アンパンマンの問題解決手段

 この日本で育児をするにあたってアンパンマンは避けることができない。
 アンパンマンを知ることなく大人になることはほぼ不可能だというくらい、生活の至るところにアンパンマンがいる。
 つまり、アンパンマンは日本中の子どもか共有する知識であってアンパンマンの世界の価値観は日本の平均的価値観になっていると思う。倫理観と言ってもいい。
 前から気になっていたのはアンパンマンが最後はアンパンチという暴力によって問題解決をしているということ。これをちょっと考えてみた。
 僕は問題解決手段として、安易に暴力に頼ってはいけないと思っている。よく「体罰はいけない」という。それに対して条件によっては有効なしつけ方だという考え方もあると思う。
 僕が体罰をいけないと思う理由の一つは子どもが問題解決の手段、目的達成の手段としての暴力を覚えてしまうこと。『正義の暴力』を肯定してしまうこと。圧倒的に経験の乏しい子どもの正義は視野がすごく狭くなりやすいはず。
 さて、そこでアンパンマンの『正義の暴力』も気になってくる。もちろん、アンパンマンの暴力は正当防衛の範疇におさまるものが多い。あくまでバイキンマンによる急迫不正の侵害を排除するための暴力行使に限っている。でも、被害者を救い出して逃げるだけでも良いのではという場面もあるような気がするけど必ずアンパンチやアンキックでバイキンマンをぶちのめす。
 余談だがアンパンマンの描写は巧みでアンパンマンの拳がバイキンマンの腹にめり込んでいる様なカットはない。アンパンチを繰り出すカットのあとは殴られたとおぼしきバイキンマンが吹っ飛ぶシーンになる。暴力を振るいながら暴力的な印象を限りなく取り除いている。
 話がもどるがアニメでは善と悪が分かりやすいから良いかも知れない。でも現実はそんなに分かりやすい状況ばかりじゃない。そんな中で狭い正義感に燃えた子どもが暴力で解決しようとするのではと心配になる。まあ、それでやり過ぎて後で大人に叱られることも含めて成長のための経験かもしれないけど。
 冒頭に戻ると、日本中の子どもがアンパンマンを見ているということは、日本社会が正義の暴力を肯定しているということになる。それが悪いとは思わないけど、なんかすごいなとも思う。(小川)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?