2015.11.6 ドイツの空でピアノを


学会からの帰りのフライト、僕はシャルル・ドゴール空港からANA787に乗っていた。

ゆったりとしたシートに身を任せてはいたものの、なんとなくそわそわしていた。僕は飛行機があまり好きではなかったからだ。それでも、挨拶をしてくれたそれほど美しくないキャビンアテンダントの愛嬌ある笑顔は、少し僕の心を落ち着かせた。どこかで会ったような・・・そうだ、病院の内科の女医さんに眼が似ている。始まることもなかった恋・・・

久しぶりに読む日本の新聞と雑誌に飽きてヘッドホンを手にする。なんとなくイーグルスのDesperadoが聴きたくなったからだ。だのにいつの間に選択した曲のプレイリストは「J-POP ~バラード特集~」だった。誰が歌っていたかも覚えていないが、確かに僕の青春が歌われていた。目の前のモニターにはドイツ上空の地図が映っていた。

・・・不意に流れる、ピアノだけの、高音のごくシンプルな旋律。すこしエコーがかかった、高音のゆったりしたテンポの前奏。

いったい誰が悪かったのか。そしてあの手紙の真意は何だったのか。

そんなことを考えていたら、いつの間にか僕は14歳の頃に戻っていた。


______________


僕は男子校に通って居たので女友達はほとんどいなかったし女性との交流は極めて限定されていたのだけど、近所の女子校に通う同学年の女子たちだけは仲が良かった。そう、小学校のときに通っていた塾の友達だ。中学受験のための非人道的な塾で週5回も顔を合わせていたんだから、そりゃ仲が良くなる。塾の卒業後、つまり中学入学後も僕らの友人関係は続いていた。

どんな子たちだったか。
背の小さい丸メガネの三つ編みの子と、もう少し背が高い、すこしふっくらとした色白な、目のくりっとした女の子。どこからどうみてもお嬢様の、そしてどう好意的にみてもそれほど美人ではない二人。

早熟な男子校生だった僕は、そのうちのふっくらした方の子と毎日一緒に登校していた。ローカル線のほんの3、4駅だ。僕が先に乗って、2駅あとに彼女が乗ってくる。僕が降りたら、その次の駅で彼女が降りた。どうしてそんなことを始めたのかはわからない。僕はとてもじゃないけどそんな大それたことを言い出せるタイプではなかったので、きっと彼女のほうから提案してきたんだろう。電車の時間と場所を決めて、平日は毎日一緒に乗る。それ自体が男子校生にとっては夢のような出来事だった。大変な禁を犯しているような背徳を感じたのを覚えている。はたして彼女はどう感じていたのだろう。

その密事を始めてしばらくしてから、彼女から放課後にお茶しようと誘われたことがあった。一緒に登校はしていたけど、お互い告白をしたわけでもないし、だいいち僕は彼女のことが好きかどうかもよくわからなかった。「女子校の子と毎日待ち合わせて電車通学している」ことが良かったのであって、彼女に惚れていたわけではないことは、眠気に包まれる湖畔の朝もやのように自覚していた。放課後のウェンディーズで(マクドナルドではないのが僕らのせめてもの矜持だった)ポテトを分け合って食べた。何を話したかも覚えていない。

それからまた一緒に登校する日々。当時の朝の電車は結構混んだから、二人の身体が密着することもたまにあった。彼女の柔らかく白い肌を目の前にして、僕は本当にどきどきしたものだ。女を知らぬ僕が、男を知らぬ彼女の白い肌をちらちらと見ていた。彼女はそれほど背が高くなかったから、密着すると僕の顎あたりに彼女のあたまのてっぺんがくる。白い頭皮のところどころ充血した赤い島。ケープだかなんだかの整髪料の甘い香り。それを見ていたらたまらず、僕はある日ついに、電車の降り際に彼女のあたまを撫でてしまった。撫でようか、撫でまいか、何千往復も心の中で逡巡したのちに。

「じゃあな、また」

彼女はさっと顔を赤らめうつむいた。そんな反応が嬉しかった。僕はそれから毎朝去り際にあたまを撫でた。初めて触れる異性の身体は、熱くて火傷をしそうだった。

そんな日々が2ヶ月ほど続いたある日。

僕の実家の郵便受けに一通の手紙がことんと入った。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

10

ドイツの上でピアノを(短編小説) ※連載中

14歳の僕は男子校に通っていた。恋は知らなかったけれど、女子校の女の子と通学デートをしていたあのころ、事件は起こった。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。