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5つの夢の先にあった弾丸列車に希望をもらった話【超特急との出会い・沼落ち・初乗車までとこれから】

はじめまして。
東海地方在住のしがない社会人8号車です。

8号車となり初乗車をしてから6,7年も経っておりますが、それまでの経緯の時系列が記憶の中で薄れつつあり、改めて文字に起こして記録をしておきたいと思い、このブログを書くに至ったわけであります。

書いては消してをひたすら繰り返し、少しずつ当時を思い出しながら3週間近くかけて書きました。

先に言っておきますがめ〜ちゃくちゃ長いです。
10,000字ですって。卒論じゃん。
そして内容の都合上、他グループの名前がガッツリ出てきますのでご了承ください。超特急と他グループの絡みを語られるのが苦手な方はここで回れ右。


沼落ちも初乗車も8号車の数だけあるものですが、私の経歴もまた同じ人はいないと思うので、きっかけってどこに転がっているのかわからないもんだな〜と感じていただければ幸いです。



ではさっそく本題ですが、

時は2015年あたりまで遡ります。
当時私は高校生。


元々私はDream5(以下 ドリ5)というグループのオタクをしておりました。

名前を聞いてもピンとこないという方でも「ようかい体操のグループ」といえばほとんどの方は分かるのではないでしょうか。
白黒ストライプ衣装でヨーデルヨーデルいってた女の子4人男の子1人のグループです。

ようかい体操がひとり歩きしておりましたが、2009年から7年間活動していたダンス&ボーカルグループで、私にライブの楽しさを教えてくれた、そして私を超特急に出会わせてくれた、全ての始まりとなったグループでした。

左から高野洸、大原優乃、重本ことり、玉川桃奈、日比美思

ボーカルの美思ちゃん推しだった私がいうのもあれですが、ダンサー組マジでカッコいいのでダンストラックだけは観てくださいお願いします(必死)

※高野洸くん、大原優乃ちゃん、日比美思ちゃんの3名は現在もそれぞれ芸能界で活躍をしておりますので、もしどこかで名前を見かける機会がありましたらそっと応援していただけると私が喜びます。ちなみに美思ちゃんはタカシくんの出演していた「花にけだもの」というドラマにちょろっと出演しておりました。メインキャストではないにしても最初で最後かもしれない推しと推しの共演でした。夢かな?


で、なぜ超特急の沼落ちブログにドリ5が出てくるのかと言いますと。

2015年あたりにドリ5と超特急がよくフェスで共演したり、洸くんとタカシくんの交流をお互いのブログで目にしたりとちょこちょこ交流があったため、私はブログを通して自然と「超特急」「タカシくん」という名前を記憶しておりました。

(財力のない地方在住高校生だったものでフェスには行っておらず、ブログを通してでしか彼らを目にする機会はありませんでした。)

それに洸くんはよく写真とともに「あきらやで!」というコメントなりタグなりをつけていたので、
「やで……………?????」と記憶に残りやすかったのもあります。

ドリ5のオタクは皆(主語デカ)タカシくんを「洸くんに似ている『やで』の人」で認識していたと思います。

(2015/5/6 超特急オフィシャルブログ「充実しまくりやっ♪ タカシ」より)


(2015/8/6超特急オフィシャルブログ「a-nationやで! タカシ」より


写真画質の荒さに時代を感じる。


ここではあえてタカシくんのブログから色々引用しておりますが、カイくんやリョウガさん、ユーキさんもブログでフェス共演時のことを綴ってくれていたり、洸くんのInstagramやドリ5のブログでも超特急がちょこちょこ登場しておりますので、もしお時間のある方は2015年〜2016年まで遡ってみてください。ブログは年月やキーワードから探せますし、洸くんのインスタもグループ活動終了して以降は投稿がかなり少ないので割とすぐ遡れちゃいます。




そうして超特急というグループの存在を認識していくわけですが、ただの「認識しているだけのグループ」ではなく、個人的になんとなく印象に残るポイントになったことがあります。

タカシくんがブログにて、ドリ5の「シェキメキ!」という曲が楽しい、リピートして聴いていると何度か綴ってくれていたのです。
共演時だけではなく、何でもないごく普通の日でさえ。

