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突然、会社に行けなくなった半年。

順風満帆に行っていた私の人生ですが、実は、私には空白の半年があります。この半年が私の人生を後に大きく変えることになるのですが、何があったのか、タラタラと書きます。

備忘録なので、このNoteを書いている私のことに興味があれば読み進めてください。。

私は、中学から社会人になるまで、人生でほとんど挫折をしたことがありませんでした。紹介文にも書いたように、面接で一度も失敗したことがない私は、自然とどうすれば人から好かれるか、どうすれば印象に残るかなどを考えて行動していたので、よっぽどの努力を怠らない限り、なんでも一発で望んだ結果を得られていました。

その時から「人の気持ちを理解する」というのは、その人の気持ちになって考えて、自分の意見を言う事ではなく、その人の気持ちに共感してあげるということも知っていました。人は、共感すれば、なかなかその人に嫌悪感を持つことはないからです。

そして、自分がしてきたことをどうやって周りに見せるのが効果的かも知ってたので、周りからの評価も高かったです。

ここまで読んでくださった人からしたら、ああ、そうですか。って話なのですが、そう上手くいかないのが人生ですよね。はったりと計算高さで生き抜いてきた私は、簡単に崩れることになったのです。

高校・大学と女社会で生き抜いてきた私にとって、相手の懐に入り込む技は、得意でした。怖い女の先輩に可愛がられるように振舞って、そのコミュニティで生きやすく過ごしていました。

有名大学を卒業し、有名一流IT企業に就職した私には、社会人でも同じように上手く生き抜いて行けると思っていました。俄然、先輩たちからはとても可愛がられました。しかし、コミュニケーション能力だけでやっていけるほど、社会人は、甘くありません。そして、私の会社には私と似たような人たちがたくさんいたのです。人付き合いが上手く、相手がどうしてそう振舞っているのかも知っている。つまりは、こちらの思っていること、しようとしていることは全てお見通しだったんですよね。むしろ、それが当たり前のスキルとして備わっている軍団だったのです。

また、高校からまともに男性と関わることのない世界で生きていた私は、会社にいるいわゆるEXILE系男子にドン引きでした。その部類の男性とのコミュニケーションの圧倒的弱さに、自分でも驚きました。

しかし、社内なら時間をかけて相手のことを理解してくれようとするので、努力すれば、相手は認めてくれましたし、努力すれば自分の仕事の功績も伸びていきました。しかし、人の気持ちを必要以上に考えて、行動してしまう私には、とうとう限界がきたのです。

社外のクライアントには、私の人柄なんてほぼどうでもいいでしょう。数字がいいときは、いい関係でしたが、悪くなればたちまちその責任は、全て窓口のせい。そして、全てにYESといってしまう私は、24時間ほぼほぼ働き続けました。

毎日、深夜3時まで働き、タクシーで帰ってご飯食べてシャワー浴びて、朝の6時にはまた会社に来ていました。そして、休日は家からほぼ出ずに寝だめをしていました。起きたとしても、夕方に起きて、友人たちと飲みにいくくらい。そんな生活を約2年続けました。

YESマンであった私は、社内からの仕事も社外からの仕事も雑用も、全て引き受け、更に円滑に回るように、人に配慮しまくってました。そして、ある時気づいたのです。私は、人に嫌われるのが猛烈に怖いんだと。でも、もう長年染み付いたそのスタンスは、そう簡単には、変えられませんでした。人に嫌われないように、仕事をし続けました。

今思えば、単にバカだったのだと思います。何が必要なのか見極めて、一つずつ取り組むべきでした。あとは、人に嫌われない、気に入られたい為に自分で作った自分ルールなんて捨ててしまえばよかったのです。

私の自分ルールとは、例えば先輩に”この資料を明日の2時までに提出して”と言われたら、必ず12時までに提出しようと自分で決めます。更に、きちんと理解しているか見せる(アピール)為に、質問にも必ず行こうと決めます。また、一日の終わりに進捗の共有もして、きちんと取り組んでいることを共有しようという、新たなルールが発生します。これが、対社外になるともっとルールは増えます。誰も何も言っていないのに、人からの評価などが気になりすぎて、余計なルールに首を縛られていくのです。

おそらくそんなことしなくても、私と同じような結果を出せる人はいます。そして、そんなことしてる暇があれば仕事のクオリティも上げろという話もわかります。もちろん、それは大前提の上での話です。私の場合は、ただカタチだけ見せるのではなく、その中身も伴った上で、更に自分ルールを厳しく敷いてしまうのです。

どんなに忙しくても、眠くても、休まない、遅刻しない、早く出社する、化粧はしていく、飲みの席でも飲みすぎない、家には必ずきちんと帰る、そう言ったルールが、1日の中に何個も何個もせめぎあっているのです。でも、1日は24時間しかありません。どんなに優秀な人でも残業が当たり前の、あの会社では、自分ルールと仕事がどちらも完璧にこなせることなんてないのです。

そして、その瞬間はやってきました。会社でちょっとしたミスをしてしまいました。後から、同期の友人に話すと、そんなん大したことないでしょ。と言われました。確かに、普段だったら多分どうにかやり抜けられたのだと思います。でも、そのミスをカバーする為に3日間、会社に泊まりました。たまたまその日は、フロントだった先輩が夏季休暇中で、自分でやるしかありませんでした。顧客から5分ごとにかかってくる電話。指示を待ってくれてるオペレーションの人々。進捗報告を待っている上長。全ての人たちが私の指示・行動を待っていました。

初めてこの状況から逃げ出したいと思いました。

そして、悪いことは重なります。他のクライアントで事故が発生しました。正直、そこは引き継いだばかりの案件だったのですが、私の担当していた分野は、みんな詳しくなかったので、知らないまま全ての責任の所在が私に求められていました。上司を連れて謝罪に来いとの電話がクライアントから。

この案件は、本当に宙ぶらりんで、上長が二人の間に置かれているという謎。一人の上長に、この事故を相談したら、まだ引き継いでないから管轄外と言われ、もう一方の上長には、何も知らない、忙しい、行っても仕方ない、と話をしてくれることもありませんでした。最後にその案件の担当であるはずのマネージャーに、「僕もミーティングだから行けないからねっ」と言われました。さすがに全部を押し付けられているように感じました。そして、ここで気付いたのです。あぁ、今まで全部YESって言ってたからだ。押し付ければいいって思われたんだ。と。

結果、この謝罪アポには、何も分からない営業の先輩と私だけで行くことになり、こっぴどく怒られることになったりましたが、もう一つの案件もどうにか、うまく鎮火したのです。

しかし、その一連の流れが終わった一週間の金曜日、もう私には会社に行く気力は残っていませんでした。この二つの事件が重なった一週間、私は電車内で突然、涙が止まらなくなったり、電車に乗っても途中下車してしまう、突然急に息が苦しくなるというような状態がずっと続いていました。

そして、全部がなんとか納まったその日、もう月曜日から会社には行けないと体が思いました。不思議なことに、もう頭で考えるとかではなく、体がそうするべきであると訴えているかのようでした。そして、その日の深夜に人事部にメールを送り、引き継ぎのメールを全て作り各担当者に送付しました。もう全てが終わった後、私には自分で家に帰る気力も残っていませんでした。震える手で家族に電話し、迎えに来てもらったのを覚えています。

ここから約半年、私は会社に行くことができなくなりました。



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