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死を忘れるな、死を想え。『震災メメントモリ』金菱清著

 未曾有の大災害、東日本大震災から10年。世界が感染症対応で翻弄されている今、あらためて、本書を手に取った。

 本書が刊行された当時、被災者の思うようには進まない復興事業と先が見えない福島原発の現状、その一方で、震災を風化させない活動や、東日本大震災を教訓に東海地震や南海トラフ大地震などに備えた「自助」「共助」「公助」の仕組み作りが並走していた。どれも大切な取り組みである。しかし、その前に、本書は「メメントモリ(死を忘れるな、死を想え)」とポスト3.11という時代を生きる私たちに問いかけている。

 被災者、とりわけ家族を失った遺族は不条理な死をどのようにして受けとめ、「第二の津波」に抗しているのか。被災者が体験し、また、目撃した巨大津波が「第一の津波」であるのに対し、本書で扱っている「第二の津波」とは、第一の津波を経験した後にやってくる、被災者の「生活全般の過酷な再編と心身の苦痛を伴う耐え難い経験」である。この「第二の津波」に被災者はどのように対応しているのか。大きな復興論の前にもみ消されてしまう被災者の声無き声をすくい出したいという金菱の願いが本書の通奏低音となっている。
 孤独死・自殺者数をゼロにし、アルコール依存症を出さないことを目標にした取り組みがある。そこにあるのは過剰な関わりである。それを著者は「過剰なコミュニティ」運営と名づけている。人とのかかわりが制限される今、その取り組みの意義がより一層浮かび上がってくる。東日本大震災では、3分ほどの長い揺れの後、津波が到達するまでに数十分から1時間ほどの猶予時間があった。それが遺族に「もし自分が~していたなら家族は生きていたのではないか/いや生きていたはずであるという自問自答」を生じさせ、苦しめることになる。このような個人を責める感情に対して、個人あるいは家族で個別に彷徨える魂に対処するのではなく、個別の災害死を集団的な死として共有化する再定位の場が過剰なコミュニティなのである。

 本書は、震災後に復活あるいは再開された祭礼が、震災後の生活全般の過酷な再編、生活再建において果たす役割も明らかにしている。東日本大震災の被災地の各地で、祭礼、民俗芸能が震災復興の象徴として執行されている。大津波により災害危険区域に指定されて戻れない土地、そして、将来的に計画されている高台移転の地、この先行き不透明な社会空間に「色付け」をするのが祭礼の役割だと著者はいう。祭礼を通じて、被災者は「自らの拠って立つ居場所を確保している」、すなわき、生きなおしているのである。

 カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」、すなわち惨事便乗型資本主義は、東日本大震災後、そしても10年たった今も折にふれて様々な形で言及されている。

 金菱は、ショック・ドクトリンを参照して、「第二の津波」に抗する生活戦略として被災地のコミュニティのもつ現場からの構造改革、「内なるショック・ドクトリン」を提示している。「内なるショック・ドクトリン」とは、「当事者が抱える構造的な問題について、徹底的にみんなで民主的に議論し、それを身の丈に合った形に改革する試み」のことである。この内なるショック・ドクトリンの活性化が、「第二の津波」として押し寄せる外からのショック・ドクトリンを防御しているのだ。行政が推進する復興計画や都市計画をよそに、災害リスクのある土地になぜ住み続けるのか、という大変重い問いもある。そこには、当事者の論理がある。すなわち、「自然条件の厳しい地域に残る選択をした人たちにとって、相当のリスクがあったとしても、その土地を離れて生きるほうが難しく、そうでない人たちは、津波や原発事故の前にすでに村や集落を立ち去っている」のであり、「津波や原発などの災害リスクは外部条件ではなく、これまで地域コミュニティが引き受けてきた内部条件の数あるリスクのうちのひとつに変換されており、未曾有(スーパー非日常)の災禍への対処法はコミュニティの日常に組み込まれている」と金菱はいう。

 また、金菱は自身が編集した震災の記録集『3.11慟哭の記録』で採用した「記録筆記法」という手法を手がかりに、遺族の「彷徨える魂」への向き合いを考察している。『3.11慟哭の記録』の「当初の目的は実態がつかみにくい千年規模の大災害を社会史としてまるごと理解するために、調査トピック・地点を複数設け、できるだけ現場の生々しい「声」に重きを置いて“小さな出来事”を濃密に描くことであった。」という。

 他方で、そのような手記を被災者に依頼することは他人の心のうちに土足で踏み込むことになるのではないか。金菱は自問自答した。しかし、実際に手記を寄せてくれた遺族へ聞き取りをすると「少なからず心の回復に対して良い影響を与えていることがわかった」という。そこで、著者は、震災で生を中断せざるを得なかった人への想いを遺族が綴る記録筆記法を「震災メメントモリ」と名付けている。

 さて、本書の特筆すべき点は、数多くの現場を踏みながら、生存の議論となっている行政主導の災害復興のあり方を批判し、死者との関係性をも取り込んだ復興のあり方を社会学的に提示したことであろう。災害リスクをコントロールし、災禍を吸収するコミュニティの潜在力に希望を見出すこともできる。それでも、先が見えないフクシマの問題は深刻である。現代を生きる私たちはフクシマの問題を風化させてはいけない。それは「メメントモリ」と同じことであろう。
 あとがきに、金菱は「震災前から交誼のあった方々のなかにも亡くなった方が多くいて、その中から考えざるをえなかったし、導いてくれたと思っている。」と綴っている。現場に入った研究者とその対象者である被災者との関わりは一方向ではない。調査する側も対象者から観察され、双方向のうちに、新たな何かが構築される。被災地では、研究者は、冷たい観察者となることはできない。共同的実践である。
 ディタッチメントを強調する研究者は、被災地の人たちには不必要な存在、もっと言えば、迷惑な存在ともなる。民俗学者の宮本常一は、調査対象者や地域へ迷惑をかけることを「調査地被害」と呼んでいる。

 相手の置かれている状況を考えずにインタビューをしたり、長時間相手を自分の都合で拘束するなどは論外であるが、準備をして、調査地や調査対象者に迷惑をかけないようにと配慮しても、結果的に相手の迷惑になったり、相手の気分を害することになったりすることはある。金菱の「記録筆記法」はまさに被災者に寄りそう「痛みを温存した」手法と言えよう。それは、また、依頼者の誠意とあたたかい心があればこそ可能となるものではないか。

 本書は、震災メメントモリを用いたレジリエンス論をもとに、「死者」をも取り込んだ復興、コミュニティのあり方、そして人間の生きる営みを問いなおす。社会学者のみならず、現代を生きるすべての人にとって大変意義ある一冊だ。

本書に合わせて、以下も読んで欲しい。

本稿は以下に加筆修正しました。
・稲場圭信、書評:金菱清著『震災メメントモリ-第二の津波に抗して-』、『フォーラム現代社会学』第14号 2015年6月、pp.101-103.

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