一見大したことではないように見えますが、2014年に社会現象になって以降、ドリ5に“ようかい体操のグループ”というパブリックイメージが完全に定着していた中で、こうコメントをしてくれるアーティストさん(しかも他事務所)は当時ものすごく珍しくて、

(珍しかったというか、いなかったかもしれない)

ようかい体操は何も悪くありませんが、グループそのものをそのままに見てくれた感じがして、私は素直に嬉しかったんです。

本当はここにもっと書きたいくらい、タカシくんだけじゃなくて他メンバーからも「超特急、あったかお兄さんたちだ…」と思わされるブログなどがあって、そうしたことが積み重なっていくのです。



そうです。
私はMVやライブではなく、ブログを通して彼らの人柄に触れるのが先だったんですね。

ブログの文面って人柄が滲み出ますからね。

知らないなりに、彼の優しさに惹かれていたのかもしれません。

あとこれはドリ5に限った話ではないと思っています。

ブログが主な発信ツールだった当時とSNSのある現在とでは状況が違ってきているものの、基本的に超特急って他アーティストさんと共演したとき、本当にそのグループをよく見ていて、ちゃんと興味を持っているんだなってわかる発信の仕方をする人たちだと思っていて。

超特急が周りから愛されるのはこういうところだなと、これを書いていて改めて感じました。


とは言ったものの、この当時はたまのブログの文面上でしか彼らを知る機会はなかったため、この時は「優しいお兄さんグループ」というイメージに留まり、ここから曲を聴いたりパフォーマンスを観てみようと思うまでにはもう少し時間がかかりました。

そして2015年秋頃、ドラマに洸くんが出演したことをきっかけに、そのドラマの主題歌を歌うDISH//を調べることになるわけなのですが、


DISH//のメンバーの矢部昌暉くんはドリ5と同じ「天才てれびくん(NHK Eテレの番組)」出身なんですよね。

ドリ5のオタクとしてはグループ結成のきっかけとなった番組のレギュラーだった矢部昌暉くんを久々にみたら「な、懐かし〜〜〜!!!」の気持ちでいろいろ動画を漁ってしまうわけです。

そうしたらやたらと関連動画に超特急が出てくるので、ここでEBiDANという集団があること、DISH//は超特急と同期であることを理解。

これまでのこともあるので、ここで興味の対象が超特急に移ります。

よく出会うな〜超特急、と思っていました。

単純接触効果というのは本当にあったもので、ドリ5とEBiDANを掛け持ちしているオタク仲間の影響で日常的に“超特急”の文字を目にすることが増えたこと、そうこうしているうちにも洸くんとタカシくんの交流があったこと(、シンプルにタカシくんの顔が好みすぎたこと)などがあり、いつの間にか「優しいお兄さんたち」から「気になるグループ」に変化していました。

そしてやっとここで初めてのMV視聴。


超特急、変なグループだなあ。


具体的にどのMVをどの順番で観たのかは覚えていませんが、「Believe×Believe」「ikki!!!!!i!!」「Star Gear」「バッタマン」あたりは観たような気がします。

クセつよつよラインナップ。

ただドリ5も(超特急ほどではないですが)まあまあ愉快なグループだったもので、ある意味“様子のおかしさ”に慣れていたというか、その“様子のおかしさ”は私にとって好印象でした。
超特急はレベルが違いましたけど。



それでも私の性格上、やっぱりひとつ好きなグループがあるとそう簡単に他グループに沼落ちはしないもので。


正直この時点でもう好きやんけ、と思いますが多分当時は「まだだ、まだだ………」と謎のセーブをかけていた気がします。

だってこの沼、ハマったら深そうな匂いがめちゃくちゃしてくるんだもん………………………………

そんなことを思っている間も交流は続いておりまして、刻々と8号車に飛び乗る日が近づいているのを感じておりました。

(2015/12/26超特急オフィシャルブログ「メリークリスマス⭐︎超特急4周年」より)

この写真がすごく記憶に残っていて、久しぶりにブログを読んでみたらユーキさんの魂アチアチブログだったもので貼らせていただきました。
何年も前からずっとずっと前しか見てないユーキさん、カッコいいですね。




