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2016.7.8 cakesウラ話〜「モテたい」苦しみへの処方箋〜

--この記事は「投げ銭記事」です--

こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。

昨日は7月7日、七夕でしたね。七夕はもともと端午の節句などと同じ節句の一つです。短冊に願いを書くというなんともロマンチックな習慣がありますねえ。病院にも短冊は飾られますが、あれがまた実に切ない。「おばあちゃんはやくなおってかえってきて」と子供の字で書いてあったり、「この病棟すべての人がよくなりますように」なんてかなり重症の方が書いていたりするのです。

さて、今回のcakesでは「『どうしたらモテますか?」』(28歳男性 会社員)に答えました」という話を書きました。タイトル通りなのですが、なかなか真剣に「モテる」を科学するのって難しいですね。記事執筆にはかなりの時間を要しました。

一本記事を書いていてまだ思うのですが、「モテたい」って本当にどういう感情なのでしょう?あまりに普遍的に誰にでもあるし、その気持ちって何歳になっても持っているのでこれは感情というより根源的な欲求なのかもしれません。この欲求について色々な角度から攻めたい。なぜ興味があるのかと申しますと、「モテたい」にはなにか人間の本質的なものが含まれているのではないかと考えるからです。神のような高尚さと悪魔のようなドス黒さを同時に内包しているような気さえします。

しかもね、「モテたい」と思う気持ちって本当に苦しいじゃないですか。今は私は正直それほどモテなくてもいいな、と思ってしまっているので苦しくありませんが、中高生、大学生、そして20歳代のころなど本当に苦しみました。モテたいのにモテないのって、地獄のようです。中高生のころは私は男子校でしたから、特にモテませんでした。モテる隙間がない。これがいい歳をして恋愛の話をドヤ顔で書いてしまうという、一風変わった人格の形成に影響を及ぼした点は否めません。

私は医師ですから、そんな「モテたい」で苦しんでいるひとに何かして差し上げたい。そうだ、処方箋を書こう。私が処方箋とか書くと医師法に抵触しそうな気もしますが・・・ま、いいでしょ。医師法って結構厳しくって、医師以外のひとが医者っぽい名前を使ったりするとすぐ摘発されるんですよ。病院じゃないのに「Dr.ナントカ」はぎりぎりだと思われます。

すべての治療はまず原因から。ということで、「モテたい」を分析し、4つの要素に分けます。

1、「モテたい」は承認欲求である

2、「モテたい」は所属欲求である

3、「モテたい」はリビドーの一表現型である

4、「モテたい」は利己的な遺伝子からの要求である

こんな仮説たちを一つ一つ考えましょう。今回はなんだか真面目な雰囲気です。

1、「モテたい」は承認欲求である

承認欲求とは、言葉の通り誰かに認められたいというものです。「モテたい」にはこの側面は間違いなくありそうですね。モテるということは誰かから「あなたが必要だ」と表明されていることとイコールですから、これは承認そのものです。承認欲求って自己承認(自分で自分を認める)と他者承認(他の人から認められる)がありますが、モテているとどちらも満たされそうですね。だってモテるということは少なからずあなたが他の人よりも魅力という点で勝っているということに他なりませんから。

私は他者承認よりも自己承認のほうがより高次の欲求だと思います。人からどう思われたって、自分が自分を認めることのほうが大切だからです。もちろん自己承認の充足はより難しくなるのですが。さらに言えば、他者承認は殆どの場合において自己承認の入り口であり、近道であり、専用通路です。

この視点で行くと、

「モテたい」=「他者から認められることで、自分で自分を認めてあげたい」

となります。

2、「モテたい」は所属欲求である

次はこの視点です。

所属欲求とは文字通り人間が何かしらに所属していたいという欲求のこと。例えば学校、部活、会社、サークルなど。女子が学校で形成するグループも、懐かしのmixi(ご存知ない方も多いですか?)を加速的に流行らせたコミュニティもこの所属欲求の表れです。ま、群れていたい気持ちと言ってもいいかもしれません。

