学歴はストリーとして見よ。東大卒元塾講師による独断と偏見の学歴エスノグラフィー③

次に積み重ねなしにおそらく数ヶ月で早稲田文系クラスに入った人たちについてだ。上昇志向でガッツがあるタイプだろうか。ど根性早稲田文系と私が勝手に名付けた。
英語や古文は単語や文法をど暗記したものをど直訳、日本史ゴリ暗記みたいなので合格した人だ。お行儀のよい学歴ルートを通らずに来た人だ。その意味で不連続を成し遂げている。
名のある大学に入らないと社会的に不利になるという危機感を自分自身で感じて立て直した人だ。塾や学校で言われたからやってるのとは違う。
英語で「情報構造を見ると文脈がわかる」だの、古文で「省略されがちな主語と目的語を洗い出すことで文脈を明確化する」などの予備校的なテクニックはおそらく全く知らないであろう。根性と真っ当な国語力で通っている。
なぜ早稲田文系なのかというと、中学からコツコツやらなきゃいけないとか積み重ねとかがほとんど求められないのだ。だから「名のある大学に」と自分で気づいてから根性と国語力だけで突破できるというわけだ。

名前を出すのは失礼かもしれないが、例えば与沢翼さん。彼の「自伝」や「武勇伝」がどこまで本当かはさておき、二浪相当の年齢で当時の大検で早稲田文系に入ったとのことなのでこのパターンかと思う。

橋下徹さんは大阪の名門公立校から一浪で早稲田政経で、一見すると不連続に見えないが、花園に出場し、センター試験当日も試合があったとのことだ。チマチマ学校の勉強の予習復習をしていたわけはなかろう。
「日本史の暗記まじくだらなかった」とご本人が言っているように勉強の楽しさだのなんだの言わず、鼻をつまんで数ヶ月詰め込んで試験に臨んだのだろう。

私の友人には地元国立を事情があって中退し、社会人経験を経て、首都圏MARCHクラスに入り直した人がいるが、三浪相当以上は就職できないなんて言われるのを覆し、もっと遅れてきちんと就職している。

与沢さんや橋下さんへの評価はいろいろあるだろうが、行動力や突破力をもって突き進んだことは事実だろう。こういったことも最終学歴だけでなくストーリーを見ることでわかることもある。


次に学歴予想と答え合わせをしてみて、当たったもの、外れたものをご紹介しよう。

ガタイいいかんじの保守系活動家の方は、実家は経営者で、本人は日東駒専と読んだが大外れだった。
県立トップ校から早慶文系0浪0留のようだ。正直あまりお勉強という印象ではなかったのだが。
レベラルに親和的な方が学校の勉強に適応的というのもあると思った。

Dragon Ashはコアメンバーが中高から青学と読んでこれは当たった。
代表曲で「渋谷六本木」という地域が出てきて、有名俳優古谷一行さんの息子さんである降谷建志さんが青学というのは予想しやすい。
単なる印象で、当たったのは偶然かもしれないが、単にワルぶるだけでなく暖かい曲調や歌詞で自分達の育った家庭や国を肯定的に言及してるのを見て、同じような家庭環境に育った人たちで組んでいるように感じたのだ。もちろん校外にもいい友達はたくさんいただろうが。

中高年のジャーナリストで「この人早稲田一文っぽい」とかはよく当たる。
あとは本屋で立ち読みをしていて筆者が東大卒だと気づくこともよくある。論全体の構成や論じる対象についての概念が妥当性ある形で整理されていて納得しやすい。全体性や先を見ていて安定感がある論の運びなのだ。
「エビデンス」や「数値」で説得してくるかんじはあまりしない。もちろんこれらを使ってはいるが、それをメインとして正しさを主張してはいないことが多い。もしかしたら意外に思うかもしれないが、これが私の印象だ。
本の筆者に関しては全然外すこともある。

昔コメンテーターでソルボンヌとハーバードを出ていると詐称していた人がいたが、私は最初からウソだろうと思っていた。なぜかと言うと日本だと一般的な認識としては学部関係なく何となく東大京大が優秀なかんじがするが、海外だと学問ごとに評価されている大学が異なっていることも多い。それなのに日本人でもわかるハーバードとソルボンヌを並べている時点でたぶんウソだろうなと思っていた。せいぜい公開市民講座かなんかに出席したのだろうと。
まあウソはいけないが、コメントはまあまあ面白いし、見た目もよくて、単に子供の頃の学校歴に恵まれなかっただけで、これまた上向きな人なわけだ。多少うさんくさくとも、予定調和なことしか言わなかったり権力への思い入れが強すぎてバランスを欠いたジャーナリストなどよりよほど面白いと思って特に問題視していなかった。


最後に少しだけ自分の話をすると、私は年収200万円台の母子家庭から地方公立校を経て東大に進んだ。家族親族に大学進学してる人はいない。
中三の始めに学区外の高校に下宿して進学したいと言ったとき、母は最初否定的だったが、私の意志を尊重してくれて下宿代を出してくれることになった。他は奨学金を借りてやりくりした。そこまでしてもらっておきながらメンタル不調で高二以降は朝イチから出席したのはほんの数日しかなかった。
そんなかんじで自分はかなり変わっていたので、高校時代から周りの空気感に違和感や異質感を抱いていた。
例えば先生のちょっとした悪口やら批判にしてもみんななんだか大人びていてしっかりしたこと言うし、雑談でも前日のTVの話なんかもしていない。
自尊心や自己像の持ち方から振る舞いに至るまで、これまでの自分の環境との落差、違和感ゆえにある程度周りに対して敏感でいられたのだろう。
社会学なんかに言えそうだが、普通の人たちが言語化しないでいる営みを言語化するのはややもすると品のない振る舞いだったりするのだが、それは違和感の産物なのだと思う。
田舎から一人ソルボンヌに入って文化資本の概念を提唱した社会学者ピエール・ブルデューの超劣化版といったところか。

自身の状況を相対化したり、何らかの知恵としてくれれば、この独断と偏見まみれのエスノグラフィーも役に立ったということになるだろう。

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