そんな中で、沼落ちの決定打となる出来事が起こります。


2016年2月『Yell』MV公開。


ドリ5のオタク仲間がTwitterで「泣ける」とツイートしていたのをみて、なんとなく観てみたのがきっかけのきっかけでした。

この曲(MV)にものすごく引き込まれた当時の感覚はずっと忘れられません。


沼落ちのきっかけがYellのMVとはまたまたこれも超特急にしては比較的珍しめな入り方だと思います。

“いわゆる超特急らしい曲”として挙げられる曲ではないし、メンバーのカットが中心のMVでもないし。

もちろんとても大切で素敵な曲・MVなんですけれども、8号車さんたちが何も知らない人に超特急を布教する時に真っ先に選ぶMVではおそらくない。


でも、だからこそ、でした。


私はそれまで超特急も他グループも含め、ダンス&ボーカルグループのMVではメンバーが常に画面の中にいるようなものしかみたことがなかったため、そうではないこのMVがとても新鮮に思えました。

(他のアーティストさんのMVの中にも探せばあるんでしょうけど私が疎かったため)


語弊のある言い方になってしまいますが、
“自分たちのパフォーマンスを見て!!”じゃなくて、
1曲1曲ごとの“世界観をダンスや歌を使って表現する”グループなんだ、と思ったというか。



それまでの私の中の超特急のイメージといえば

曲やダンスが変な、賑やかあったかお兄さんたち

といった感じ。


白い壁を背に、明るい方向に向かって優しく歌い上げるツインボーカルと、光の差し込む教会で温かい表情で踊る5人のダンサー。

そこに映っていたのはそれまで私のイメージしていた超特急の姿ではありませんでした。


当時のことではありませんが、後にどこかのインタビューか何かで、メンバーの誰かが

「YellのMVでの自分たちの立ち位置は見守っている天使のイメージ」

みたいなことを言っていたのを見かけた気がしますが(なにもかも曖昧)、

本当にそれに近いことを感じ、メンバーの歌声や踊っている表情が天使のように温かくて。


超特急、こんな“いい曲”もできるんだ…と。

またまた語弊しかない言い方をしてしまったのですが、他の曲がいい曲ではないということではありませんので悪しからず。トンチキソング万歳。

また当時はちょうど進路やらなんやらで今までの人生の中で1番悩んでいた時期でもあり、シンプルに曲の優しさに背中を押された気持ちになり、気づいたら泣いていました。

ちなみにドリ5の推しもそうだったのですが、私はスキル云々関係なく「まっすぐのびやかで純度の高い歌声」にどうしても惹かれやすいようで、その言葉通りの歌声をもつタカシくんは「ああ私はきっとこの人を推すことになるな…」と予感させる存在でした。



そんなこんなで完全降伏。

調べてみるとグループにまつわることを電車の用語で表したり、曲ごとに世界観が全く違ったり。
めっちゃ素敵じゃん超特急。

ダンスも歌もめちゃめちゃ上手いし。
掘れば掘るほど楽しかったこの沼。


そこからはもう動画という動画を隅から隅まで再生しまくり、「超特急」で検索して出てくる動画は全て観尽くしたんじゃないかというほど、それこそ超特急で、のめり込みました。

まだ当時ギリギリ残っていたふじびじの動画たちを深夜から一気に見始め、気づいたら朝になっていて、一睡もしないまま登校したこともありました。

(ちなみにこのブログを書くにあたって5億年ぶりにドリ5のライブ映像を見返していたら止まらなくなり、ライブ円盤を丸々2本ぶっ通しで観てから仮眠程度の睡眠だけとって仕事いきました。この頃からなーんも変わってない。)



そしてこの2人は安定して仲良し。
沼落ちしてすぐの新規ハイ状態の時にあがったこのツーショット、Twitterで荒ぶった記憶しかない。

(2016/3/11超特急オフィシャルブログ「笑顔 タカシ」より)


(2016/4/23超特急オフィシャルブログ「Dream5さん! タカシ」より)

洸くんに合わせて帽子被ってきたというタカシくんはさすがにイトシ。
しれっとカイくんもいたのは当時なんで!?って思ったなあ。
私いたよこの日。図らずも初めて超特急メンバーと同じ空間に滞在していたのがこの日でした。(?)


