学歴はストリーとして見よ。東大卒元塾講師による独断と偏見の学歴エスノグラフィー①

技術も社会もどんどん変化しているのに、学歴というものを意識する人はまだ多いようだ。
学歴フィルターで「日東駒専以下かどうか」のように最終学歴だけで見ている人は多いが、学歴には「最終」だけには現れないストーリーがある。人間はもちろん一人一人違うわけだが、それでも学歴にまとわりつく形で紡がれる典型というものはあるのか。独断と偏見にまみれながら今回語り尽くしたいと思う。ある程度大雑把な議論になることも了承いただきたい。また他の人の学歴トークとはかなり趣きが違うことを付け加えておく。
①ではMARCHクラスにどの層から入っているかによって性格づけてみたい。
②では地方や新興進学校のちょっとした闇を描く。
③ではど根性早稲田文系という私が独自に作ったカテゴリーと、これまでの学歴予想の成績を発表する。最後に簡単な自己紹介をする。

不愉快に思われる内容もあるだろうが、その代わり自分が経験して考えたこと以外は書いていないことを約束しよう。
読んだ人に「ああ、言われてみればたしかにそういうのあるかも」と思ってもらえればエスノグラフィーとしては成功していることになるかと思う。

まずは、MARCH学部卒についてだ。学歴フィルターの観点からはMARCHレベルまでくると差別されることがぐっと減るだろう。
これが事実だとするとそれ以上はプラスαの部分にすぎないとも言える。この点を先に確認したうえで各論に入りたい。

もし私が新卒採用担当なら高校も見る。附属上がりなのか、超トップ校、都会のそこそこの学校、地方トップ校、地方の普通レベルの学校、どこ出身なのかを参考にするだろう。

まず附属校だが、MARCHだとそこそこの難易度であり、中学受験か高校受験をある程度しっかり頑張ったことだろう。
しかしわかるのはそれだけではない。同レベルの進学校に入り、6年後に東大や早慶を狙う道もあるわけだが、親は「そこまでしなくてよい」と考えていることが読み取れる。
本人も附属校に入っても都内にいれば塾などで勉強を続け、東大や早慶に挑戦する気になればできるわけだが、やはりわざわざそこまではしていない。
最終学歴としての大学名ではなく、中学から大学までのグループとしての「法政」とか「青山」というブランドに愛着をもっていて肯定的に捉えている人が多いように思う。横のつながりや仲間意識もあり、それでいて自分たちがトップだとか、より早い段階で入った方が「生粋」だとかいった凝り固まった考えはそこまでなさそうだ。
逆にMARCH附属校から医学科以外で外部受験してる人は「何かあるのだろうか」と勘繰ってしまう。

超トップ校(その名前を聞いただけで「みんな東大行くんでしょ」と言われるレベルの学校)からMARCHということだとなかなかに深い傷を負っていることだろう。
明らかに能力の問題でMARCHに行ったわけではない。彼らが普通にやっていれば早慶にはすべらない。入学後に下の順位を突き付けられて折れてしまった人が早い段階で勉強を諦めてしまい、受験期にも盛り返すエネルギーが出なかったのだろう。
これは私のような地方の県立トップ校程度でも見られる事象だった。
高校入学直後に進路指導の先生が最初に言ったのが「おまえら中学では1、2番だっただろうが、ここでは200番300番の順位がつくこともある。でも諦めないでついてくればそこそこのとこには入れるようにしてやる」であった。

高校時代、やはり「諦めて」いる人はいた。数学の時間は寝てるのだが、現代文の時間になると先生と文学的なことを討論してたり、私が授業をサボって下宿に戻るとギターを弾いてるかっこいい先輩がいたりした。
みんな魅力的で友達にはなりたいが、採用権者だったらどうだろう。何か勉強以外の好きなことに打ち込んでいたとかいったことが明確ならばよいが…

