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2022年度中村哲記念講座「中村哲先生の想いを繋ぐ」第二・三講:「人の忘れてはならぬ大切なもの」とは?

みなさんこんにちは、記念講座にてTAを務めております、A.Nです。

今回のnoteでは、6月22日にあった村上優会長の講演と、その講演を踏まえた6月29日のグループワークについて書かせていただきます✨

村上会長の講演:地表をうごめく一人の人間として割り当てられた任務は、人の忘れてはならぬ大切な何ものかを灯しつづけること

 6月22日には、昨年度の記念講座でも講演をしてくださった村上優会長の講演がありました。

 村上会長は、中村哲医師が医師としてスタートを切った国立肥前療養所(現国立病院機構肥前精神医療センター)にその後輩として入って以来、中村先生と親交を深めておられました。83年のペシャワール会結成時には中心的役割を果たし、中村先生の最も身近な相談役でいらしたそうです。現地パキスタン・アフガニスタンへは何度も訪問もしており、同会事務局長を経て、4代目会長に就任されました。2019年12月PMS総院長の中村医師の跡を継いで現在に至ります。

 昨年度の講演では現地報告の色合いが強い講演だった(本人談)とのことから、今回は学生が何を考えているかを前半・後半部分に分けて伺いながらのゼミ形式で進められました。
昨年度の村上会長の講演はこちらをご覧ください。

 今回は1987年のペシャワール会報第12号に掲載された「JOCSパキスタンプロジェクト1986年度活動報告」が事前勉強テクストとしてアナウンスされており、村上会長の講演はこの会報第12号の話から始まりました。
 「(会報第12号は)報告書なので、広く人に読んでもらうためのものではないが、この視点を得てほしいと思っている。」と村上会長。この報告書は36年前のものである一方で、2000年代以降の用水路の中村医師の考え方と基本的に変わっておらず、中村医師が活動の中で何に悩み、どう判断したのかについてかかれてあるため、中村医師になったつもりで読んで欲しい、とのことでした。

この会報第12号は九州大学の「中村哲著述アーカイブ」にて一般公開されています。ご関心のある方は、是非お読みください!
会報12号URL(1987年7月発行)はこちらから
中村哲著述アーカイブはこちらから

 村上会長の講演は前半後半に分けて進行されました。
 まず、前半部分では1986年にいたるまでの中村医師と当時のペシャワールの状況の話がされました。1979年のアフガン侵攻で300万人もの難民が発生しており、中村医師が赴任した1983年当初は包帯を巻くだけの医療器具しかなく、また医療か布教(啓発事業)かという宗教上の対立もあったとのことでした。
 「ここでは、友人を得ることは敵を得ることと同一であった」と中村医師は仰っていた、と村上会長。医療チームのみならず部族の対立などもあった一方で、戦争の中で細かいいざこざは小さくなり、最大の障壁は個々人の抱えている苦悩にありました。
 また、中村医師はむなしさと無力感に襲われながらも、それどころではなく、地表をうごめく一人の人間として割り当てられた任務は、人の忘れてはならぬ大切な何ものかを灯しつづけることだったと断言されました。

 ここで前半部分に対する質問タイムに移ります。
 学生の方からは主に、中村医師がなぜそこまで実直に、そして謙虚に活動できたのかという質問が投げかけられました。その諸質問には、「自分ならそうはできないだろう」という学生の方それぞれの背景があります。
 これに対し村上会長は、その質問の背景を汲み取ったうえで、中村医師は「誰もいかないところに行くし、誰もしないことをする」という、そもそもの問題の立て方が普通とは根本的に異なっている点を挙げられました。ハンセン病を中村医師が選択された際も(もともと中村医師は精神科医でありました)、ハンセン病を治しに行こうと思っていったのではなく、現場において必要なものがハンセン病治療だと中村医師が思ったから、と仰いました。
 また村上会長は、自身の属性を他に押し付けなかったことを評価し、そんな中村医師には、物事を考えていく際の直観力を高める素質が備わっていたのではないかと推測されています。アフガニスタンの東部のナンガラハルという州の中で小さな部分をとにかくこなし、「人として忘れてはならないことを灯し続け、それを見定めていくことが自分の行動になるのでは」と村上会長。ただ、中村医師はその「人として忘れてはならないこと」を具体的に書いてはいないため、各人にとってなになのかを考えるべきだと仰いました。