言葉を選ばずにいうと、このあたりの時期からドリ5の活動の雲行きが怪しくなり始めており、正直超特急の存在にめちゃくちゃ救われていました。
超特急がいなかったらこの時期病み散らかしていた。



(2016/12/30 Dream5オフィシャルブログ「タカシくんと 高野洸」より)

私を8号車に乗っけてくれたといっても過言ではないこの2人には感謝しかありません。

グループ内で末っ子のタカシくんが洸くんの前ではお兄ちゃんの顔になるところ、
グループ内で唯一の男子メンバーで誰よりも周りを見てくれていた洸くんがタカシくんの前では弟の顔になるところ、

この2人の唯一無二な関係性が大好きでした。

洸くん今は(といっても最後に交流が明かされたのが2020年くらいだった気がする)ポケモン繋がりでカイくんとも交流があるご様子。
以前ポケんちでカイくんと洸くんの直接対決を企画してくれたテレ東のご担当者様にはお金を振り込ませてほしい。

我々の目にする場での交流が今はもうなくなってしまったけど、またいつかどこかで、今度は8号車視点で“高野洸”をみられるといいな。

お互いに幸せになってほしい。



そうしてなんやかんやあり2016年末、ドリ5が7年間の活動に終止符を打ちました。
青春の全てを捧げてきた存在だったので喪失感はもちろん小さくありませんでしたが、間近に大学受験を控えており、ある意味変なことを考える隙もなく。

というかそれなりに落ち込んではいたと思うのですが、超特急に沼落ち→ドリ5解散→受験  と人生のターニングポイント詰め合わせセットだった2016年、正直丸ごとあまり記憶がない。

そして色々乗り越え無事大学生になり、高校時代にはなかった“超特急一本”の生活がスタートします。

人生の夏休みともいわれる大学生活、いよいよ8号車街道まっしぐら!


…と思いきや、長くなるので書きませんが私の人生の中でもうひとつ譲れないものがあり、大学で体育会の部活に入部。

ほぼ毎日活動があったのと春夏がメインシーズンの競技だったため、入部してすぐの頃は時間と心の余裕がなく、Trans NIPPON Expressは乗車見送り。

(1年後には午前中練習を終えて午後からライブに行く体力おばけが出来上がります。)



そしてそして。

2017年12月30日『THE END FOR BEGINNING』
@日本ガイシホール

やっと初乗車。

超個人的な話ですがこのガイシホールは部活でも練習やら試合やらでよく足を運んでいた会場で、そんな慣れ親しんだ場所で初乗車を迎えられたことがより“いい思い出”になっています。

また9人でガイシに帰ってきてね超特急。



この日は初めてということで1人で乗車する勇気が出ず、特に興味もなかったであろう妹を無理やり引き連れて臨みました。

朝早く起きて電車に乗って、寒空の下で朝早くからグッズ待機列に並んで。

当時まだ明確に推し!!とまではなっていなかったものの、タカシくんが気になっていた私は白とピンクのペンライトを購入。

映像をたくさん観てきた中で、超特急のライブにおける無数のペンラの海があまりにも綺麗でとっても憧れていたので、ようやくその光のほんの一部に加わることができるのが嬉しくて嬉しくて。

わけもわからぬまま初乗車を迎えることになった妹もなんだかんだ黒と緑のペンラを買ってて楽しむ気満々でウケちゃった。その2色のチョイスの基準はなんだったんだろう。

ちなみに私にとっては生写真も、ツアーパンフレットも、ほとんどを女性が占める現場も、多くの人がわかりやすすぎるくらい推しのカラーを身に纏っている現場も、アリーナでのライブも、これが初めてでした。

完全に今までの現場とは状況が違い、その違いにすらワクワクしながら、でもちょっとだけ緊張しながら、熱田のイオンのフードコートで生写真開封をしつつ、ツアーパンフのビジュに沸きつつ、開演を待ちました。

開場し席に着くと、もうすでにぽつぽつと点灯しているペンラの光が綺麗。
てかもう踊ってる。すごい。

リョウガさんの影ナレで同じ空間にいることを実感し、初乗車らしく2人でキャッキャして。



そしてセンターステージがせり上がり始まった
The end for beginning」。

あれ?7人いる…?

