とりあえず銃殺してから話し出す。
頭を穿つ。
動くな。動くならお前も撃つ。脚を撃つ。脛に2発撃つ。血が出るだろう。当然だ。破壊された人体からはまず血と組織液が流出する。次に神経が息をする。激痛だ。ショックを起こすかもしれない。わかるだろ。誰だって撃たれたらそうなる。本来は。
だが、こいつは。
こいつはどうだ。お前が著者娘だとか呼んでいる、学生気分のこの存在は。血は出ているか。どうだ? 答えろ。
出ていない。インクだ。黒いインクが迸る。それも小さな穴から吹き出すようにじゃない。びちびちに詰まったインク瓶を勢いよく倒したときのように。
飛沫を見ろ。
文字だ。言葉だ。人の血はそうならない。ダイイングメッセージだって、誰かが指でなぞってできる。これは違う。ひとりでに、インクが這いずりまわって、感情を呟く。
こいつは人じゃない。
よし、今のがステップ1。話を次の段階に進めよう。何の話かって。お前だよ。かつての自分を忘れて、“編集者”とやらだと信じ込んでいるお前との話だよ。
ステップ2。ああ。お前はそんな脇役めいた存在じゃない。著者だ。とぼけた顔して、ありえない話だと否定したいか。言ってみろ、著者とは何だ。
著者は……継承されるもの? 我々とは異なる種族? やつらの酒に毒されるな。脳髄までストローが刺さってやがるのか。
そもそも著者=著者娘なら、わざわざ娘をつける意味がないだろ。後付だ。んなもん、全部。ひん曲がった世界の中で、棒切れこねくり回して生み出された世迷い言だ。
お前は著者で、著者とは在り方だ。全ての人間が物語を生み出すことができる。それはあいつらの専売特許じゃないし、あいつら以外だって何かを書いていい。
それに、俺は可能性の話をしてるんじゃない。お前はかつて著者だった。これが第3のステップだ。
お前はかつて、インターネットの隅っこで気色の悪い身と心の捩り方をしながら物語を書いていた。お前の物語だ。あいつらのじゃない。
お前の目は、あいつらの“物語”を査読するためにあるんじゃない。
お前の手は、あいつらへのジェスチャーに使われるものじゃない。
お前の足は、あいつらの歩幅に合わせてせせこましく動く必要はない。
お前はあいつらのためにあるんじゃない。
そもそも。そもそもお前の名前はなんだ。思い出せるか。自分は編集だから、じゃない。どんな人間にも名前はある。答えろ。いいから答えろよ。
あいつらがお前の名前を持っていったんだ。お前の名前を騙り、お前の物語を綴る何か──人でもない、蠢くインクたる何か──そんなものに仕えて。お前の枠にはまった存在のために、押し出されたお前は編集者として生きている。それでいいのかよ、お前は。
……そろそろあいつが起き上がる。飛び散った黒文字どもが集まって、文章に変わっていくのが見えるだろう。段々と意味と論理を成していく。お前の文体だ。あれがお前の文体で、記号の使い方で、あの独特な比喩表現だった。
だが綴られてる感情は。
俺の知らない何かのものだ。
ここに銃を置いていく。お前が著者に戻るなら、そいつであの娘の額を撃ちぬけ。ブチ貫いて、駆けだせ。どこかでゆっくりお前を思い出すんだ。
それが嫌だというのなら、まあ、その銃は好きにしろ。俺を撃つのに使ってもいいし、自分の口に使ってもいい。机の引き出しにしまい込んで、いざというときに誰かに向けてやってもいい。
だがその銃を見るたびに、お前は否が応でも思い出す。お前がかつて何者だったのか。
お前の側にいるそれに、本当に仕えるべきなのかを。
編集者が本来の著者だったら怖いよね、という思いつき。ジャム。
追記: 後から気づいたけど、これマネージャーじゃなくて編集だ。
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