プロユースのスタジオで音楽を聴くということ。

いっこ下の投稿のとおり、今日はレコーディングに行ったのだ。私が作詞した某アニメの挿入歌の歌入れ(歌の録音)で。このスタジオはどちらかというと小さめのスタジオ。プロユースのレコーディングスタジオは、いろいろな広さのものがあって、オーケストラが入れるような広さのものから、ドラムセットを置いたら、もういっぱいという所もある。あ、この場合の広さというのはブースの方。レコーディング用の機材(この写真に写ってる、つまみがいっぱいあるやつね。簡単に卓とも言う)がある方の部屋ではなくて、実際に楽器を弾いたり歌を歌ったりする部屋の方。

それで、この写真には卓の上のヤマハのスピーカーしか写ってないけど、後ろの方に、デカいスピーカーがあるし、逆に横の方には小さいスピーカーもある。なぜかというと、スピーカーによって聞こえ方が違うので、いろいろ試すのだ。でも、まあ、基本的にレコーディング中はいちばんデカいので聞く。あと、卓で音色や、音の配置(何がどこから聞こえるようにするか)、あと音を加工したり、1回目の演奏を1トラックに録音して、2回目の演奏を2トラックに録音して、それをつなげたり、まぜたりとか、とにかくいろいろする。プロユースのスタジオにある卓は普通は◯◯千万単位の値段のものが多い。

つまり、プロユースのレコーディングスタジオで音楽を作るという作業は、非常にクオリティの高い機材で音楽を作り、聴くという作業なのだ。

それで、私は作詞はするけど音は作れないけど、でも、こういうスタジオでレコーディングをする経験はある程度積んできたので、ミュージシャンの人達にはかなわないけれど、「ある程度耳が出来ている」というか、音楽を聴くときの耳の姿勢?みたいなものは、一般の人とは(あえてこの言葉を使うけど)やっぱり違うのだと思う。どれだけ緻密に聴けるかってことかな。

でも実際、作り手が聴いた音のクオリティがユーザーに届くことはほとんどない。近い音を聴いているのは、いわゆるオーディオマニアの人達だけだ。

ほんのちょっとの音のずれ(ずれてる方がカッコ良かったりもする)、エコーの深さ、音程のひとつひとつ(もちろん音程が合っていればいいんじゃなくて、心地よく響いてくるかどうか)をそれこそ、全身を耳にするようにして作り手は作業しているんだけど、それらは音楽がCDになったり、iTunes用のファイルになっていくあいだに、消化されてしまう。

それは、工場で作られる精密な物達と同じで、ユーザーはそれがどんな緻密な作業かなんて気にしない。目にも触れなかったり、それがそこにあることも知らなかったりする。

ただ、音楽が精密な製品と違うのは「心に向けて作られている」ということだ。音色ひとつで「せつなさ」も変わる。歌だってマイクの種類、高音、中温、低音をどう録音し、混ぜるかで変わる。そして何よりも作り手はレコーディングの場で起きる奇跡のような瞬間や、エネルギーを届けたいと思っているのだ。そのエネルギーが届けば、13才の私がビートルズに打ちのめされた時のように、言葉や、どういう音楽なのかわからなくても、心に直接届いて、揺さぶるのだ。矛盾するようだけど、機材の新旧、クオリティを越えて。

だからお願いがある。どうか音楽を軽く見ないで欲しい。作る側の努力や緻密さ、こだわりは他の職人作業と同じで、ユーザーが気にすることではないけれど、ただ作り手が届けたいと願った、音にこめられた感情やエネルギーを感じてほしい。それを感じるような聞き方をして欲しいのだ。音楽は「歌と伴奏」で出来てるんじゃないから。

私が今日、ボウイ様Tシャツを着ていたので、初対面のレコーディング・エンジニア氏とボウイ・ロスをシェアすることができた。

「みんな、(ボウイ・ロス)きてると思うよ」と言っていた。音作りのプロ中のプロであるレコーディング・エンジニア氏がそう言うということ、それはどれだけボウイの音楽が素晴らしいものだったかを、証明してると思う。

「亡くなってから、いろいろ聞き直したりして、ああ、この時代にこんなことやってたんだって」と私が言うと

「うん、うん、そうなんだよね」と。

ママ友たちが、音楽やアートを必要としていないのを知ると本当に悲しい。ママが音楽を愛してなかったら、子供のピアノのお稽古がどんな意味を持つっていうんだ?!

#ロック #音楽 #PTA



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