というのもこの3日前、12月27日の横浜アリーナ公演直前にアナウンスされたユーキさんの負傷を受け、愛知公演も一部演出が変更ということを事前に知らされていました。

なのに、いま自分の目に映っているのは紛れもなくずっと見たかった7人で、中に怪我人がいるとは到底思えない圧巻のパフォーマンスでした。

その後の曲はユーキさんがほとんどいないステージとなりましたが、1曲目の衝撃が凄くて、しばらくあんなにワクワクしながら購入したペンライトも振る余裕がありませんでした。

その後のMCでの

「気持ちは元気だから!身体が動かないだけで!」

というユーキさんの顔がいまだに忘れられません。
笑顔だったけど、悔しさが滲んでいるようで、胸が締め付けられる思いでした。

いろんな思いが込められていたこのライブでのこの出来事は、こんな端くれも端くれの新米8号車でさえ悔しさで胸が締め付けられてるのに、本人たちや長く応援してきた先輩8号車さんたちはどんなに苦しいだろう、と思って泣きそうでした。

ああ今思い出しただけでも苦しくて吐きそう。
(もちろん当時はそうなるなんて思ってませんが)これが私にとって最初で最後の7人の超特急でしたから。



…重い話はここまでにしよう。
幸せな初乗車だったんだから幸せな話をします。

沼落ちしてからこの日まで、ライブに乗車するタイミングこそなかったものの、大学の講義のない日や部活のオフ日は決まって過去円盤をひたすら観まくる生活をしていたので、初乗車にしてはコールもペンラを振るのもそれなりに馴染めていたのかなと思っていますが、中でも特に「楽しい!!」を実感したのがMy BuddyBurn!、そしてバッタマン

会場が全員同じ動きしてる。
自分もずっと踊ってる。

ただただ楽しい。楽しい。楽しい。
超特急って最高だな。

そんな陳腐な言葉でしか表現できないのがもどかしいほど、特大の“楽しい”を全身に浴びました。

あの空間には“超特急のことが大好きな人たち”しかいなくて、いろんな場所からいろんな経緯で集まってきた“超特急のことが大好きな人たち”と一緒にペンライトを振ったりコールをすることで超特急への愛をぶつけられることの喜びを知ってしまいました。

これはもう離れられない、と思いました。


走れ!!!!超特急ではトロッコで目の前にメンバーが。

顔、きれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
顔、ちっちぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


