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利他のひろがり

 私の母はもうこの世にはいませんが、利他を考えるきっかけは母でした。20世紀末からの人文学・社会科学の研究は、利他性は社会生活によって学ぶことができるということを示しています。利他を論じた書籍にアプローチの違いはありますが、社会をよくしたいという思いは共通して存在します。日本社会の中にもです。とりわけ若い世代の中にそのような思いがあることを頼もしく感じています。

 今、格差社会、分断社会にあって、他者を助ける行為、利他的行為を自己犠牲とは感じない人がいます。あるところでは、お互い様、そのような相互関係の心、連帯感も生まれています。

 近年、利他という言葉が、社会に広く知られるようになりました。研究の世界では、20世紀後半から、そして21世紀に入り、社会学、心理学、哲学などの研究の世界で利他主義研究がより盛んになっています。この春にも『「利他」とは何か』が刊行されました。

 利他について、20年以上にわたって研究実践をしてきた私としては、本書についても何か書きたいと思ってはいますが、別の機会にします(付箋は50枚以上ついています)。

 2009年には、アメリカ社会学会に「利他主義・道徳性・社会的連帯」という専門部会ができました。利他主義については、社会学、心理学、社会生物学などで膨大な研究蓄積があります。

 日本のボランティア・利他主義研究は、欧米の研究の知見との接合が、とりわけ計量分析において不十分であるという課題がありました。この課題にチャレンジしたのが、大阪大学大学院人間科学研究科で博士号学位を取得した三谷はるよさん(現在、龍谷大学社会学部専任講師)です。三谷さんは、『ボランティアを生みだすもの 利他の計量社会学』を2016年に上梓しています。

 本書は、欧米の研究動向も踏まえて、日本の大規模社会調査の多変量解析によって、現代日本におけるボランティア行動の生起メカニズムを解明しています。資源理論、共感理論、宗教理論、社会化理論という多領域にまたがる4つの理論を統合させた知見を導き出しています。とりわけ宗教理論は秀逸です。

 信仰する宗教があることは有意にボランティア活動の参加頻度を高めること、そして、正月やお盆のお参りといった伝統的宗教儀礼を行っている人は、たとえ宗教組織に所属していなくてもボランティア・NPO活動に参加しやすいということが、2005年JGSS(日本版総合的社会調査)および大阪大学経験社会学研究室2010年SSP-Pデータの多変量解析により判明しました。また、子どもの頃の体験が大人になってからのボランティア参加に影響を与えていることや、子どもの頃に母親に宗教的実践があった人は 大人になってからボランティア参加しやすいことも明らかにしています。この知見は、私自身が関わってきた宗教的利他主義の研究や、欧米のソーシャル・キャピタルとしての宗教に関する以下の研究にも接続できます。

・Robert D. Putnam, Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community (Simon and Schuster, 2000).
・Wuthnow R. “Religious involvement and status-bridging social capital”. Journal for the Scientific Study of Religion. 2002;41(4):669–684. 
・Corwin Smidt ed., Religion as Social Capital, (Baylor University Press, 2003)
・Robert Furbey, et al. Faith as social capital (The Policy Press, 2006)


 利他とは、端的に言えば他者の利益になる行動です。電車で席を譲る、人が物を落としたときに拾うなど、他者のために動いたことがない人は少ないでしょう。大災害時に多くの人が被災地に義援金や物資を送り、救援に駆けつけます。なぜ人間はこのような行動をするのでしょうか。

 リバース・エンジニアリングという考え方があります。「機能」が何であるかが分かると、その「しくみ」の理解が進むという考えです。小田亮著『利他学』では、人間行動進化学の専門家である著者が、「機能」と「しくみ」から利他のメカニズムを平易に説明しています。

 他人への利他行動は互恵的利他で説明されます。つまりはお互いさま。そして、その利他行動は、直接的なお返しがなくとも、評判が立つことで第三者によって報われるのではないか。人の利他性と周囲の社会的なサポートとの間に関連性が確認されたといいます。情けは人のためならずと言ってしまえば、味気ないでしょうか。
 結果として社会にあたえる効果や功利主義の観点から利他主義を論じ、社会の在り方を提言しているものもあります。シリコンバレーも注目する21世紀の倫理的ライフスタイルでしょうか。

 今、人の動き、物の動きが制限される中で国同士が一層分断されています。このような中、フランスの経済学者で思想家でもあるジャック・アタリは、「利他主義が今こそ大事」と、「命の経済」を推奨しています。彼の言う利他主義は、他者の利益が自分の利益にもなる合理的利己主義です。

 経営学の観点から利他を論じるものもあります。たとえば、日本ならば、稲盛和夫氏の経営哲学についてです。

 20世紀末からの人文学・社会科学の研究は、利他性は社会生活によって学ぶことができるということを示しています。利他を論じた書籍にアプローチの違いはありますが、社会をよくしたいという思いは共通して存在します。日本社会の中にもです。とりわけ若い世代の中にそのような思いがあることを頼もしく感じています。そのような若者がいる社会はよくなります。期待しています。

稲場圭信の著書のご紹介


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