 そして、後半部分に移っていきます。後半では現地活動の現状と、今後の動きについてが中心に話されました。
 アフガニスタンの現状として、2000年から続く干ばつが今年特にひどいことと、国際政治・経済的な問題も影響を与えていることが述べられました。また、現在周辺の診療所が機能低下を起こしているため、活動を継続しているダラエ・ヌール診療所が重要な役割を果たしています。加えて、用水路事業に関しては『PMS方式灌漑事業ガイドライン』が2019年に中村医師の精神を土台にして発案され、2021年に完成しました。中村医師が亡くなられた後も残ったデータから、技術の普及のために作成が続けられました。干ばつがとにかく夏にひどくなっており、用水路がある場所はいいが、ない場所には何もない、食べるものが無いと仰る村上会長。現在の灌漑事業は、治安の改善から、広い範囲での計画が立案されているとのことでした。

↑『PMS方式灌漑事業ガイドライン』(英語、ダリ語、日本語、パシュトゥ語)

 また、今後の動きについて、主に次の四つが挙げられました。一つ目が、一度なくなってしまったハンセン病の治療をもう一度おこなうこと。二つ目が、緊急食糧支援の新しい展開。三つ目が、数度試されているサツマイモ等による農地の開拓。そして四つ目がJICAとの共同のもと、PMS方式灌漑事業ガイドラインの普及とそれを反映させた新しい堰の建設です。
 それに併せて、『ペシャワール会報』のなかの中村医師の著述を統合して発行することも視野に入れているとのことでした。九州大学の著述アーカイブについて、「読んだ人たちがそれぞれ自分たちの領域を作っていく。」と仰った村上会長。中村医師の発想を頭の中に入れ、自分なりによりよく生きていくということの道しるべになることがあれば、と期待を込められました。

 後半でも質問タイムが設けられます。
 まず、村上会長の「中村医師は目の前の小さなものを積み重ねていった」という話に対して、中村医師は目の前の一歩を見ている一方で大きなものを見ているように感じる、という質問。これに対して、村上会長は中村医師は一言で解説できる人ではないと前置きし、小さいことを行いながら、現実に目の前にいる人という所謂「何でもない」人たちを見る力があったと帰されました。
 また、中村医師が亡くなられた後、ペシャワール会で変わったことがあったのかという質問も出されました。これに対しては、中村医師の死が非常にショックを与えるものであった一方、彼の事業をやめる選択肢は始めからなかった、と振り返りました。中村医師というオールマイティーな存在がなくなったが、現在PMSの技術者や日本の技術者がチームを組み、氏がされていたことを引き継いでいます。
 中村医師の技術を活かしてそれを実践に移す、ということが現地で実際に行われているという村上会長。

 中村医師は非常に多くの言葉を残しているので、もし迷ったら彼の言葉を、と最後に仰いました。

第1回グループワーク:村上会長の講演をうけて

 村上会長の講演から一週間後の6月29日、第一回のグループワークが開かれました。今年度のグループはA~Eの5グループ。基本的に学部か学年の異なるグループから成っており、授業開始前は初対面同士の初々しい雰囲気がありました。

 グループワークに関して、今年度の記念講座では、昨年度のやり方から少し変更を加えています。
昨年度のグループワークについては、第一回はこちら、第二回はこちら、第三回はこちらからご覧ください

 グループワークの進め方は昨年度のものを踏襲しており、授業前半にはTAの決めたグループ全体で共通の問いについて 、授業後半には選択問題を話し合います。
 ただ、授業後半に話し合う選択問題に関して、昨年度はこちらもTAのほうから準備されていました。しかし、今年度は「先週の村上会長の講演を受けて、グループワークで話し合ってみたい問い」を学生の方から出してもらい、各グループで一つの問いにしたものをそれを話し合う、という形にしています。

 今回の共通の問いは、
「あなたにとって、中村哲先生のおっしゃる「人の忘れてはならぬ大切なもの」とは何だろうか?(また、それはあなたの人生の道しるべとなりうるだろうか?)」
です。

 この問いは、会報第12号の時点で出来上がっていた「中村哲医師の活動の根本的な部分」となるもの、そして「中村哲医師の発想を頭の中に入れ、自分なりによりよく生きていくということの道しるべになれれば良いなと思う」という村上会長の言葉や、学生の村上会長の講演を受けて出てきた問いを踏まえて設定されました。

 この共通の問いに対して、いくつかの学生の方の答えをピックアップしてみると、以下のような意見が見られました。

「あなたにとって、中村哲先生のおっしゃる「人の忘れてはならぬ大切なもの」とは何だろうか?(また、それはあなたの人生の道しるべとなりうるだろうか?)」

  • 他者に対する善意や自分の小ささを理解してその中で何ができるのかを考えること。またその考える過程で、良心や善意は自然と芽生え、利己的な考えは生じえない。

  • 「忘れてはならぬ」という姿勢自体が考え続けている姿勢

  • 同じ人間として関わる。政治的な立場などを抜きにして→生身の人間として接すること

  • 近代化によって失われてしまうような人間関係やコミュニティ

  • 共通して言えることはどれも目に見えないものであるということ。だからこそ忘れてしまうことのあるものではないか。

  • (括弧内の問いに対して)各々が目指す未来や希望、場所は違ったが根本となる考え方を持ち続けたいという点はグループで一致した。独りよがりにならない支援等の意見があり、活動する場所が異なったりしたものの根本的な考え方は「やってみたい」と思うことで、実践経験を積むことが大事だと話した。