でも、なぜ「モテたい」が所属欲求なのでしょうか?
モテるということは他の人から「一緒に居て欲しい」「付き合って欲しい」「結婚して欲しい」と求められていること。その要求に対してはイエスと簡単に言うだけで、相手に所属することが出来ます。もう一歩踏み込むと、そう要求されているだけですでに少しその相手に所属しているのです。もっと言えば、誰かがあなたを好きになったその瞬間に、あなたはその誰かに薄っすらと所属し始めているのです。
モテているとは、この薄っすらとした所属が多数積み重なったものですから、その数が多ければ多いほど所属欲求の充足も強くなります。変な話、こちらにフラれてもモテていればあっちの人に行けばまた所属出来るわけですから、これは安心。

3、「モテたい」はリビドーの一表現型である

リビドーについてはこちらのwikiをご参照ください。
私はここではリビドーを「抑えがたい性的欲求」という意味で用います。もちろん男も女も持っています。
さて、モテると性的接触をするチャンスが増えますね。これは明らか。しかも人間にはリビドーから来る、色々な人と性的接触をしたいという知的好奇心ならぬ「痴的好奇心」があります。モテていればこの痴的好奇心も満たすことができますね。

これは人間の三大欲求の一つである性欲を満たすことができます。とはいえ、現代では代替手段(風俗など)が発達したせいでそれほど異性にモテなければリビドーを満たすことができないというわけではありません。

4、「モテたい」は利己的な遺伝子からの要求である

これは私がなんども書いているように、利己的な遺伝子のオーダーであるという視点です。利己的な遺伝子とは私のオリジナルではなく、「人間存在とは遺伝子が代々生き残り増殖し発達していく上でのただの乗り物である」という考え方です。意思を持たない(だろう)遺伝子やエピジェネティックスを「利己的(selfish)」と揶揄して付けたのはなんともセンスがいいですねえ。

「モテたい」は利己的な遺伝子からの要求である。これは単純なお話です。

モテると性的接触のチャンスが増えますから、繁殖の機会も増えることになります。これは受精し細胞分裂をしたい遺伝子にとってはとても都合がいい。実は「モテたい」は遺伝子からのオーダーである、という視点です。


まとめ

これらをまとめるとどうなるでしょうか。

「モテたい」とは、他者から認められることで、自分で自分を認めてあげたい欲求であり、誰かに所属し安心したい欲求であり、リビドーを発散したいという欲求であり、実は遺伝子からの指示で湧き上がっている欲求である。

なるほど。

では、もしこれらの欲求が他のことで満たされていたら、それほど「モテたい」とは思わなくなるのでしょうか。はい、そうです。

①すでに自分で自分を認めている人。

②すでに強固な組織や家族などに所属している人。

③リビドーを発散しきっている人、あるいは性欲が消滅した人。

こんな人たちはあまり「モテたい」気持ちにならないのでしょうね。「英雄色を好む」とはよく言いますが、英雄のようなひとは①自分を認めてもおらず、②孤独で、③もともと凄まじいリビドーを持っているから「色を好む」のでしょう。

処方箋

では、「モテたい」で苦しんでいるひとはどうすれば良いのか。処方箋になります。

①まずは小さくてもいいので何か賞などを取り、他者にわかりやすく認めてもらうこと。皆勤賞でも、5kmマラソン大会完走賞でも、かるた大会参加賞でもいいですよ。

②どこでも良いので、新しいコミュニティーに所属しましょう。学生さんは部活、塾(今思えば所属欲求のせいで通っていたようなものでした)、図書館で会う他校の友達、地元・・・社会人なら会社のサークルでもいいですし「社会人サークル」なるものもたくさんあります。習い事でもいいし、内職(最近あまりありませんか)でもいい。なんならweb上でもいいです。

これをやりましょう。これで「モテたい」苦しみはかなり緩和されると思いますよ。

そして③リビドーのセルフコントロールは、私はあまり推奨いたしません。あれって人間の生理です。腹が減ったらご飯を食べる、夜が来たら眠くなって寝るのと同じですから、あまり強引な介入はよろしくないかと。

書き終えて思うのですが、これcakesのずんずんさんの連載パターンそっくりです。「Dr.ずんずんの社会人お悩みクリニック」です。一応ご本人に断っておかねばね。はっ、このタイトル医師法大丈夫かねえ・・

この記事も投げ銭にさせていただきます。前回の記事も非常に多くの方に投げ銭していただきました。励みになります、ありがとうございます。

投げ銭してくださった方に、今回はこんなお話を。

〜〜〜〜〜

七夕になると、いつも思い出すひとがいます。

星を見るのが好きな子でした。

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