇場に行く人が増えるのでしょうか。場内には子供向けの施設も併設され、家族連れを意識した空間にしたい意図は分かります。けど、本筋の競艇客の居心地を十分に考慮していないように見えるのは本末転倒かと思います。

いくらネット投票が発達し入場者が減ったとはいえ、やはり競艇は現地で見るに限ります。現地に観戦に行かずして、人が競艇ファンになることはないと思います。だからこその競艇場という空間だと思います。いえ、私のように競艇場の空間が好きで行く人も少なくないのではないでしょうか。

常滑競艇場がかつての姿を取り戻してくれることを切に願います。排除ベンチが設置されたり、公園が商業施設に変えられてしまったり、街がどんどん息苦しくなっていく今だからこそ、競艇場は誰かの居場所であり続けて欲しいと思います。

現在は使用されていない旧スタンド
閉鎖された旧入場門。再びここが活気に満ちることを祈って

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