 以上のように、学生の皆さんは中村哲先生の考えられていた「人の忘れてはならぬ大切なもの」は自分たちにとっても大切にすべきものである、という前提から話し合っていました。その内容は、中村哲先生の状況と併せて「自分は何を大切にすべきか?」という問いも並行して考えていたように感じられます。
 では、これら共通の問いに対する答えをもとに、また村上会長の会長の話を受けて、学生の皆さんはどういったことを疑問にし、その問いに対してどのように考えたのでしょうか?

 学生の方の考えてみたい問いと、それに対する考え

  • 【問い】

中村哲医師の生き方から学びたいと思う一方で、自分が彼のように行動できるとは思えないと考えているひとが多数いた。ではできないなりに私たちができることをするために必要なものは何なのか。
【考え】 
たとえ自分たちに直接関係がないような事象にたいしても、それらに関する情報を積極的に収集して、集めた情報に対して自分の固定観念に縛られず柔軟にうけいれていくこと、および自分のできないことがおこってしまったときに、自分の小ささを理解して他者に協力を依頼する力が必要だという意見がでた。

  • 【問い】

自分たちにとって中村哲先生の一番の魅力と思うもの
【考え】
①現地住民を助けたいという信念を貫いて、柔軟に活動されていたこと、初志貫徹されているところ
②日本人としての価値観を押し付けず、現地の人に適切な支援をしていること
③9.11の時など大変な時にも人として大切にするべきことを実践されていた、その継続力
④開発途上国の支援は利益が中抜きされるなど腐敗しているイメージ、自分の利益ではなく現地の人を助けることをされている、理想的な途上国支援をされている

  • 【問い】

物事の本質を捉えるにはどうしたらいいか
【考え】
本質というのは対象がいて成り立つもので主観的に成り立つものではないと話し、非常に本質を見抜くことは難しいと感じた。
また中村先生は現地で体験していく中で本質を磨く力をつけて行ったと言える。また、中村さんの著作と現地住民が話したことが求められた著作について話し合った。違う立場であるのにも関わらず綴っている文章には類似点が非常に多く見受けられ、現地住民との意思疎通が非常に上手に出来ていた中村先生はその点においても本質を見抜いていた人物であると指摘した。

  • 【問い】

中村哲先生のように広い視野を持つにはどうすればよいか
【考え】
①「広い視野」とは:目の前の小さなことをたくさん見つけて広い視野になっているのではないか
②小さなこと(一隅)を見つけるには[何に対して]:本を読む、ニュースを見るなどして、現状をよく知る、同じような問題、同じような事例を見つける、言語のフィルターを介さずに現地の人の話を聞く(※知識があっても、逆に行きすぎた先入観ができてしまうかも)
③自分の知識と、相手の状況をどうあわせていくか:自分の知識の中から試してみて、その後、相手の状況と照らし合わせる、他の人の話からも知識を得る、現状に満足しない

  • 【問い】

活動において無力感を感じる中でも、中村哲さんのように行動を続けるためにどうしたらいいか、活動を続ける意味はどこにあるのか
【考え】
①目の前にいる人を助け、小さなことからでも始めることが大切
②意味があるからやるのではなく、ただ目の前に困っている人がいるから助ける、という行動の繰り返し
③代わりがおらず、自分にしかできないことをやる

 皆さんの問いとしては、中村医師の魅力に関してと、中村医師のようになるには、考えるにはどうしたらいいか、といったものに大きく分けられました。またそれに対する考え方はグループそれぞれでしたが、中村医師が実際にされた「行動」に着目する意見と、中村医師の著書から垣間見られる「思考」に着目する意見がどのグループにも見られた点が興味深いですね。中村医師は「現地主義」の方のように捉えますが、その一方でその言葉がただ現地にいれば良いという意味ではない、ということを皆さんが思われていたように感じました。
 これらの問いに共通する点としては、「自分には何ができるのか」という疑問が見られました。ただこれは、受講生の方だけの問いではなく、TAも同じく感じているものと考えます。
 この記念講座が一つの各人の答えのヒントとなるよう、これからもがんばっていきたいです!

  次の4回、5回のnoteの内容は以下のようになっております。

  • 第4回:石風社 福元満治様 講演

  • 第5回:第2回グループワーク

では、2週間後にまたnoteでお会いしましょう!


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