「御三家」からMARCHやそれ以下のところを出て中学受験講師をしている人たちの中には正直「傷」が癒えているようには見えない人もいた。
「地頭は大学受験よりも中受の方が求められる」とか「高三の夏休みに目の手術をしていた」とわざわざ言ってくる人もいたが、「いやあ、◯◯中学ご出身ですか。ポテンシャルが違いますなあ」と言って寄り添ってあげた。別に嘘をついているつもりもない。

「私立落ちて公立行くと強制で部活やらされるぞ」と子供たちに脅し文句として話す講師がいたが、これは聞き捨てならない。体育会系の人が行くような業種よりも自分達塾講師が上だと「大人にも」堂々と言えるのであれば言ってもよいが、子供相手にだけ言ってるのであれば、やはりこじらせてると言わざるを得ない。
外や未来に目を向けられていないのは非常にもったいない。ポテンシャルあるというのは本当にそうだと思う。若い頃はなかなか消化しきれないだろうが、傷が癒えればいい味を出してくれることと思う。

逆に同級生が理Ⅲや医科歯科なのに次のランクの医学部しか入れず、自分は凡庸だと自虐的に言う人もいた。そんなもんだと割り切って受け入れ、そこそこついていっていたのだろう。変な意識にとらわれておらず健全なかんじだ。悟っている。柔軟性があったからこそ国公立医学部や私立医学部御三家に踏みとどまってメンツがギリギリ保たれたといったところだろう。

首都圏の次のランクの高校からMARCHという場合にはかなり幅があるだろう。地方国立にわざわざ行く人は少ないだろうから首都圏国立や早慶、日東駒専とも併願して流れに身を任せた形の人が多いだろう。

地方トップ校出身の場合、国公立志向が強い中で、地元国公立ではなくMARCHにしたのは東京に出てきたかったというのが大きいだろうか。そして親もそれをよしとしたということだ。
今は変わったかもしれないが、「女の子だから地元国立にしとけ」と言われる人もチラホラいたものだ。最近だとお金の問題で地元にさせられる人もいるかもしれない。
地方は旧帝大ではなく駅弁と言われるところであっても国立がよいとされる風潮がある。そこから公務員やインフラ系などのお堅いところに入れば評価される。基準がわかりやすい。
東京に出てくると附属校上がりが幅を利かせていたりと地方出身者からはなぞのことも多い。評価軸も多様だ。そこで適応できるかどうか。
特にMARCH以上の人たちは地元に戻らずに就職してからもこのような違和感が残る人も多い。なんとなく居心地が悪いのだろう、就職して数年で資格試験をとるなどし始める人もチラホラ出てくる。このゾーンは地元に帰るのも何となく気がひけるのだろう。いろんな板挟みに苦しんでいる人も多い。

若い頃人生経験として東京に出てくるのは面白いとは思う。だが先程の超トップ校の話とも通じるが、小さい傷は抵抗力を高めるものの、大きすぎる傷を負うと立ち直りに難渋することもある。
本人の特性を見極めてあげるのも周りの大人の役目だと思う。
地方出身東大生の悲哀といったテーマはまた別の機会に論じてみたい。

地方の県庁所在地以外の都市の進学校からはMARCHに入れる人はぐっと少なくなるので、かなり頑張った層だ。県トップ校との違いはハナから国公立を目指さずに科目を絞って勉強してる人も多い。だから第一志望で入学している人が多い。
私は中学まで人口40000ほどの市にいたが、その時の優秀な層はみんなMARCHに惜しくも落ちているようだった。情報格差もあり、また動機付けレベルでも都市部とは違う。ネット時代といっても縦のつながりで身近な先輩が都内の名の知れた大学に行っていないとピンとこない部分もあり、それは能力とはまた違うだろう。
彼らを学歴フィルターで弾いてしまうのは何とももったいない。選考の都合上仕方ないのだろうが…

②へつづく








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?