感想、圧倒的顔。

初めて間近で見る超特急のメンバーは、冗談とかじゃなくて本当にキラキラ輝いていました。
「✨」←これがリアルに存在しました。ガチで。



そしてラスト曲、fanfare

気づいたらボロボロに泣いていました。

こんなに幸せなことがあっていいのかと思いました。

この初乗車のちょうど1年前はドリ5の解散前日で泣いていて。
1年後にこんなに幸せな涙が待っているなんて、想像もできなかった。


とてつもなく大きな幸せと、確かな未来への希望と、やり場のない悔しさで胸がいっぱいになった初乗車でした。




そんな多幸感ひたひたな年末を過ごしつつも少ししたらとんでもない絶望が待っているわけですが、
それはまた別のお話。



超特急はいろんなことを乗り越えて、
特大エネルギー搭載の車両が4両も増えて、
いま再び驚きのスピードで加速しています。

超特急を応援できている奇跡的な毎日が本当に楽しくて幸せ。

全部全部当たり前じゃないからね。





ここからはめちゃくちゃな私情であり不快に思う方もいると思うので読むの推奨しないというかマジで読み飛ばして欲しいのですが(特大保険)、

私は一度失ったキラキラを超特急に再び見せてもらってるんだなあ好きだなあ楽しいなあ、って最近とても思うんです。

そのキラキラというのは上手く言葉で表現ができないのですが…

ドリ5を追っかけていた当時、ようかい体操が社会現象になって、オリコン1位取ってMステも紅白もレコ大もベストヒット歌謡祭もスマスマもしゃべくりもどこもかしこもようかい体操で出演が決まって、「追いきれない!!」って幸せな悲鳴をあげながら必死に番組表と睨めっこして録画して。
でもどの番組を観ても“ダンス&ボーカルグループ”という紹介はされていなくて、めちゃくちゃ言い方が悪いけどドリ5というよりもその共演者(やレギュラーの方)にようかい体操を踊らせるための出演でしかなくて、複雑な気持ちになって、でもそれでもやっぱりMステや紅白は特別な気持ちになったりして。

当時はわざと意識して言わないようにしていたけど、やっぱり複雑なものは複雑だったし悔しかった。それはもう事実で。

(今はもう過去のこととして、その複雑な思いを抱えながら応援していたことさえも愛おしい思い出なんですが)

改めていま超特急が実力勝負でそこに向かって着実に1歩前進し8号車の輪を広げていっている過程を追っていることで、当時の私の拭いきれなかったモヤモヤが浄化されていっている気がしていて、

こんなのはいちオタクのエゴでしかないし勝手な個人の夢を押し付けてる話でしかないけど、でもやっぱり今の超特急ならもしかしたらできるかもしれない、って希望が持てること自体が嬉しくて、そのワクワクした楽しみな気持ちこそが失った“キラキラ”なんだと思ったり。



先日のお試し超特急で、たまたま隣にいた初乗車の中学生の女の子と知り合いました。
その子にペンライトを貸してあげたときのキラキラした目が印象的で。
その日を機に、たまに超特急についてLINEで話す仲になりました。

このアラサーにさしかかる歳になって中学生の友だち(と呼んでいいのかもわからないくらいの歳の差ですが)ができるなんて、オタクって本当に面白い。
何があるかわからない。

だって今の中学生って2014〜15年ようかい体操ド世代じゃないですか。あのときメインターゲットだった子たちと、今同じグループを好きなもの同士としてLINEしてる。
こんな未来誰が想像したよ。


超特急を応援していたらそんな人生の面白さを見つけられた。
別に投げやりになってたわけでもないけど、人生捨てたもんじゃないなって思った。






そろそろこのブログの終着点がわからなくなってきましたが、とにかく超特急のおかげで毎日が楽しいってことです。





これまでのことを振り返ったので、最後にちょっとだけこれからの話。
私はドリ5が解散してから、また1から新しくファン同士の交流を深めていくことに関してだけは体力が残っていなくて、ある意味燃え尽きていたというか、ドリ5を通して出会った仲間たちとの空気感が居心地良すぎて
Twitterのアカウントもそのままだし8号車さんたちと関わろうともしていませんでした。


(勝手にツイートが好きな方はフォローさせていただいているのですがそれに関してはご挨拶もなく大変申し訳ございません。勝手ながらいつもツイート拝見しております。)


8号車さんたちの空気感も好きなので関わりたくないということでは全くなく、ただただ私が疲れてしまっていただけ。

なので6,7年経った今でも8号車友だちはほぼゼロです。

ですが、このブログを書くにあたって過去を振り返って整理して、いろんなことを思い出して、また新たにここからスタートしたいなという気持ちが自然と湧いてきました。



だからといって友だちになりましょう!と言いにまわるのも変な話だしそれぞれの現場を見つけて散らばりつつもたまに同窓会的にTLに集まってくるドリ5オタク仲間たちもまだまだ大好きなので、何かを劇的に変えることはしませんが、少しずつ8号車さんたちとも交流していけたらいいなと、そんなことを思っています。

こんな私でよければ、私自身はいつでも誰でもウェルカムなので気軽にお話していただけると嬉しいです。
※フォローは推奨しません。







こんなただ長いだけのブログを読んでくださった方、ありがとうございます。
文がガチャガチャしてて大変失礼いたしました。


永遠なんてないけど、このワクワクな日常が1秒でも長く続くことを願って、このブログを締めたいと思います。

超特急に幸あれ!!!!!!!!!


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